<知財高裁> 優先権を主張することはできないと判断された事例(グリーンクロス対シャイアー)

 判決紹介 

・令和4年(行ケ)第10010号 審決取消請求事件
・令和5年4月6日判決言渡
・知的財産高等裁判所第2部 本多知成 中島朋宏 勝又来未子
・原告:グリーン クロス コーポレイション
・被告:シャイアー ヒューマン ジェネティック セラピーズ インコーポレイテッド
・特許6466538
・発明の名称:治療薬のCNS送達
 コメント 
今回も少し前の判決の紹介です。
シャイアー(被告)は特許6466538の特許権者です。
グリーンクロス(原告)は、2020年3月6日に本件特許の無効審判を請求し、シャイアー(被告)は、2020年10月6日に訂正請求をしました。
特許庁は、2021年9月27日に不成立審決をしました。
今回、グリーンクロス(原告)は、審決の取消しを求める訴訟を提起しました。
争点は、優先権、実施可能要件、サポート要件、明確性、進歩性です。
優先権主張の効果について知財高裁の判断が示されたという点で、重要な判決です。
本件特許の訂正後の請求項1は以下のとおりです。
【請求項1】
リソソーム酵素に関する補充酵素である酵素を含む薬学的組成物であって、該組成物は、該リソソーム酵素のレベルまたは活性の減少を伴うリソソーム蓄積症に罹患しているかまたは、これに罹患しやすい対象に脳室内投与されることを特徴とし、ここで、該組成物は、5mg/ml~100mg/mlの濃度の該補充酵素と、50mMまでのリン酸塩を含み、かつ該組成物が、5.5~7.0のpHを有することをさらに特徴とする、薬学的組成物。
本件特許出願には、基礎出願が7つあります。
グリーンクロス(原告)は、本件特許出願は、下記の基礎出願1、2(甲16、17)の「優先権の利益を享受することはできない」と主張し、審決は「できる」と判断していました。
●甲16(優先権証明書(US61/358,857:2010年6月25日出願))に係る米国特許出願第61/358,857号(基礎出願1)
●甲17(優先権証明書(US61/360,786:2010年7月1日出願))に係る米国特許出願第61/360,786号(基礎出願2)
甲16、17の優先権の主張の効果が認められなかった場合、甲6(公開日:2010年7月2日)が先行文献になります。そのため、グリーンクロスは上記の主張をしていました。
今回、知財高裁は、「優先権を主張することはできない」と判断しました。
但し、甲6を考慮しても、「本件発明1の構成に至ることが容易想到であったと認めるに足りる事情はない」と判断し、グリーンクロスの請求を棄却しました。
なお、甲6はONdrugDeliveryというウェブサイトからダウンロードできるPDFファイルで、ウェブサイトには「Issue No #19 May 1st, 2010」と記載されています。上記の基礎出願の前である2010年5月に公開されたのではないか、とも思ったのですが、審決を確認したら、ちゃんと基礎出願の後に公開されていました。
審決抜粋を以下に記載します。乙14の説明部分を読むと、発行元からの情報取得にも成功しているようです。
審決
イ 甲6が公衆に利用可能となった日
 甲6の最初の2頁は、INJECTABLE DRUG DELIVERY: FORMULATIONS FOCUS Issue No #19 May 1st, 2010のウェブサイト(URL:https://www.ondrugdelivery.com/magazines/injectable-drug-delivery-2010-formulations-focus/)のプリントアウトであり、3頁以降は、上記ウェブサイトに表示されているpdfダウンロード用のリンク(URL:https://www.ondrugdelivery.com/wp-content/uploads/2018/11/May2010.pdf)からダウンロードされたpdfファイルのプリントアウトであると認められる。(甲6最初の頁、請求人口頭審理陳述要領書16頁19行~23行) 甲6のpdfファイルに対応する部分は、INJECTABLE DRUG DELIVERY:FORMULATIONS FOCUSと題する総説集である。甲6のうち、発行日に関する情報が読み取れるのは、ダウンロード元のウェブサイトに記載された「Issue No #19 May 1st, 2010」(甲6の最初の頁)の部分のみであり、この表示からは、甲6は2010年5月1日に発行されたものと解される。
