(アイセントレス錠の特許侵害訴訟)薬理データがないため実施可能要件/サポート要件違反で無効と判断された事例

判決紹介
・平成27()23087 特許権侵害差止等請求事件
・平成29126日判決言渡
・東京地方裁判所民事第40 佐藤達文 廣瀬孝 勝又来未子
・原告:塩野義製薬株式会社
・被告:MSD株式会社
・特許5207392
・発明の名称:抗ウイルス剤

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特許5207392の特許権を有する原告(塩野義)が、被告(MSD)の「アイセントレス®400mg(ラルテグラビルカリウム)」が本件特許発明の技術的範囲に属するとして、譲渡等の差止め、廃棄を求めるとともに、損害賠償又は不当利得返還を請求した事案です。
ラルテグラビルカリウムの構造は下記の通りです。

ISENTRESS_20171228.jpg
本件特許の請求項1は下記のとおりです。
「【請求項1】
式(
I):
claim1-1_20171228.jpg 
(式中,
RA
は式:
claim1-2_20171228.jpg 
(式中,Z1及びZ3はそれぞれ独立して単結合又は炭素数16の直鎖状若しくは分枝状のアルキレン;Z2は単結合,-S--SO--NHSO2-O-又は-NHCO-;R1は置換されていてもよいフェニル,置換されていてもよい58員の芳香族複素環式基,置換されていてもよい炭素数36のシクロアルキル又は置換されていてもよいヘテロサイクル(「置換されていてもよい」の各置換基は,それぞれ独立して,アルキル,ハロアルキル,ハロゲンおよびアルコキシから選択される))で示される基;
Y
はヒドロキシ;
Z
は酸素原子;
RC
及びRDは一緒になって隣接する炭素原子と共に5員又は6員のヘテロ原子を含んでいてもよい環を形成し,該環はベンゼン環との縮合環であってもよい;RC及びRDが形成する環は,式:-Z1-Z2-Z3-R1(式中,Z1Z2Z3及びR1は前記と同意義である)で示される基で置換されていてもよく;
さらに,RC及びRDが形成する環は,式:-Z1-Z2-Z3-R1(式中,Z1Z2Z3及びR1は前記と同意義である)で示される基で置換されている以外の位置で,アルキル,アルコキシ,アルコキシアルキル,ヒドロキシアルキル及びアルケニルからなる群から選択される置換基により置換されていてもよい。)
で示される化合物,その製薬上許容される塩又はそれらの溶媒和物を有効成分として含有する,インテグラーゼ阻害剤である医薬組成物。」
裁判所は、以下の通り、本件特許発明
は実施可能要件、サポート要件を満たさず、訂正発明も実施可能要件、サポート要件を満たさないと判断し、原告の請求を棄却しました。
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第4 当裁判所の判断
・・・
争点(1)()(実施可能要件違反)について
 
事案に鑑み,争点(1)()について判断する。
(1)
医薬の発明における実施可能要件
 
特許法3641号は,明細書の発明の詳細な説明の記載は「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したもの」でなければならないと定めるところ,この規定にいう「実施」とは,物の発明においては,当該発明にかかる物の生産,使用等をいうものであるから,実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が当該発明に係る物を生産し,使用することができる程度のものでなければならない。
 
そして,医薬の用途発明においては,一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該医薬を当該用途に使用することができないから,医薬の用途発明において実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明は,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載される必要がある
(2)
本件の検討
 
本件についてこれをみるに,本件発明1では,式(I)のRA-NHCO-(アミド結合)を有する構成(構成要件B)を有するものであるところ,そのようなRAを有する化合物で本件明細書に記載されているものは,「化合物C-71」(本件明細書214頁)のみである。そして,本件発明1はインテグラーゼ阻害剤(構成要件H)としてインテグラーゼ阻害活性を有するものとされているところ,「化合物C-71」がインテグラーゼ阻害活性を有することを示す具体的な薬理データ等は本件明細書に存在しないことについては,当事者間に争いがない。
(※BIOPATENTBLOG追記:
C-71_20171228.jpg 
 
したがって,本件明細書の記載は,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載されたものではなく,その実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されたものではないというべきであり,以下に判示するとおり,本件出願(平成14年(2002年)88日。なお,特許法412項は同法36条を引用していない。)当時の技術常識及び本件明細書の記載を参酌しても,本件特許化合物がインテグラーゼ阻害活性を有したと当業者が理解し得たということもできない。
(3)
原告の主張に対する判断
   
原告は,本件特許化合物として本件明細書に記載されているのが「化合物C-71」のみであり,その薬理データ等が記載されていないとしても,本件優先日当時の技術常識及び本件明細書の記載を参酌すれば,当業者は,本件特許化合物がインテグラーゼ阻害活性を有すると理解できたと主張する。
ア当業者による理解について
・・・
  本件特許化合物以外の本件発明化合物の薬理データについて
次に,原告は,本件明細書には本件特許化合物の薬理データの記載はないものの,本件特許化合物以外の本件発明化合物の薬理データは豊富に記載されており,特に「化合物C-71」の化学構造の一部が異なるにすぎない「
化合物C-26」(本件明細書200頁)のデータが存在することを指摘する
(※BIOPATENTBLOG追記:
C-26_20171228.jpg 
しかし,一般に,化合物の化学構造の類似性が非常に高い化合物であっても,特定の性質や物性が全く類似していない場合があり,この点はインテグラーゼ阻害剤の技術分野においても同様と解されるのであって(甲10,乙171ないし3,乙181ないし3参照),このことは本件出願当時の当業者にとっても技術常識であったというべきである。
 
