・審判請求日:2020/02/12
・審決日:2021/04/07
・審判官:田村聖子 山本晋也 長井啓子
・請求人:リジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッド
・被請求人:アムジエン・インコーポレーテツド
・特許5705288
・発明の名称:プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対する抗原結合タンパク質
1つ前に別の無効審判(請求人:サノフィ、無効2016-800004)があって、そちらは不成立が確定しています。
さらに、侵害訴訟(アムジェン v. サノフィ)もあって、そのときの知財高裁の判決(侵害)は下記ブログで紹介しています。
<知財高裁/抗PCSK9抗体の特許侵害訴訟> 競合特許のサポート要件等が認められた事例
<判決紹介>・平成31年(ネ)第10014号 特許権侵害差止請求控訴事件・令和元年10月30日判決言渡・知的財産高等裁判所第1部 高部眞規子 小林康彦 関根澄子・控訴人:サノフィ株式会社・被控訴人:アムジエン・インコーポレーテツド・特許57...
抗PCSK9抗体を有効成分とする抗体医薬として、アムジェンはレパーサ(エボロクマブ)を販売しています。
サノフィは、プラルエント(アリロクマブ)を販売していましたが、上記の侵害訴訟の結果、販売が差し止められました。今回の無効審判の請求人リジェネロンは、アリロクマブを創製した企業であり、サノフィと共同開発していました。
本件特許の請求項1、9は以下の通りです。
【請求項1】
PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
【請求項9】
請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物。
今回の無効審判でリジェネロンは、サポート要件、実施可能要件、進歩性、明確性、発明該当性の無効理由を主張しました。
PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
【請求項9】
請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物。
以下に、サポート要件、実施可能要件、進歩性に関する審判合議体の判断を記載します。
審決
第6 当審の判断
当審は、無効理由1~5は、いずれも理由がないと判断する。その理由は、以下のとおりである。
1 無効理由1(サポート要件違反)について
(1)請求人の主張の具体的内容
ア 無効理由1-1
本件特許発明の解決すべき課題は、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を提供するという周知の課題であるのに対して、本件特許発明の構成は、単に「21B12抗体と競合する抗体」であるということだけである。請求項1に「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」と、解決すべき課題が記載されているからといって、サポート要件が充足されると判断されてはならない。例えば、平成28年(行ケ)10189号判決においてそのような判示がなされている。
本件特許発明がサポート要件に適合するためには、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と、当業者が理解できるように明細書が記載されていなくてはならない。
しかしながら、本件明細書には、先に「PCSK9とLDLRとの結合を中和する」ことでスクリーニングした抗体の中から、次に「21B12抗体と競合する」ことによりスクリーニングして得られた抗体が記載されているにすぎないから、21B12抗体と競合する抗体であれば、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体であることが示されているとはいえない。
また、科学的事実としても、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体」である」ということはできない。すなわち、フレンツェル博士の供述書(1)(甲2の1)の実証実験において、周知技術により得られた、21B12抗体と競合する抗体13個のうち10個(約8割)がPCSK9とLDLRとの結合を中和することのできない抗体であったことが示されている。そして、ライヒマン博士の供述書(1)(甲2の2)において、当該実証実験の結果は、21B12抗体と競合する抗体はPCSK9とLDLRとの結合を中和するであろうという考えが科学的に誤りであることを示す旨述べられているように、当該実証実験の結果は、21B12抗体と競合する抗体は、結合中和抗体である蓋然性が高いのではなく、むしろ低いことを示している。また、欧州特許庁の異議申立抗告審の口頭審理においても、21B12抗体と競合する抗体であるからといって、当該抗体自体と同様の性質を有する抗体であるとはいえない旨判断された。
このとおり、本件明細書の記載からも、科学的事実としても、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」ということはできないから、本件特許発明は、明細書において課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えるものである。
イ 無効理由1-2
本件特許発明に係る抗体は、アミノ酸配列によって特定されていないから、LDLRが結合するPCSK9の表面上のアミノ酸の大部分を認識するような結合中和抗体、いわゆる「EGFaミミック抗体」(LDLRのうちPCSK9に結合するドメインはEGFaドメインと呼ばれるため、こう称される。)をも含む。
それに対して、本件明細書には、PCSK9の表面上のLDLR結合部位のうちわずか一部にしか結合しない抗体が記載されているのみで、EGFaミミック抗体は記載されていない。
また、本件特許発明の発明者自身が、本件特許出願日よりも後の2012年のeメール(甲4の1)で「現在、EGFaミミック抗体を取得できていない」旨を述べ、同年の被請求人のプレゼンテーション資料(甲4の2)においてLDLR上のEGFa結合部位が「見つからないエピトープ」と記載されていることから、本件特許優先日の約5年後においても、本件明細書に記載された方法ではEGFaミミック抗体が得られないといえる。
したがって、本件特許発明のうちEGFaミミック抗体に関する部分は本件明細書に記載されているということができない。
ウ 無効理由1-3
知財高裁判決(平成24年(行ケ)10151号、平成28年(ネ)10010号、平成27年(行ケ)10231号)が述べるとおり、サポート要件は特許請求の範囲全体において満たされるべきであるところ、本件特許発明は、「競合」や「中和」の程度に関して特定がないから、21B12抗体との競合の程度が低い抗体をも包含する。
それに対して、本件明細書には、21B12抗体との競合の程度が低い抗体が、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である蓋然性が高いと当業者が理解し得る記載はないし、そのような技術常識もない。
したがって、本件特許発明に包含される21B12抗体との競合の程度が低い抗体について、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体の提供という本件特許発明の課題を解決できると当業者が認識することはできない。
(2)当審の判断
ア 本件明細書の記載事項
・・・
イ サポート要件の適合性
本件特許発明は、上記第2のとおり、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」るという特性(発明特定事項)と、「PCSK9との結合に関して21B12抗体と競合する」という特性(発明特定事項)との両方を兼ね備えた「単離されたモノクローナル抗体」及びこれ「を含む医薬組成物」であって、本件明細書の記載(上記ア(ア)及び(カ))によれば、本件特許発明の課題は、このような新規な抗体を提供し、これを含む医薬組成物を作製することで、PCSK9とLDLRとの結合を中和し、LDLRの量を増加させることにより、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し、又は予防し、疾患のリスクを低減することにあると理解することができる。