 しかしながら、甲6の32頁(当該号の30頁と印字されている頁)には、参考文献5として、2010年5月24日にアクセスされたウェブページが記載され、参考文献11として、2010年5月26日にアクセスされたウェブページが記載されている(なお、甲6の上記記載からみて、被請求人の提出した令和3年4月27日付け上申書4頁12行~15行の「10の文献は、2010年5月26日にインターネットを通じて利用可能となった文献であることが明記されている。」との記載について、文献の番号「10」は、「11」の誤記であると認められる。)。このように、甲6のpdf部分には、2010年5月1日よりも後に入手された情報に関する記載があることからすると、甲6の最初の頁(ウェブサイトの画面)に2010年5月1日との表示があっても、甲6のpdfファイルが、2010年5月1日に公衆に利用可能であったとただちにいうことはできない。
 また、甲6が含まれるONdrugDeliveryマガジンの発行及び編集担当者である オーナー フレデリック ファーネス出版のガイ ファーネスへの照会結果である乙14には、ONdrugDeliveryのウェブサイトでは、甲6である「注射可能なドラッグイデリバリー2010:製剤フォーカス」号は、雑誌の各号に番号をつけて日付を付ける正式なシステムを導入する前に発行されたため、公開時期をオンラインで明確に確認できないこと、2010年5月号として掲載されているが、この号の植字、編集、校正について議論する2010年6月30日の電子メールがあること、出版可能な発行物の入手可能性に関する電子メールが2010年7月2日に送受信されていること、この号のpdfのプロファイルには、2010年7月2日の午前9:10に作成され、同日の午前10:51に変更されたことが確認でき、この号が2010年7月2日より前には入手可能でなかったことが説明されている(乙14の本文3段落~5段落)。さらに、甲6のpdfファイルのプロパティを表示した乙24からも、作成日と更新日が2010年7月2日であることが認められる。
 これらの甲6のpdfファイルの内容が公衆に利用可能となった日に関する証拠の内容を総合すると、甲6は2010年7月2日になってから公衆に利用可能となったと認められる
判決抜粋を以下に記載します。
判決
第5 当裁判所の判断
1 本件発明について
(1) 本件明細書の記載
・・・
2 取消事由2(実施可能要件違反)について
・・・
3 取消事由3(サポート要件違反)について
・・・
4 取消事由4(明確性要件違反)について
原告は、本件発明1について、リン酸塩の下限値が特定されていないことから、明確性要件に反すると主張する。
しかし、本件特許の請求項1の文言から、本件発明1の薬学的組成物が「リン酸塩を含」むものであることは明らかで、50mMまでのリン酸塩であれば、どれほどわずかの量を含む場合であっても、本件発明1のリン酸塩に係る発明特定事項を満たすことは明確であって、リン酸塩の下限値が特定されていないことが何ら第三者に不測の損害を被らせるものでないことは明らかである。
したがって、原告の主張は採用することができない。本件発明2~8及び12についても同様である。高濃度の補充酵素の実現や酵素の熱安定性をいう原告の主張は、明確性要件についての上記判断に何ら影響しない。
5 基礎出願について
取消事由1(優先権に関する認定判断の誤り)について判断をする前提として、基礎出願1及び2につき、検討する。
基礎出願1に係る優先権証明書(甲16)と、基礎出願2に係る優先権証明書(甲17)の記載事項は、いずれも「治療用タンパク質のCNS送達のための安定製剤及び方法」と題する発明に係るもので、それらの記載内容はほとんど全て同じである(弁論の全趣旨)。このうち、甲17には、次の記載がある(訳文は、乙37による。)。
(1) 請求項(29頁5行目~32頁5行目。行数は、頁左に記載された行番号による。以下、甲17について特記しない限り同じ。)
1. 治療有効量の治療剤を対象の中枢神経系に送達するのに適している水性薬学的組成物であって、(a)1以上の治療剤と、(b)1以上の緩衝剤とを含む水性薬学的組成物。
・・・
6 取消事由1(優先権に関する認定判断の誤り)について
(1) 優先権について
ア 本件出願について、被告が基礎出願1又は2に基づく優先権を主張できるか否かについて検討する。