この点,原告は,「化合物C-71」と「化合物C-26」の構造は非常に類似しており,両者の差異は,「化合物C-71」のRAがアミド型置換基であるのに対し,「化合物C-26」のRAが非置換の窒素原子を含む芳香族複素環である点のみである上,「化合物C-71」のアミドと「化合物C-26」の芳香族複素環(具体的には,134-オキサジアゾール)は,いずれも配位子として機能することが知られ,また,アミドと134-オキサジアゾールは,バイオアイソスターとして相互に置換可能であることも本件優先日当時の技術常識であったのであるから,当業者であれば,「化合物C-71」は「化合物C-26」と同様のインテグラーゼ阻害活性を有すると理解すると主張する。
しかし,「化合物C-71」のアミドと「化合物C-26」の芳香族複素環がいずれも配位子として機能することが知られ,また,一般的にアミドと134-オキサジアゾールは,バイオアイソスターとして相互に置換可能であるとしても,インテグラーゼ阻害剤において,RAのアミドと134-オキサジアゾールが配位子として機能し,それらが相互に置換可能であることが本件出願当時の技術常識であったと認めるに足りる証拠はない。かえって,前記のとおり,インテグラーゼ阻害活性を有する化合物の化学構造の類似性が非常に高い場合であっても,特定の性質や物性が全く類似していないことがあることや,本件出願当時は,末端に環構造を有する置換基の役割やインテグラーゼ阻害活性を示す置換基についての一般的な化学構造に関する技術常識が存在したとは認められないこと,本件特許化合物が有するアミド中の-NH-の部分は,水素結合可能な基であることなどを考慮すると,「化合物C-71」が「化合物C-26」と同様のインテグラーゼ阻害活性を有すると当業者が理解するためには,「化合物C-71」の薬理データが必要であるというべきである。
  出願審査段階における薬理試験結果について
 
原告は,本件特許化合物に含まれる4個の化合物については本件特許の出願審査の段階において薬理試験結果が提出され(甲12),また,12個の化合物については実際にインテグラーゼ阻害作用が確認されているとして(甲13),本件発明1が実施可能要件を有することは裏付けられていると主張する。
 
しかし,一般に明細書に薬理試験結果等が記載されており,その補充等のために出願後に意見書や薬理試験結果等を提出することが許される場合はあるとしても,当該明細書に薬理試験結果等の客観的な裏付けとなる記載が全くないような場合にまで,出願後に提出した薬理試験結果等を考慮することは,特許発明の内容を公開したことの代償として独占権を付与するという特許制度の趣旨に反するものであり,許されないというべきである(知的財産高等裁判所平成27年(行ケ)第10052号・同28331日判決参照)。
 
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
・・・
争点(1)()(サポート要件違反)について
 
上記2で説示したところに照らせば,本件明細書の発明の詳細な説明に本件発明1が記載されているとはいえず,本件発明1に係る特許は特許法3661号の規定に違反してされたものというべきである。
 
したがって,本件発明1に係る特許は特許法12314号に基づき特許無効審判により無効にされるべきものである。
争点(1)()(本件訂正による無効理由の解消の有無)について
・・・
(3)
これに対し,原告は,本件訂正発明化合物1に必須の化学構造は,本件明細書に薬理データが記載された27個の化合物と極めて類似した構造を有しているから,当業者は本件訂正発明化合物1がインテグラーゼ阻害活性を示すことを容易に理解できるなどと主張する。
しかし,前記2(3)イに説示したとおり,一般に,化合物の化学構造の類似性が非常に高い化合物であっても,特定の性質や物性が全く類似していない場合があり,この点はインテグラーゼ阻害剤の技術分野においても同様と解されるのであって,このことは本件出願当時の当業者にとっても技術常識であったというべきである。
 
原告はこの点,原告の上記主張はドラッグデザインに基づくものであるなどとも指摘するところ(甲76参照),確かに,何らかの生物活性を有する複数の化合物が存在する場合,そのような活性を備える化合物における,部分的な保存された構造を見出そうとする手法は,医薬品の開発の方向性を定める一つの手法とはいえるものの,化合物に共通する部分構造以外の構造に,生物活性に必要な構造が存在する可能性もあるし,逆に,生物活性を喪失させるような構造も化合物に存在することがあり得るのであって,生物活性を有すると目される複数の化合物に共通して見られる部分構造がある化合物において単に存在することをもって,直ちに当該化合物も必然的にその生物活性を有するということはできないというべきである。
 
なお,原告は,本件訂正発明化合物1がインテグラーゼ阻害活性を示すとする薬理データ(甲121333)を引用するが,上記2(3)ウに説示したとおり,本件の判断を左右するものではない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
結論
 
以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
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