これに対して、本件明細書には、抗PCSK9モノクローナル抗体の作製方法(免疫化マウスの作製、免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製)、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体をスクリーニングする方法、21B12抗体と競合する抗体をスクリーニングする方法が具体的に記載されている(上記ア(キ)、(ク)及び(ケ))。そして、実施例には、ヒト免疫グロブリン遺伝子を含有する二つのグループのマウスにヒトPCSK9抗原を注射して得たハイブリドーマから、PCSK9とLDLRとの結合を強く中和する抗体を産生するものを選択し、それらの抗体のエピトープビニングを行った、2つの独立した実験の結果が示されており、実施例10(上記ア(コ)及び(サ))ではPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体32個のうち21B12抗体と競合する抗体(ビン1)は19個(59%)、実施例37(上記ア(シ)及び(ス))ではPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体39個のうち、21B12抗体と競合する抗体(ビン1及び2)は22個(56%)であった。このとおり、本件明細書には、抗PCSK9モノクローナル抗体に対して「PCSK9とLDLRとの結合を中和することができ」るものを選択するスクリーニング、及び「21B12抗体と競合する」ものを選択するスクリーニング、の2回のスクリーニングを施すことにより、十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも繰り返し同定することができることが具体的に示されている。そして、本件明細書には、PCSK9とLDLRとの結合を中和することにより、LDLRの量を増加させ、対象中の血清コレステロールの低下をもたらすという作用機序が記載されているのだから(上記ア(カ))、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」るという特性を有する本件特許発明の抗体が、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し、又は予防し、疾患のリスクを低減するという課題を解決できるものであることを合理的に認識できる。
したがって、当業者であれば、本件明細書の記載から本件特許発明の抗体が上記課題を解決できることを認識できるものと認められ、本件特許発明は明細書に記載された範囲内のものであるといえるから、本件特許は、サポート要件に適合している。
ウ 無効理由1-1について
請求人は、本件特許発明の解決すべき課題は、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を提供するという周知の課題であるのに対して、本件特許発明の構成は、単に「21B12抗体と競合する抗体」であることだけであるとして、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と当業者が理解できるように明細書が記載されていなくては、サポート要件は満たされない旨主張する。
しかし、本件特許発明は上記第2のとおりのもので、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」るという特性(発明特定事項)と、「21B12抗体と競合する」という特性(発明特定事項)とは、「抗体」という物の発明を特定するためにそれぞれ独立して並列に記載された、「抗体」の特性に関する別個の発明特定事項であるのだから、本件がサポート要件に適合するには、上記イで判断したとおり、「PCSK9とLDLRとの結合を中和することができ」ることと「21B12抗体と競合する」ことの両方を兼ね備えた「モノクローナル抗体」が明細書に記載されたものであれば足りる。上記2つの別個の発明特定事項を課題と構成、あるいは結果と原因のように関連づける請求人の上記主張は、特許請求の範囲の記載に基づかないものであるから、採用することができない。
なお、請求人は、フレンツェル博士の供述書(1)(甲2の1)の実証実験において、周知技術により得られた、21B12抗体と競合する抗体13個のうち10個(約8割)がPCSK9とLDLRとの結合を中和することのできない抗体であったこと及び当該実験結果に関するライヒマン博士の供述書(1)(甲2の2)から、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」ことは科学的にも誤りである旨主張するが、上述のとおりであるから、フレンツェル博士の供述書(1)(甲2の1)の実証実験の結果及びそれに関するライヒマン博士の供述書(1)は本件のサポート要件適合性に影響を与えるものではない。むしろ、上記実証実験の結果は、本件がサポート要件に適合するものであることを裏付けている。すなわち、上記実証実験では、本件明細書に記載されたのと同様の方法で作製された抗PCSK9モノクローナル抗体からスクリーニングされた、21B12抗体と競合する抗体13個のうち3個(23%)がPCSK9とLDLRとの結合を中和するものであったことが示されており、このことは、「PCSK9とLDLRとの結合を中和することができ」ることについてのスクリーニングと「21B12抗体と競合する」ことについてのスクリーニングの順序を本件明細書の実施例とは逆にしても十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも得ることができることを示している。
したがって、フレンツェル博士の供述書(1)及びライヒマン博士の供述書(1)の内容を検討しても、本件特許が無効理由1-1によりサポート要件に違反するということはできない。
エ 無効理由1-2について
請求人は、特許権者は本件特許発明に含まれる「EGFaミミック抗体」を本件優先日の約5年後においても見つけることができていなかったことから、本件特許発明のうち「EGFaミミック抗体」は本件明細書に記載されたものではない旨主張する。
しかし、サポート要件は、特許請求の範囲の記載と明細書の記載を対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、明細書に記載された発明であり、明細書の記載、その示唆又は出願時の技術常識により当業者が発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かについて、出願日の技術水準により判断されるべきものであって、出願後の研究開発の進捗により左右されるものではない。そして、本件の特許請求の範囲の記載と明細書の記載とを対比した結果、サポート要件に適合することは、上記イで判断したとおりである。
したがって、請求人が主張する無効理由1-2により、本件特許がサポート要件に違反するということはできない。
オ 無効理由1-3について
無効理由1-3は、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と当業者が理解できるように明細書が記載されていなくては、サポート要件は満たされないことを前提とするものである。
しかし、上記ウで述べたとおり、上記前提は採用することのできないものである。そして、上記イのとおり、本件特許はサポート要件を満たしているのだから、請求人が主張する無効理由1-3により本件特許がサポート要件に違反するということはできない。
カ 小括
以上のとおりであるから、請求人が主張する無効理由1は理由がない。
2 無効理由2(実施可能要件違反)について
(1)請求人の主張の具体的内容
ア 無効理由2-1
知財高裁判決(平成30年(行ケ)10043号)が述べるとおり、実施可能要件は特許請求の範囲の全体について、当業者が過度の試行錯誤なく実施できる必要があるところ、本件特許発明には、膨大な数の、個性豊かな全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体が含まれる。
それに対して、本件明細書には、動物免疫法を用いてPCSK9に結合するモノクローナル抗体を多数作製し、結合中和アッセイによりPCSK9とLDLRとの結合を中和できる抗体を取得したことが記載されているに過ぎず、実施例で得られた抗体も本件特許発明に含まれる膨大な数の抗体のうちのわずか一部に過ぎない。
本件明細書は、本件特許の発明者が実施例の抗体を取得するために行った研究プロセスと同じプロセス以上のロードマップは与えておらず、当業者は本件特許の発明者と実質的に同じ量の過度の試行錯誤や実験を繰り返さなければならないのだから、本件特許は、実施可能要件に違反している。本件特許に対応する米国特許について、米国裁判所もそう判断したとおりである(甲3)。
イ 無効理由2-2
本件特許発明に係る抗体は、アミノ酸配列によって特定されていないから、LDLRが結合するPCSK9の表面上のアミノ酸の大部分を認識するような結合中和抗体、いわゆる「EGFaミミック抗体」(LDLRのうちPCSK9に結合するドメインはEGFaドメインと呼ばれるため、こう称される。)をも含む。
それに対して、本件明細書には、PCSK9の表面上のLDLR結合部位のうちわずか一部にしか結合しない抗体が記載されているのみで、EGFaミミック抗体は記載されていない。被請求人は、本件明細書の実施例(表37.1のビン2)に記載された12H11抗体がEGFaミミック抗体である旨主張するが、12H11抗体のエピトープとして記載されたアミノ酸のうちEGFa結合部位と重複するのは153位と381位のわずか2つのみであるから、EGFaミミック抗体であるとはいえない。