イ(ア) 基礎出願1及び2がされた平成22年6月ないし7月頃時点で、一定のリソソーム酵素に関する補充酵素である酵素の一定量をリソソーム蓄積症の患者のしかるべき組織等に送達することができれば、治療効果を生ずること自体は技術常識となっていた一方で、どのような方法で補充酵素を有効に送達することができるかについて検討が重ねられており、本件出願がされた平成29年9月においても、そのような状況がなお継続していたものと認められる(甲1~4、16、17、55、56、弁論の全趣旨)。
本件発明1は、リソソーム酵素に関する補充酵素である酵素を含む薬学的組成物であって、脳室内投与されることを特徴とするものであるところ、上記の技術常識及び前記1(2)の本件発明の概要を踏まえると、本件発明1の薬学的組成物についても、中枢神経系(CNS)への活性作用物質の送達をいかに有効に行うかという点がその技術思想において一つの重要部分を占めているものというべきである。
(イ) この点、本件明細書の【0005】には、「髄腔内(IT)注射または脳脊髄液(CSF)へのタンパク質の投与・・・の処置における大きな挑戦は、脳室の上衣内張りを非常に堅く結合する活性作用物質の傾向であって、これがその後の拡散を妨げた」、「脳の表面での拡散に対するバリア・・・は、任意の疾患に関する脳における適切な治療効果を達成するには大きすぎる障害物である、と多くの人々が考えていた」との記載があり、【0009】には、「リソソーム蓄積症のための補充酵素が高濃度・・・での治療を必要とする対象の脳脊髄液(CSF)中に直接的に導入され得る、という予期せぬ発見」という記載がある。
また、甲17の「発明の背景」においても、高用量の治療薬を必要とする疾患について髄腔内ルートの送達に大きな制限があり、濃縮された組成物の調製にも問題がある旨が記載されていた(前記5(2)カ及びキ)。
さらに、基礎出願2がされた翌年である平成23年に発行された乙6(「Drug transport in brain via the cerebrospinal fluid」Pardridge et al., Fluids and Barriers of the CNS 2011 8:7)においても、CSFから脳実質への薬物浸透は極めて僅かであり、脳への薬物の浸透がCSF表面からの距離とともに指数関数的に減少するため、高濃度の薬物を投与する必要があるが、上位表面は非常に高い薬物濃度にさらされており有毒な副作用を示す可能性があることなどが記載されていた。その更に翌年である平成24年に発行された乙13(「CNS Penetration of Intrathecal-Lumbar Idursulfase in the Monkey, Dog and Mouse: Implications for Neurological Outcomes of Lysosomal Storage Disorder」 Calias P. et al. PLoS One, Volume 7, Issue 1, e30341)には、「本研究は、組換えリソソームタンパク質の直接的なCNS投与によって、投与されたタンパク質の大多数が脳に送達され、カニクイザル、イヌ両方の脳および脊髄のニューロンに広範囲に沈着することを、初めて示した研究である。」と記載されている。
そうすると、少なくとも基礎出願2がされた平成22年7月頃においては、CNS送達のための組成物として特定の組成物の組成等が開示された場合であっても、当該組成等から直ちにその脳への送達の程度や治療効果を推測等することは困難であることが技術常識であったものと認められる。
このことは、甲17に、「本明細書で用いる場合、「中枢神経系への送達に適している」という語句は、それが本発明の薬学的組成物に関する場合、一般的に、このような組成物の安定性、耐(忍)容性および溶解度特性、ならびに標的送達部位(例えば、CSFまたは脳)にその中に含有される有効量の治療薬を送達するこのような組成物の能力を指す。」(前記5(5)ナ)として、「標的送達部位(例えば、CSFまたは脳)にその中に含有される有効量の治療薬を送達するこのような組成物の能力」が「送達に適している」ということの意味内容に含まれることが明記されていることとも整合するものといえる。
(ウ) 他方で、本件明細書の【0085】には、「いくつかの実施形態では、本発明による髄腔内送達は、末梢循環に進入するのに十分な量の補充酵素を生じた。その結果、いくつかの場合には、本発明による髄腔内送達は、肝臓、心臓および腎臓のような末梢組織における補充酵素の送達を生じた。この発見は予期せぬものであ・・・る。」との記載があり、標的組織への送達について、【0132】には、「本発明の意外な且つ重要な特徴の1つは、本発明の方法を用いて投与される治療薬、特に補充酵素、ならびに本発明の組成物は、脳表面全体に効果的に且つ広範囲に拡散し、脳の種々の層または領域、例えば深部脳領域に浸透し得る、という点である。さらに、本発明の方法および本発明の組成物は、現存するCNS送達方法、例えばICV注射では標的化するのが困難である脊髄の出の組織、ニューロンまたは細胞、例えば腰部領域に治療薬(例えば、補充酵素)を効果的に送達する。さらに、本発明の方法および組成物は、血流ならびに種々の末梢器官および組織への十分量の治療薬(例えば、補充酵素)を送達する。」との記載があり、【0133】においては、実施形態により、「治療用タンパク質(例えば、補充酵素)」が、対象の「中枢神経系」に送達され、あるいは「脳、脊髄および/または末梢期間の標的組織のうちの1つ以上」に送達され、また、「標的組織は、脳標的組織、脊髄標的組織および/または末梢標的組織であり得る。」などと記載された上で、【0134】以下で特に「脳標的組織」について説明がされ、そして、実施例においても、例えば、実施例1ではIT投与が、実施例3ではICV投与及びIP(腹腔内)投与が、実施例5、実施例10及び実施例13ではIT投与及びICV投与が用いられるなどしている。
そして、証拠(甲2~5。後記7(1)~(4)参照)のほか、本件明細書の記載内容に照らしても、CNSへの酵素の送達においては、ICV投与とIT投与とは、それぞれ別個の投与態様として取り扱われ、組織への酵素の送達に関する実験やその結果の評価においても、それらは別個に取り扱われること、換言すると、ICV投与とIT投与の相応に密接な関連性を考慮しても、ICV投与による実験データとIT投与による実験データとを直ちに同一視することはできないことが、平成22年7月頃における技術常識であったことが認められるというべきである。
(エ) 前記(イ)及び(ウ)の技術常識を踏まえると、本件発明1が甲17に記載されていた発明であると認められるためには、甲17に、本件発明1の組成物が実質的に記載されていたものと認められるのみならず、甲17に、本件発明1の組成物による送達の効果が、ICV投与した場合のものとして、実質的に記載されていたと認められる必要があるというべきである。
ウ(ア) その上で、甲17の記載を見るに、まず、「発明の背景」の記載(前記5(2))は、専ら背景技術について説明するものである。「発明の概要」の記載(同(3))には、本件発明1の組成物に含まれる組成物の記載があるといえるが、当該組成物がどのように送達されて治療効果を奏するのかについては記載がない。そして、「発明の詳細な説明」(同(5))を見ても、組成物の構成やその使用方法に関する一般的な記載はみられるものの、どのように送達されて治療効果を奏するのかについて具体的な記載はない。
(イ) 甲17の実施例1(前記5(6))には、15mg/mLのタンパク質濃度のリソソーム酵素を含む組成物で、pH6~7であってリン酸塩を含むものが記載されていると見ることができるが、具体的にどのような酵素が用いられたかは不明であり、また、どのような領域まで送達されて治療効果を奏するかについても記載がない。
(ウ) 甲17の実施例2(前記5(7))には、「酵素治療薬の使用による繰り返しIT-脊椎投与の毒性及び安全性薬理を評価」や「酵素投与群」との記載はあるが、酵素の種類も濃度も不明であり、また、どのような領域まで送達されて治療効果を奏するかについても記載がない(なお、対照群との差異もみられていない。)。
(エ) 甲17の実施例3(前記5(8))には、用量1.0mL中酵素14mgとして調製された酵素と、5mMのリン酸ナトリウム、145mMの塩化ナトリウム、0.005%のポリソルベート20をpH7.0で含むビヒクルにより作成された製剤が髄腔内投与されたことの記載があるが、図5を含めて見ても、主に有害な副作用の有無等が検討されたものと解され、治療効果については記載がない。
(オ) なお、甲17の図2には、30mg用量の髄腔内投与後のリソソーム酵素のニューロンへの分布が示され、尾状核のニューロンにリソソーム酵素が認められたことが示されているが、どのような組成物が投与されたのかも不明である。