また、本件明細書に記載された方法を最も熟知し、当業者の水準を超えた研究能力を有する本件特許発明の発明者自身が、本件特許優先日の約5年後のeメール(甲4の1)で「現在、EGFaミミック抗体を取得できていない」旨を述べ、同時期の被請求人のプレゼンテーション資料(甲4の2)にもLDLR上のEGFa結合部位が「見つからないエピトープ」と記載されていることから、本件明細書に記載された方法では、当業者が過度の試行錯誤や実験を強いられることなくEGFaミミック抗体を製造し得たとはいえない。
したがって、本件特許発明のうち少なくともEGFaミミック抗体に関する部分は、実施可能要件に違反している。
ウ 無効理由2-3
本件特許発明は、「競合」や「中和」の程度に関して特定がないから、21B12抗体との競合の程度が低い抗体も包含する。
それに対して、本件明細書には、21B12抗体との競合の程度が低い抗体が、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である蓋然性が高いと当業者が理解し得る記載はないし、そのような技術常識もない。
したがって、21B12抗体との競合の程度が低い抗体であってPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を、当業者が過度の試行錯誤及び実験を強いられることなく製造し得たということはできない。
(2)当審の判断
ア 実施可能要件の適合性
本件明細書には、抗PCSK9モノクローナル抗体の作製方法(免疫化マウスの作製、免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製)、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体をスクリーニングする方法、及び21B12抗体と競合する抗体をスクリーニングする方法といった、本件特許発明の抗体を作製するための方法が具体的に記載されるとともに(上記1(2)ア(キ)、(ク)及び(ケ))、抗PCSK9モノクローナル抗体に対してPCSK9とLDLRとの結合を中和することができること、及び21B12抗体と競合することの2つのスクリーニングを施すことにより、十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも繰り返し同定することができることが具体的データにより示されている(上記1(2)ア(コ)、(サ)、(シ)及び(ス))。したがって、当業者は、本件明細書の具体的な記載に基づいて、抗PCSK9抗体を作製し、それらにPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体をスクリーニングする方法、及び21B12抗体と競合する抗体をスクリーニングする方法を施すことにより、十分に高い確率で本件特許発明の抗体を製造することができるといえる。そして、抗体の結合領域の構造(アミノ酸配列)は、免疫化された動物の免疫細胞における抗体遺伝子の再構成の結果物であるのだから、当業者であれば、本件明細書の上記記載を手がかりに、免疫化される動物の種類や免疫化プログラムを変更することにより、本件特許発明に含まれる、実施例以外の多種多様な抗体を無数に製造することができると、合理的に理解するものと認められる。
このとおり、本件明細書は、当業者に過度な負担を強いることなく本件特許発明の抗体を取得することができる程度に記載されており、実施可能要件に適合する。
イ 無効理由2-1について
請求人は、実施例では本件特許発明に含まれる膨大な数の抗体のうちのわずか一部しか製造していない、本件明細書は、本件特許の発明者が実施例の抗体を取得するために行った研究プロセスと同じプロセス以上のロードマップは与えておらず、当業者は本件特許の発明者と実質的に同じ量の過度の試行錯誤や実験を繰り返さなければならない旨主張する。
しかし、上記アで述べたとおり、本件明細書には、十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも繰り返し同定することができることが具体的手法とともに記載されているのだから、本件明細書に接した当業者は、上記記載に基づく手法により本件特許発明の範囲に含まれる様々な抗体を製造することができるのであって、21B12抗体を得る前の本件特許の発明者ほどの試行錯誤や実験を行う必要はない。そして、抗体の結合領域の構造(アミノ酸配列)は、免疫化された動物の免疫細胞における抗体遺伝子の再構成の結果物であるのだから、当業者であれば、本件明細書の記載を手がかりに、免疫化される動物の種類や免疫化プログラムを適宜変更することにより、本件特許発明全体にわたる、膨大な数の、個性豊かな全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体を製造することができるものと認められる。
したがって、請求人が主張する無効理由2-1により、本件特許が実施可能要件に違反するということはできない。
ウ 無効理由2-2について
請求人は、特許権者は本件特許発明に含まれる「EGFaミミック抗体」を本件優先日の約5年後においても見つけることができていなかったのだから、本件特許発明のうち、少なくとも「EGFaミミック抗体」に関する部分は、実施可能要件に違反している旨主張する。
しかし、実施可能要件は、当業者が、明細書に記載された発明の実施についての説明と出願時の技術常識に基づいて、発明をどのように実施するかを理解できるか否かについて、出願日の技術水準により判断されるべきものであって、出願後の研究開発の進捗により左右されるものではない。
そして、本件特許が実施可能要件に適合することは、上記アで判断したとおりである。
したがって、請求人が主張する無効理由2-2により、本件特許が実施可能要件に違反するということはできない。
エ 無効理由2-3について
無効理由2-3は、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と当業者が理解できるように明細書が記載されていなくては、実施可能要件は満たされないことを前提とするものである。
しかし、上記1(2)ウで述べたとおり、上記前提は採用することのできないものである。そして、上記アのとおり、本件特許は実施可能要件を満たしているのだから、請求人が主張する無効理由2-3により本件特許が実施可能要件に違反するということはできない。
オ 小括
以上のとおりであるから、請求人が主張する無効理由2は理由がない。
3 無効理由3(進歩性欠如)について
(1)甲1に記載された発明
本件優先日前に発行された学術論文である甲1は、その題名「家族性高コレステロール血症に関連するPCSK9及びその変異体の構造的及び生物物理学的研究」及び要約(甲1-1)のとおり、家族性高コレステロール血症に関連する機能獲得型PCSK9突然変異体の構造やLDLRとの結合について野生型PCSK9と比較した研究を開示するものである。甲1には、具体的に製造され、LDLRとの結合性が測定されたものとして(甲1-6、甲1-7)、次のとおりの発明が開示されていると認められる。
「LDLRと結合するPCSK9である、機能獲得型PCSK9突然変異体F216L、S127R、D374Y、又は野生型PCSK9。」(以下、「甲1発明」という。)
なお、請求人は、甲1には、「PCSK9に結合して、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体。」の発明が記載されている旨主張する。しかし、甲1には、抗PCSK9抗体については、「血漿中のPCSK9に結合し、そのLDLRとの結合を阻害する抗体や低分子もPCSK9の機能の効果的な阻害剤となり得る。」(甲1-12)という、概念的な記載があるだけで、具体的な抗体やその取得については何ら記載されておらず、実際に、首尾よく血漿中のPCSK9に結合してLDLRとの結合を中和するような抗体が取得できるかどうかも不明である。したがって、請求人の上記主張は採用することができない。
(2)本件特許発明1について
ア 本件特許発明1と甲1発明との対比
本件特許発明1の「モノクローナル抗体」及び甲1発明の「PCSK9」はともにタンパク質であるから、両者は、タンパク質である点で一致し、次の点で相違する。
相違点: 本件特許発明1は、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体」であるのに対して、甲1発明は、「LDLRと結合するPCSK9である、機能獲得型PCSK9突然変異体F216L、S127R、D374Y、又は野生型PCSK9」である点。
イ 相違点についての判断
甲1には、PCSK9に結合する抗体に関して、「遺伝的証拠は、PCSK9が心血管疾患の治療のための魅力的な標的であることを示唆する。・・・血漿中のPCSK9に結合し、そのLDLRとの結合を阻害する抗体や低分子もPCSK9の機能の効果的な阻害剤となり得る。」(甲1-12)と記載され、PCSK9上のLDLRと結合する部分に関して、「3つの全てのドメインがLDLRに対する広範にわたる結合面の形成に関与していることを示唆する。」(甲1-11)と記載されている。そうすると、これらの記載から、請求人が主張するとおり、動物免疫法やファージディスプレイ法といったモノクローナル抗体を得る手法を用いてPCSK9全長を抗原として抗PCSK9抗体を得て、その中からPCSK9とLDLRとの結合を中和するものをスクリーニングすることによって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する、何らかの抗PCSK9モノクローナル抗体を得ることができる可能性までは認めることができる。
そして、抗原として、そのようなPCSK9全長を用いて得られた抗PCSK9モノクローナル抗体には、PCSK9の表面に存在するあらゆるエピトープのそれぞれに対して結合性を有する多種多様な抗体が包含されるところ、PCSK9上のLDLRとの結合面は、上記(甲1-11)の記載のとおり、3つの全てのドメインにわたる相当程度の大きさを有しており、その中には相当多数のエピトープが含まれていると解される。よって、抗原としてPCSK9全長を用いて得られた抗PCSK9モノクローナル抗体の中から結合中和アッセイによりスクリーニングして得られた、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗PCSK9モノクローナル抗体には、結合面や結合面周辺に存在する様々なエピトープに結合する、相当多種類のモノクローナル抗体が包含されると考えられる。したがって、PCSK9とLDLRとの結合を中和することができる抗PCSK9モノクローナル抗体の中から21B12抗体と競合するものを取得するためには、21B12抗体との競合アッセイを行って選択することが不可欠であって、そのためには21B12抗体が得られていることが前提となる。
しかしながら、甲1には、21B12抗体について記載も示唆もなく、PCSK9とLDLRとの結合を阻害することができる抗PCSK9モノクローナル抗体の中から21B12抗体や、PCSK9との結合に関して21B12抗体と競合するモノクローナル抗体を得るための手がかりとなるような情報は何ら記載されていない。また、21B12抗体が本件優先日前に広く知られたものであったとも認めることができない。
このとおり、当業者といえども、21B12抗体と競合するモノクローナル抗体の取得に至ることはできないから、「21B12抗体と競合する」ことを発明構成要件とする本件特許発明1は、甲1発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。
(3)本件特許発明9について
上記(2)で述べたとおり、本件特許発明1は甲1発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものではないのだから、本件特許発明1の抗体を含む医薬組成物である本件特許発明9についても同様である。
(4)請求人の主張について
ア 請求人の主張
(ア)無効理由3-1
次のa及びbのとおり、甲1及び周知技術に基づいてPCSK9全長を抗原として、LDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体を取得するだけで、本件特許発明1に含まれる抗体を容易に取得することができる。
a 21B12抗体は、PCSK9とLDLRとの結合部位に結合するため、PCSK9とLDLRとの結合を阻害する結合中和抗体には21B12抗体と競合する抗体が少なからず含まれる。
b フレンチェル博士の供述書(1)(甲2の1)に記載された実験結果は、本件優先日当時の周知技術を用いてPCSK9全長を抗原として結合中和抗体を得たところ、そのうちの約4割(8個中3個)が、21B12抗体と競合したことを示している。また、当該実験結果について、ライヒマン博士は、その供述書(1)(甲2の2)において、本件優先日当時の平均的スキルを持つ科学者であれば、標準的技術を用いて、PCSK9-LDLR結合中和抗体を得られたであろうこと、それらのうちの多くが21B12抗体と競合したであろうことが明らかである旨述べている。
(イ)無効理由3-2
甲1には、PCSK9の374位がPCSK9とLDLRとの結合において重要であり、当該374位がPCSK9の表面に位置することが立体構造モデルと共に示されているから、当業者は、PCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として結合中和モノクローナル抗体を取得することを動機付けられる。
そして、次のa及びbのとおり、甲1及び周知技術に基づいてPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、LDLRとの結合中和モノクローナル抗体を取得するだけで、本件特許発明1に含まれる抗体を容易に取得することができる。
a 21B12抗体は、PCSK9とLDLRとの結合部位に結合するため、PCSK9とLDLRとの結合を阻害する結合中和抗体には21B12抗体と競合する抗体が少なからず含まれる。
b フレンチェル博士の供述書(2)(甲5の1)に記載された実験結果は、本件優先日当時の周知技術を用いてPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として結合中和抗体を得たところ、全ての抗体が、21B12抗体と競合したことを示している。また、当該実験結果について、ライヒマン博士は、その供述書(2)(甲5の2)において、本件優先日当時の平均的スキルを持つ科学者であれば、標準的技術等を用いて、PCSK9-LDLR結合を中和し、かつPCSK9との結合に際し、21B12抗体と競合する抗体を作成できたであろうことが明らかである旨述べている。
イ 請求人の主張についての判断
(ア)無効理由3-1について
無効理由3-1は、甲1及び周知技術に基づいてPCSK9全長を抗原としてLDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体を取得すると、その中の一部は21B12抗体と競合し、本件特許発明1の抗体に該当するから、本件特許発明は進歩性を欠如するというものである。
しかし、甲1及び周知技術から当業者が容易に想到し得るモノクローナル抗体の中の一部に本件特許発明も含まれるからといって、それだけで本件特許発明の進歩性が否定されるわけではない。言い換えれば、甲1及び周知技術から当業者が容易に想到し得るモノクローナル抗体は、21B12抗体と競合するかしないかを問わないものにとどまり、本件特許発明ではない。そして、上記(2)イでも述べたとおり、本件特許発明に至るためには、21B12抗体と競合するものを選択することが不可欠であるところ、請求人の提出するいずれの証拠も、PCSK9全長を抗原として取得した、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗PCSK9モノクローナル抗体の中から、21B12抗体と競合するものを選択する動機や手法を記載も示唆もしていないのだから、本件特許発明を容易に推考することができたということはできない。
念のため、請求人が提出する証拠について検討してみると、フレンチェル博士の供述書(1)の実験では、PCSK9全長を抗原として取得した、LDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体の8個中3個しか21B12抗体と競合しなかったことが示されており、本件特許発明に至るためには、21B12抗体と競合するものを選択する必要があることを裏付けている。また、ライヒマン博士の供述書(1)は、当該実験結果の考察を述べるにとどまり、21B12抗体と競合するものを選択することの動機や手法を示すものではなく、21B12抗体が与えられて初めて示すことのできた知見を示すものにすぎない。
したがって、請求人が主張する無効理由3-1は採用することができない。
(イ)無効理由3-2について
無効理由3-2は、甲1の開示により、当業者がPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を取得することが動機付けられることを前提とするものである。