(カ) さらに、甲17には、投与の態様としてICV投与とIT投与とが選択的なものである旨は記載されているといえる一方で、いずれの方法によっても同様に送達され得る旨等を明らかにする記載もないから、前記(ウ)~(オ)は、ICV投与した場合のものとして、本件発明1の組成物による送達の効果を記載するものでもない。
以上によると、甲17には、本件発明1が記載されているものとは認められず、本件発明2~8及び12についてこれと異なって解すべき事情も認められないから、本件出願について、基礎出願2に基づく優先権を主張することはできない 。基礎出願1についても、基礎出願2と異なって解すべき事情はない。
これと異なる被告の主張は、いずれも採用することができない。ICV投与とIT投与において、組成物はいずれの場合でもCSFに投与されるものであり、そのためそれらの間に処方としての共通性や標的組織等への送達における相応の関連性があるということができたとしても、そのことをもって、具体的な送達の程度や治療効果についてまで、一方の投与態様についての実験結果等の記載をもって直ちに他方についての記載と実質的に同視することができるとの技術常識は認められない 。被告の主張は、甲16及び17の記載内容を、本件明細書の記載内容を前提にしながら解釈しようとするものであって相当でない。
(2) 甲6が公知文献とされなかったことが直ちに取消事由に当たるかについて
ア 原告は、取消訴訟の審理範囲を根拠として、本件審決に当たり甲6を副引用例として考慮しなかった本件審決は、優先権に係る判断の誤りによって直ちに取り消されるべきである旨を主張するので検討する。
イ(ア) 証拠(甲61、62)及び弁論の全趣旨によると、原告は、本件審判請求においては、本件発明1の進歩性に係る無効理由として、甲2発明ないし甲4発明にそれぞれ甲5~10を適用すること(甲5の適用については、甲5技術と実質的に同一の内容が主張されていた。)により容易想到である旨を主張し、その中で、甲6については、甲6発明(製剤)と実質的に同一の内容を主張する一方、甲6発明(ビヒクル)については主張していなかったことが認められる。
本件審決は、基礎出願2に基づく優先権の主張を認めたことから、副引用例としての甲6記載の発明の適用について検討するには至らなかったが、上記のとおり、甲6については、甲6発明(製剤)と実質的に同一の内容を副引用例とする範囲で、審判手続においても審理の対象となっていたものであって、甲2発明ないし甲4発明にそれぞれ上記副引用例を組み合わせることにより進歩性を欠くという無効理由自体は、審判手続において審理対象となっていたものである。
(イ) そして、本件審決は、甲2発明ないし甲4発明と本件発明の相違点について、甲5及び7~10を適用して容易想到であるといえるか否かについて判断した一方、優先権主張を認めたことから甲6は除外し、それゆえ相違点に係る本件発明の構成についての甲6発明(製剤)の適用について具体的には判断しなかったものの、甲2発明ないし甲4発明に甲6発明(製剤)を適用することにより本件発明は容易想到であるという旨の原告の主張自体については、これを認めることができないとの判断を示したものである。
(ウ) 原告は、本件訴訟において、甲2発明ないし甲4発明を主引用例とした上で、前記(ア)及び(イ)のとおり本件審決で排斥された甲5技術の適用による容易想到性の主張のほか、甲6に基づき、甲6発明(製剤)及び甲6発明(ビヒクル)を副引用例として主張するとともに、甲6が技術常識(エリオットB溶液の技術常識及び高濃度化の技術常識)を補足するものである旨を主張しているところ、本件訴訟において、容易想到性が争いとなっている本件発明の構成(甲2発明ないし甲4発明との間の各相違点)は、本件審決で判断されたものと基本的に同じであり、甲6発明(製剤)や甲6発明(ビヒクル)の適用に当たり、本件審決で判断されたもの以外の相違点が問題になるなどといった事情はない。