しかしながら、甲1においてPCSK9の374位について示された事項は、家族性高コレステロール血症に関連するPCSK9のD374Y変異体のLDLRへの結合親和性が、pH7.5及びpH5.4のいずれにおいても野生型の約25倍の高さであったこと(甲1-7)、及びPCSK9において374位は分子表面に位置すること(甲1-4)にすぎず、374位がLDLRとの結合面に存在するかどうか、374位がLDLRとの結合に寄与するかどうかについては何ら記載されていない。タンパク質におけるアミノ酸変異が当該タンパク質の立体構造や電荷状態の変化を引き起こす場合があり、その変化は必ずしも変異箇所近辺にとどまるわけではないことが技術常識であるから、野生型PCSK9の374位のDからYへの変異がPCSK9全体の立体構造や電荷状態にどのような変化をもたらしたことによりLDLRとの結合親和性が上昇したのかは結晶構造解析等によって分析しなくてはわからないことであって、374位という位置自体がLDLRへの結合に重要な部分であるかどうかは不明である。むしろ、甲1には、PCSK9のプロドメインに位置する127位がSからRに変異したS127変異体もLDLRへの結合親和性が大幅に増大したことが示されており(甲1-7)、その他の実験結果と併せて、PCSK9のN末端プロドメイン、触媒ドメイン及びC末端ドメインの3つのドメイン全てがLDLRへの結合面の形成に関与していることが示唆される旨記載されている(甲1-11)。
このとおり、甲1の開示により、当業者がPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を取得することが動機付けられるということはできないから、無効理由3-2はその前提において誤りがある。したがって、PCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として用いた、フレンチェル博士の供述書(2)(甲5の1)に記載された実験の結果や、それについて考察したライヒマン博士の供述書(2)(甲5の2)の内容を考慮することもできない。
また、仮に、PCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を取得することが動機づけられたとしても、上記(ア)で述べたとおり、請求人の提出するいずれの証拠も、PCSK9とLDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体の中から、21B12抗体と競合するものを選択する動機や手法を記載も示唆もしておらず、21B12抗体が与えられて初めて示すことのできた知見を提示するものにすぎないのだから、本件特許発明を容易に想到することができたということはできない。
したがって、請求人が主張する無効理由3-2は採用することができない。
(5)小括
以上のとおりであるから、請求人が主張する無効理由3は理由がない。
当審は、無効理由1~5は、いずれも理由がないと判断する。その理由は、以下のとおりである。
1 無効理由1(サポート要件違反)について
(1)請求人の主張の具体的内容
ア 無効理由1-1
本件特許発明の解決すべき課題は、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を提供するという周知の課題であるのに対して、本件特許発明の構成は、単に「21B12抗体と競合する抗体」であるということだけである。請求項1に「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」と、解決すべき課題が記載されているからといって、サポート要件が充足されると判断されてはならない。例えば、平成28年(行ケ)10189号判決においてそのような判示がなされている。
本件特許発明がサポート要件に適合するためには、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と、当業者が理解できるように明細書が記載されていなくてはならない。
しかしながら、本件明細書には、先に「PCSK9とLDLRとの結合を中和する」ことでスクリーニングした抗体の中から、次に「21B12抗体と競合する」ことによりスクリーニングして得られた抗体が記載されているにすぎないから、21B12抗体と競合する抗体であれば、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体であることが示されているとはいえない。
また、科学的事実としても、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体」である」ということはできない。すなわち、フレンツェル博士の供述書(1)(甲2の1)の実証実験において、周知技術により得られた、21B12抗体と競合する抗体13個のうち10個(約8割)がPCSK9とLDLRとの結合を中和することのできない抗体であったことが示されている。そして、ライヒマン博士の供述書(1)(甲2の2)において、当該実証実験の結果は、21B12抗体と競合する抗体はPCSK9とLDLRとの結合を中和するであろうという考えが科学的に誤りであることを示す旨述べられているように、当該実証実験の結果は、21B12抗体と競合する抗体は、結合中和抗体である蓋然性が高いのではなく、むしろ低いことを示している。また、欧州特許庁の異議申立抗告審の口頭審理においても、21B12抗体と競合する抗体であるからといって、当該抗体自体と同様の性質を有する抗体であるとはいえない旨判断された。
このとおり、本件明細書の記載からも、科学的事実としても、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」ということはできないから、本件特許発明は、明細書において課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えるものである。
イ 無効理由1-2
本件特許発明に係る抗体は、アミノ酸配列によって特定されていないから、LDLRが結合するPCSK9の表面上のアミノ酸の大部分を認識するような結合中和抗体、いわゆる「EGFaミミック抗体」(LDLRのうちPCSK9に結合するドメインはEGFaドメインと呼ばれるため、こう称される。)をも含む。
それに対して、本件明細書には、PCSK9の表面上のLDLR結合部位のうちわずか一部にしか結合しない抗体が記載されているのみで、EGFaミミック抗体は記載されていない。
また、本件特許発明の発明者自身が、本件特許出願日よりも後の2012年のeメール(甲4の1)で「現在、EGFaミミック抗体を取得できていない」旨を述べ、同年の被請求人のプレゼンテーション資料(甲4の2)においてLDLR上のEGFa結合部位が「見つからないエピトープ」と記載されていることから、本件特許優先日の約5年後においても、本件明細書に記載された方法ではEGFaミミック抗体が得られないといえる。
したがって、本件特許発明のうちEGFaミミック抗体に関する部分は本件明細書に記載されているということができない。
ウ 無効理由1-3
知財高裁判決(平成24年(行ケ)10151号、平成28年(ネ)10010号、平成27年(行ケ)10231号)が述べるとおり、サポート要件は特許請求の範囲全体において満たされるべきであるところ、本件特許発明は、「競合」や「中和」の程度に関して特定がないから、21B12抗体との競合の程度が低い抗体をも包含する。
それに対して、本件明細書には、21B12抗体との競合の程度が低い抗体が、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である蓋然性が高いと当業者が理解し得る記載はないし、そのような技術常識もない。
したがって、本件特許発明に包含される21B12抗体との競合の程度が低い抗体について、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体の提供という本件特許発明の課題を解決できると当業者が認識することはできない。
(2)当審の判断
ア 本件明細書の記載事項
・・・
イ サポート要件の適合性
本件特許発明は、上記第2のとおり、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」るという特性(発明特定事項)と、「PCSK9との結合に関して21B12抗体と競合する」という特性(発明特定事項)との両方を兼ね備えた「単離されたモノクローナル抗体」及びこれ「を含む医薬組成物」であって、本件明細書の記載(上記ア(ア)及び(カ))によれば、本件特許発明の課題は、このような新規な抗体を提供し、これを含む医薬組成物を作製することで、PCSK9とLDLRとの結合を中和し、LDLRの量を増加させることにより、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し、又は予防し、疾患のリスクを低減することにあると理解することができる。
これに対して、本件明細書には、抗PCSK9モノクローナル抗体の作製方法(免疫化マウスの作製、免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製)、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体をスクリーニングする方法、21B12抗体と競合する抗体をスクリーニングする方法が具体的に記載されている(上記ア(キ)、(ク)及び(ケ))。そして、実施例には、ヒト免疫グロブリン遺伝子を含有する二つのグループのマウスにヒトPCSK9抗原を注射して得たハイブリドーマから、PCSK9とLDLRとの結合を強く中和する抗体を産生するものを選択し、それらの抗体のエピトープビニングを行った、2つの独立した実験の結果が示されており、実施例10(上記ア(コ)及び(サ))ではPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体32個のうち21B12抗体と競合する抗体(ビン1)は19個(59%)、実施例37(上記ア(シ)及び(ス))ではPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体39個のうち、21B12抗体と競合する抗体(ビン1及び2)は22個(56%)であった。このとおり、本件明細書には、抗PCSK9モノクローナル抗体に対して「PCSK9とLDLRとの結合を中和することができ」るものを選択するスクリーニング、及び「21B12抗体と競合する」ものを選択するスクリーニング、の2回のスクリーニングを施すことにより、十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも繰り返し同定することができることが具体的に示されている。そして、本件明細書には、PCSK9とLDLRとの結合を中和することにより、LDLRの量を増加させ、対象中の血清コレステロールの低下をもたらすという作用機序が記載されているのだから(上記ア(カ))、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」るという特性を有する本件特許発明の抗体が、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し、又は予防し、疾患のリスクを低減するという課題を解決できるものであることを合理的に認識できる。
したがって、当業者であれば、本件明細書の記載から本件特許発明の抗体が上記課題を解決できることを認識できるものと認められ、本件特許発明は明細書に記載された範囲内のものであるといえるから、本件特許は、サポート要件に適合している。
ウ 無効理由1-1について
請求人は、本件特許発明の解決すべき課題は、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を提供するという周知の課題であるのに対して、本件特許発明の構成は、単に「21B12抗体と競合する抗体」であることだけであるとして、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と当業者が理解できるように明細書が記載されていなくては、サポート要件は満たされない旨主張する。
しかし、本件特許発明は上記第2のとおりのもので、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」るという特性(発明特定事項)と、「21B12抗体と競合する」という特性(発明特定事項)とは、「抗体」という物の発明を特定するためにそれぞれ独立して並列に記載された、「抗体」の特性に関する別個の発明特定事項であるのだから、本件がサポート要件に適合するには、上記イで判断したとおり、「PCSK9とLDLRとの結合を中和することができ」ることと「21B12抗体と競合する」ことの両方を兼ね備えた「モノクローナル抗体」が明細書に記載されたものであれば足りる。上記2つの別個の発明特定事項を課題と構成、あるいは結果と原因のように関連づける請求人の上記主張は、特許請求の範囲の記載に基づかないものであるから、採用することができない。
なお、請求人は、フレンツェル博士の供述書(1)(甲2の1)の実証実験において、周知技術により得られた、21B12抗体と競合する抗体13個のうち10個(約8割)がPCSK9とLDLRとの結合を中和することのできない抗体であったこと及び当該実験結果に関するライヒマン博士の供述書(1)(甲2の2)から、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」ことは科学的にも誤りである旨主張するが、上述のとおりであるから、フレンツェル博士の供述書(1)(甲2の1)の実証実験の結果及びそれに関するライヒマン博士の供述書(1)は本件のサポート要件適合性に影響を与えるものではない。むしろ、上記実証実験の結果は、本件がサポート要件に適合するものであることを裏付けている。すなわち、上記実証実験では、本件明細書に記載されたのと同様の方法で作製された抗PCSK9モノクローナル抗体からスクリーニングされた、21B12抗体と競合する抗体13個のうち3個(23%)がPCSK9とLDLRとの結合を中和するものであったことが示されており、このことは、「PCSK9とLDLRとの結合を中和することができ」ることについてのスクリーニングと「21B12抗体と競合する」ことについてのスクリーニングの順序を本件明細書の実施例とは逆にしても十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも得ることができることを示している。
したがって、フレンツェル博士の供述書(1)及びライヒマン博士の供述書(1)の内容を検討しても、本件特許が無効理由1-1によりサポート要件に違反するということはできない。
エ 無効理由1-2について
請求人は、特許権者は本件特許発明に含まれる「EGFaミミック抗体」を本件優先日の約5年後においても見つけることができていなかったことから、本件特許発明のうち「EGFaミミック抗体」は本件明細書に記載されたものではない旨主張する。
しかし、サポート要件は、特許請求の範囲の記載と明細書の記載を対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、明細書に記載された発明であり、明細書の記載、その示唆又は出願時の技術常識により当業者が発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かについて、出願日の技術水準により判断されるべきものであって、出願後の研究開発の進捗により左右されるものではない。そして、本件の特許請求の範囲の記載と明細書の記載とを対比した結果、サポート要件に適合することは、上記イで判断したとおりである。
したがって、請求人が主張する無効理由1-2により、本件特許がサポート要件に違反するということはできない。
オ 無効理由1-3について
無効理由1-3は、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と当業者が理解できるように明細書が記載されていなくては、サポート要件は満たされないことを前提とするものである。
しかし、上記ウで述べたとおり、上記前提は採用することのできないものである。そして、上記イのとおり、本件特許はサポート要件を満たしているのだから、請求人が主張する無効理由1-3により本件特許がサポート要件に違反するということはできない。
カ 小括
以上のとおりであるから、請求人が主張する無効理由1は理由がない。
2 無効理由2(実施可能要件違反)について
(1)請求人の主張の具体的内容
ア 無効理由2-1
知財高裁判決(平成30年(行ケ)10043号)が述べるとおり、実施可能要件は特許請求の範囲の全体について、当業者が過度の試行錯誤なく実施できる必要があるところ、本件特許発明には、膨大な数の、個性豊かな全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体が含まれる。
それに対して、本件明細書には、動物免疫法を用いてPCSK9に結合するモノクローナル抗体を多数作製し、結合中和アッセイによりPCSK9とLDLRとの結合を中和できる抗体を取得したことが記載されているに過ぎず、実施例で得られた抗体も本件特許発明に含まれる膨大な数の抗体のうちのわずか一部に過ぎない。
本件明細書は、本件特許の発明者が実施例の抗体を取得するために行った研究プロセスと同じプロセス以上のロードマップは与えておらず、当業者は本件特許の発明者と実質的に同じ量の過度の試行錯誤や実験を繰り返さなければならないのだから、本件特許は、実施可能要件に違反している。本件特許に対応する米国特許について、米国裁判所もそう判断したとおりである(甲3)。
イ 無効理由2-2
本件特許発明に係る抗体は、アミノ酸配列によって特定されていないから、LDLRが結合するPCSK9の表面上のアミノ酸の大部分を認識するような結合中和抗体、いわゆる「EGFaミミック抗体」(LDLRのうちPCSK9に結合するドメインはEGFaドメインと呼ばれるため、こう称される。)をも含む。