(エ) 前記(ア)のとおり、甲6の適用については審判手続においても問題とされ、当事者双方において攻撃防御を尽くす機会はあったといえる。この点、証拠(甲6、16、17、乙14、24。なお、訳文として甲6の2・3、乙36)及び弁論の全趣旨によると、甲6は、基礎出願1及び2がされて間もない平成22年7月2日に公衆に利用可能となった雑誌「注射可能なドラッグデリバリー2010:製剤フォーカス」に掲載された「CNSが関与する遺伝学的疾患を治療するためのタンパク質治療薬の髄腔内送達」と題する論文であるところ、同論文は、基礎出願1及び2に関わった研究者も関与して行われた研究発表に係るものであって、本件発明と同様の技術分野に属するもの、すなわち、酵素補充療法において、中枢神経系(CNS)病因を有する疾患の処置に係るリソソーム酵素に関する補充酵素である酵素を含む薬学的組成物に関連するもの(前記1(2)ア)と解されるほか、その記載内容は、かなりの部分甲16及び17と重なり合うものである。そのような甲6の性質や、甲16及び17と本件発明との関係についても優先権主張の可否という形ではあるが各当事者において攻撃防御を尽くす機会があったというべきことを考慮すると、上記のように審判手続において各当事者に与えられていた甲6の適用について攻撃防御を尽くす機会は、実質的な機会であったといえる。
(オ) 以上の事情の下では、本件審決においては副引用例としての甲6発明(製剤)の適用が具体的には判断されるに至らず、また、甲6発明(ビヒクル)についてはそもそも審判段階で問題となっていなかったこと(この点、被告は、甲6発明(ビヒクル)を適用しての容易想到性に係る原告の主張について、特にそれが審理範囲外であるとして争ってはいない。)を考慮しても、本件訴訟において、審判手続において審理判断されていた甲2発明ないし甲4発明との対比における無効原因の存否の認定に当たり、甲6発明(製剤)及び甲6発明(ビヒクル)を適用することによって容易想到性の有無を判断することが、当事者に不測の損害を与えるものではなく、違法となるものではない。最高裁昭和42年(行ツ)第28号同51年3月10日大法廷判決・民集30巻2号79頁は、本件のような場合について許されないとする趣旨とは解されない。
(3) 以上によると、取消事由1は、優先権の判断の誤りという限度において理由があるが、それをもって直ちに本件審決を取り消すべきという結論において、理由がない。
そこで、以下、甲2発明ないし甲4発明を主引用例とする容易想到性の主張に係る取消事由5~7について、検討する。
7 引用発明等について
(1) 甲2発明について
ア 甲2は、平成19年発行の雑誌に掲載された「ガラクトセレブロシダーゼの脳室内単回投与によるグロボイド細胞白質ジストロフィのマウスモデルの生存率の改善」と題する論文であり、甲2には次の記載がある。
・・・
8 取消事由5(甲2発明を基礎とする進歩性の判断の誤り)について
(1) 甲6に記載された発明の適用について
ア 甲6発明(製剤)について
(ア) 前記7(5)ウによると、甲6には、「14mg/mLのリソソーム酵素、5mMのリン酸ナトリウム、145mMの塩化ナトリウム及び0.005%のポリソルベート20を含有し、pHは7.0である、IT投与されるリソソーム酵素を含む処方物」が記載されているといえる。
(イ) 甲2’発明は、脳室内投与するための組成物の発明であるところ、その組成を特定する事項として、緩衝剤とみられる「クエン酸ナトリウム50mM」を含むものであり、クエン酸緩衝液はpH2.0~6.2であることが認められる(甲7)。 甲2においては、甲2’発明に係る組成物について、サイコシンの有意な減少や生存日数の延長という有利な効果が認められた旨が記載されている(前記7(1)ア(ア))ところであり、それにもかかわらず、甲2に接した当業者に対し、甲2’発明の「クエン酸ナトリウム50mM」に代えて、pHも組成も異なる前記(ア)の処方物を用いることを動機付ける、又はこれを示唆する記載は甲2に見当たらない。本件全証拠をもってしても、そのような動機付け又は示唆に当たり得るような技術常識も認められない。
(ウ) さらに、前記7(5)からすると、前記(ア)の処方物は、IT投与に係るものであるところ、甲6には、前記6(1)ウで甲17の記載について検討したのと同様、前記(ア)の処方物を投与した場合の送達や治療効果について具体的な記載がされているとは直ちに認め難く、また、IT投与の治療効果とICV投与の治療効果とを同視し得る旨等を明らかにする記載も見当たらない。
(エ) 前記(イ)及び(ウ)からすると、甲6に、そもそも製剤の発明として引用発明を認定できる程度に前記(ア)の処方物が記載されているといえるかには疑問があり、仮にそれが記載されているとしても、当業者において、ICV投与に係る甲2’発明に、IT投与に係る前記(ア)の処方物を適用して、本件発明1の構成に至ることが容易想到であったと認めるに足りる事情はない。
(オ) したがって、甲6発明(製剤)の適用についての原告の主張には理由がない。
イ 甲6発明(ビヒクル)について