それに対して、本件明細書には、PCSK9の表面上のLDLR結合部位のうちわずか一部にしか結合しない抗体が記載されているのみで、EGFaミミック抗体は記載されていない。被請求人は、本件明細書の実施例(表37.1のビン2)に記載された12H11抗体がEGFaミミック抗体である旨主張するが、12H11抗体のエピトープとして記載されたアミノ酸のうちEGFa結合部位と重複するのは153位と381位のわずか2つのみであるから、EGFaミミック抗体であるとはいえない。
また、本件明細書に記載された方法を最も熟知し、当業者の水準を超えた研究能力を有する本件特許発明の発明者自身が、本件特許優先日の約5年後のeメール(甲4の1)で「現在、EGFaミミック抗体を取得できていない」旨を述べ、同時期の被請求人のプレゼンテーション資料(甲4の2)にもLDLR上のEGFa結合部位が「見つからないエピトープ」と記載されていることから、本件明細書に記載された方法では、当業者が過度の試行錯誤や実験を強いられることなくEGFaミミック抗体を製造し得たとはいえない。
したがって、本件特許発明のうち少なくともEGFaミミック抗体に関する部分は、実施可能要件に違反している。
ウ 無効理由2-3
本件特許発明は、「競合」や「中和」の程度に関して特定がないから、21B12抗体との競合の程度が低い抗体も包含する。
それに対して、本件明細書には、21B12抗体との競合の程度が低い抗体が、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である蓋然性が高いと当業者が理解し得る記載はないし、そのような技術常識もない。
したがって、21B12抗体との競合の程度が低い抗体であってPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を、当業者が過度の試行錯誤及び実験を強いられることなく製造し得たということはできない。
(2)当審の判断
ア 実施可能要件の適合性
本件明細書には、抗PCSK9モノクローナル抗体の作製方法(免疫化マウスの作製、免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製)、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体をスクリーニングする方法、及び21B12抗体と競合する抗体をスクリーニングする方法といった、本件特許発明の抗体を作製するための方法が具体的に記載されるとともに(上記1(2)ア(キ)、(ク)及び(ケ))、抗PCSK9モノクローナル抗体に対してPCSK9とLDLRとの結合を中和することができること、及び21B12抗体と競合することの2つのスクリーニングを施すことにより、十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも繰り返し同定することができることが具体的データにより示されている(上記1(2)ア(コ)、(サ)、(シ)及び(ス))。したがって、当業者は、本件明細書の具体的な記載に基づいて、抗PCSK9抗体を作製し、それらにPCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体をスクリーニングする方法、及び21B12抗体と競合する抗体をスクリーニングする方法を施すことにより、十分に高い確率で本件特許発明の抗体を製造することができるといえる。そして、抗体の結合領域の構造(アミノ酸配列)は、免疫化された動物の免疫細胞における抗体遺伝子の再構成の結果物であるのだから、当業者であれば、本件明細書の上記記載を手がかりに、免疫化される動物の種類や免疫化プログラムを変更することにより、本件特許発明に含まれる、実施例以外の多種多様な抗体を無数に製造することができると、合理的に理解するものと認められる。
このとおり、本件明細書は、当業者に過度な負担を強いることなく本件特許発明の抗体を取得することができる程度に記載されており、実施可能要件に適合する。
イ 無効理由2-1について
請求人は、実施例では本件特許発明に含まれる膨大な数の抗体のうちのわずか一部しか製造していない、本件明細書は、本件特許の発明者が実施例の抗体を取得するために行った研究プロセスと同じプロセス以上のロードマップは与えておらず、当業者は本件特許の発明者と実質的に同じ量の過度の試行錯誤や実験を繰り返さなければならない旨主張する。
しかし、上記アで述べたとおり、本件明細書には、十分に高い確率で本件特許発明の抗体をいくつも繰り返し同定することができることが具体的手法とともに記載されているのだから、本件明細書に接した当業者は、上記記載に基づく手法により本件特許発明の範囲に含まれる様々な抗体を製造することができるのであって、21B12抗体を得る前の本件特許の発明者ほどの試行錯誤や実験を行う必要はない。そして、抗体の結合領域の構造(アミノ酸配列)は、免疫化された動物の免疫細胞における抗体遺伝子の再構成の結果物であるのだから、当業者であれば、本件明細書の記載を手がかりに、免疫化される動物の種類や免疫化プログラムを適宜変更することにより、本件特許発明全体にわたる、膨大な数の、個性豊かな全く異なる種々の性質・構造・結合部位を有する抗体を製造することができるものと認められる。
したがって、請求人が主張する無効理由2-1により、本件特許が実施可能要件に違反するということはできない。
ウ 無効理由2-2について
請求人は、特許権者は本件特許発明に含まれる「EGFaミミック抗体」を本件優先日の約5年後においても見つけることができていなかったのだから、本件特許発明のうち、少なくとも「EGFaミミック抗体」に関する部分は、実施可能要件に違反している旨主張する。
しかし、実施可能要件は、当業者が、明細書に記載された発明の実施についての説明と出願時の技術常識に基づいて、発明をどのように実施するかを理解できるか否かについて、出願日の技術水準により判断されるべきものであって、出願後の研究開発の進捗により左右されるものではない。
そして、本件特許が実施可能要件に適合することは、上記アで判断したとおりである。
したがって、請求人が主張する無効理由2-2により、本件特許が実施可能要件に違反するということはできない。
エ 無効理由2-3について
無効理由2-3は、「21B12抗体と競合する抗体であれば、高い蓋然性をもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体である」と当業者が理解できるように明細書が記載されていなくては、実施可能要件は満たされないことを前提とするものである。
しかし、上記1(2)ウで述べたとおり、上記前提は採用することのできないものである。そして、上記アのとおり、本件特許は実施可能要件を満たしているのだから、請求人が主張する無効理由2-3により本件特許が実施可能要件に違反するということはできない。
オ 小括
以上のとおりであるから、請求人が主張する無効理由2は理由がない。
3 無効理由3(進歩性欠如)について
(1)甲1に記載された発明
本件優先日前に発行された学術論文である甲1は、その題名「家族性高コレステロール血症に関連するPCSK9及びその変異体の構造的及び生物物理学的研究」及び要約(甲1-1)のとおり、家族性高コレステロール血症に関連する機能獲得型PCSK9突然変異体の構造やLDLRとの結合について野生型PCSK9と比較した研究を開示するものである。甲1には、具体的に製造され、LDLRとの結合性が測定されたものとして(甲1-6、甲1-7)、次のとおりの発明が開示されていると認められる。
「LDLRと結合するPCSK9である、機能獲得型PCSK9突然変異体F216L、S127R、D374Y、又は野生型PCSK9。」(以下、「甲1発明」という。)
なお、請求人は、甲1には、「PCSK9に結合して、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体。」の発明が記載されている旨主張する。しかし、甲1には、抗PCSK9抗体については、「血漿中のPCSK9に結合し、そのLDLRとの結合を阻害する抗体や低分子もPCSK9の機能の効果的な阻害剤となり得る。」(甲1-12)という、概念的な記載があるだけで、具体的な抗体やその取得については何ら記載されておらず、実際に、首尾よく血漿中のPCSK9に結合してLDLRとの結合を中和するような抗体が取得できるかどうかも不明である。したがって、請求人の上記主張は採用することができない。
(2)本件特許発明1について
ア 本件特許発明1と甲1発明との対比
本件特許発明1の「モノクローナル抗体」及び甲1発明の「PCSK9」はともにタンパク質であるから、両者は、タンパク質である点で一致し、次の点で相違する。
相違点: 本件特許発明1は、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体」であるのに対して、甲1発明は、「LDLRと結合するPCSK9である、機能獲得型PCSK9突然変異体F216L、S127R、D374Y、又は野生型PCSK9」である点。
イ 相違点についての判断