前記アの判断と同様、当業者において、ICV投与に係る甲2’発明に、IT投与に係る甲6発明(ビヒクル)を適用して本件発明1の構成に至ることが容易想到であったと認めるに足りる事情はない。
したがって、甲6発明(ビヒクル)の適用についての原告の主張には理由がない。
(2) エリオットB溶液の技術常識の適用について
ア 証拠(甲6、21)及び弁論の全趣旨によると、エリオットB溶液が代表的な人工脳脊髄液であること、エリオットB溶液が0.5mMのリン酸塩を含み、そのpHは6.0~7.5であることが認められる。
イ 前記(1)ア(イ)のとおり、甲2’発明は、脳室内投与するための組成物の発明であって「クエン酸ナトリウム50mM」を含むものであるところ、アメリカ薬局方収載の緩衝剤リストについて、リン酸緩衝液がpH6.2~8.2であるのに対し、クエン酸緩衝液はpH2.0~6.2であることが認められる(甲7)。また、エリオットB溶液には、リン以外にも、種々のイオンや成分が特定の組成で含まれているところである(甲21)。

甲2においては、甲2’発明に係る組成物について、サイコシンの有意な減少や生存日数の延長という有利な効果が認められた旨が記載されている(前記7(1)ア(ア))ところであり、それにもかかわらず、甲2に接した当業者に対し、甲2’発明の「クエン酸ナトリウム50mM」に代えて、pHが異なるとともに他に種々のイオンや成分が含まれているリン酸緩衝液であるエリオットB溶液を用いることを動機付ける、又はこれを示唆する記載は見当たらない。本件全証拠をもってしても、そのような動機付け又は示唆に当たり得るような技術常識も認められない。そうすると、当業者において、甲2’発明にエリオットB溶液の技術常識を適用して相違点に係る本件発明1の構成に容易に想到することができたとは認められない。
なお、原告は、エリオットB溶液をビヒクルとして用いるのではなく、エリオットB溶液のリン酸塩濃度の範囲及びpHの範囲のみを切り離して、それを甲2’発明に適用するのが容易である旨(換言すると、上記各範囲を目指して甲2’発明のリン酸塩濃度の範囲及びpHの範囲を調整するのが容易である旨)を主張するものともみられるが、上記各範囲のみを抽出して技術常識と認めることはできず、また、そのようなものを当業者が甲2’発明に適用するとみるべき事情も認められない。
以上に反する原告の主張は、いずれも採用することができない。

ウ したがって、エリオットB溶液の技術常識の適用についての原告の主張には理由がない。
(3) 甲5技術の適用について
ア 前記7(4)ア及びイによると、甲5には、補充酵素が組換えヒトN-アセチルガラクトサミン-4-スルファターゼ(rhASB)である、前記第3の5(3)アにおいて原告が主張する甲5技術が記載されていると認められる。
イ 甲2’発明が脳室内投与するための組成物の発明であり、「クエン酸ナトリウム50mM」を含むものであること、甲2に有利な効果が認められた旨が記載されていることなどは、前記(1)ア(イ)のとおりであるところ、それにもかかわらず、甲2に接した当業者に対し、甲2’発明の「クエン酸ナトリウム50mM」に代えて、具体的な酵素の種類もpHも組成も異なる組成物に係る甲5技術を適用することを動機付ける、又はこれを示唆する記載は甲2に見当たらない。本件全証拠をもってしても、そのような動機付け又は示唆に当たり得るような技術常識も認められない。
ウ さらに、前記7(4)からすると、甲5技術は、IT注射(IT INJ)に係るものであり、甲5は、IT注射及び静脈内酵素補充療法(IV ERT)に係るものであり、また、甲5にはIT投与の治療効果とICV投与の治療効果とを同視し得る旨等を明らかにする記載も見当たらない。
エ そうすると、当業者において、ICV投与に係る甲2’発明に、甲5技術を適用して本件発明1の構成に至ることが容易想到であったと認めるに足りる事情はない。
したがって、甲5技術の適用についての原告の主張には理由がない。
(4) まとめ
以上によると、取消事由5は理由がない。
9 取消事由6(甲3発明を基礎とする進歩性の判断の誤り)について
・・・
10 取消事由7(甲4発明を基礎とする進歩性の判断等の誤り)について
・・・
第6 結論
よって、原告の本訴請求には理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。
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