甲1には、PCSK9に結合する抗体に関して、「遺伝的証拠は、PCSK9が心血管疾患の治療のための魅力的な標的であることを示唆する。・・・血漿中のPCSK9に結合し、そのLDLRとの結合を阻害する抗体や低分子もPCSK9の機能の効果的な阻害剤となり得る。」(甲1-12)と記載され、PCSK9上のLDLRと結合する部分に関して、「3つの全てのドメインがLDLRに対する広範にわたる結合面の形成に関与していることを示唆する。」(甲1-11)と記載されている。そうすると、これらの記載から、請求人が主張するとおり、動物免疫法やファージディスプレイ法といったモノクローナル抗体を得る手法を用いてPCSK9全長を抗原として抗PCSK9抗体を得て、その中からPCSK9とLDLRとの結合を中和するものをスクリーニングすることによって、PCSK9とLDLRとの結合を中和する、何らかの抗PCSK9モノクローナル抗体を得ることができる可能性までは認めることができる。
そして、抗原として、そのようなPCSK9全長を用いて得られた抗PCSK9モノクローナル抗体には、PCSK9の表面に存在するあらゆるエピトープのそれぞれに対して結合性を有する多種多様な抗体が包含されるところ、PCSK9上のLDLRとの結合面は、上記(甲1-11)の記載のとおり、3つの全てのドメインにわたる相当程度の大きさを有しており、その中には相当多数のエピトープが含まれていると解される。よって、抗原としてPCSK9全長を用いて得られた抗PCSK9モノクローナル抗体の中から結合中和アッセイによりスクリーニングして得られた、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗PCSK9モノクローナル抗体には、結合面や結合面周辺に存在する様々なエピトープに結合する、相当多種類のモノクローナル抗体が包含されると考えられる。したがって、PCSK9とLDLRとの結合を中和することができる抗PCSK9モノクローナル抗体の中から21B12抗体と競合するものを取得するためには、21B12抗体との競合アッセイを行って選択することが不可欠であって、そのためには21B12抗体が得られていることが前提となる。
しかしながら、甲1には、21B12抗体について記載も示唆もなく、PCSK9とLDLRとの結合を阻害することができる抗PCSK9モノクローナル抗体の中から21B12抗体や、PCSK9との結合に関して21B12抗体と競合するモノクローナル抗体を得るための手がかりとなるような情報は何ら記載されていない。また、21B12抗体が本件優先日前に広く知られたものであったとも認めることができない。
このとおり、当業者といえども、21B12抗体と競合するモノクローナル抗体の取得に至ることはできないから、「21B12抗体と競合する」ことを発明構成要件とする本件特許発明1は、甲1発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。
(3)本件特許発明9について
上記(2)で述べたとおり、本件特許発明1は甲1発明及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものではないのだから、本件特許発明1の抗体を含む医薬組成物である本件特許発明9についても同様である。
(4)請求人の主張について
ア 請求人の主張
(ア)無効理由3-1
次のa及びbのとおり、甲1及び周知技術に基づいてPCSK9全長を抗原として、LDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体を取得するだけで、本件特許発明1に含まれる抗体を容易に取得することができる。
a 21B12抗体は、PCSK9とLDLRとの結合部位に結合するため、PCSK9とLDLRとの結合を阻害する結合中和抗体には21B12抗体と競合する抗体が少なからず含まれる。
b フレンチェル博士の供述書(1)(甲2の1)に記載された実験結果は、本件優先日当時の周知技術を用いてPCSK9全長を抗原として結合中和抗体を得たところ、そのうちの約4割(8個中3個)が、21B12抗体と競合したことを示している。また、当該実験結果について、ライヒマン博士は、その供述書(1)(甲2の2)において、本件優先日当時の平均的スキルを持つ科学者であれば、標準的技術を用いて、PCSK9-LDLR結合中和抗体を得られたであろうこと、それらのうちの多くが21B12抗体と競合したであろうことが明らかである旨述べている。
(イ)無効理由3-2
甲1には、PCSK9の374位がPCSK9とLDLRとの結合において重要であり、当該374位がPCSK9の表面に位置することが立体構造モデルと共に示されているから、当業者は、PCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として結合中和モノクローナル抗体を取得することを動機付けられる。
そして、次のa及びbのとおり、甲1及び周知技術に基づいてPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、LDLRとの結合中和モノクローナル抗体を取得するだけで、本件特許発明1に含まれる抗体を容易に取得することができる。
a 21B12抗体は、PCSK9とLDLRとの結合部位に結合するため、PCSK9とLDLRとの結合を阻害する結合中和抗体には21B12抗体と競合する抗体が少なからず含まれる。
b フレンチェル博士の供述書(2)(甲5の1)に記載された実験結果は、本件優先日当時の周知技術を用いてPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として結合中和抗体を得たところ、全ての抗体が、21B12抗体と競合したことを示している。また、当該実験結果について、ライヒマン博士は、その供述書(2)(甲5の2)において、本件優先日当時の平均的スキルを持つ科学者であれば、標準的技術等を用いて、PCSK9-LDLR結合を中和し、かつPCSK9との結合に際し、21B12抗体と競合する抗体を作成できたであろうことが明らかである旨述べている。
イ 請求人の主張についての判断
(ア)無効理由3-1について
無効理由3-1は、甲1及び周知技術に基づいてPCSK9全長を抗原としてLDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体を取得すると、その中の一部は21B12抗体と競合し、本件特許発明1の抗体に該当するから、本件特許発明は進歩性を欠如するというものである。
しかし、甲1及び周知技術から当業者が容易に想到し得るモノクローナル抗体の中の一部に本件特許発明も含まれるからといって、それだけで本件特許発明の進歩性が否定されるわけではない。言い換えれば、甲1及び周知技術から当業者が容易に想到し得るモノクローナル抗体は、21B12抗体と競合するかしないかを問わないものにとどまり、本件特許発明ではない。そして、上記(2)イでも述べたとおり、本件特許発明に至るためには、21B12抗体と競合するものを選択することが不可欠であるところ、請求人の提出するいずれの証拠も、PCSK9全長を抗原として取得した、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗PCSK9モノクローナル抗体の中から、21B12抗体と競合するものを選択する動機や手法を記載も示唆もしていないのだから、本件特許発明を容易に推考することができたということはできない。
念のため、請求人が提出する証拠について検討してみると、フレンチェル博士の供述書(1)の実験では、PCSK9全長を抗原として取得した、LDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体の8個中3個しか21B12抗体と競合しなかったことが示されており、本件特許発明に至るためには、21B12抗体と競合するものを選択する必要があることを裏付けている。また、ライヒマン博士の供述書(1)は、当該実験結果の考察を述べるにとどまり、21B12抗体と競合するものを選択することの動機や手法を示すものではなく、21B12抗体が与えられて初めて示すことのできた知見を示すものにすぎない。
したがって、請求人が主張する無効理由3-1は採用することができない。
(イ)無効理由3-2について
無効理由3-2は、甲1の開示により、当業者がPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を取得することが動機付けられることを前提とするものである。
しかしながら、甲1においてPCSK9の374位について示された事項は、家族性高コレステロール血症に関連するPCSK9のD374Y変異体のLDLRへの結合親和性が、pH7.5及びpH5.4のいずれにおいても野生型の約25倍の高さであったこと(甲1-7)、及びPCSK9において374位は分子表面に位置すること(甲1-4)にすぎず、374位がLDLRとの結合面に存在するかどうか、374位がLDLRとの結合に寄与するかどうかについては何ら記載されていない。タンパク質におけるアミノ酸変異が当該タンパク質の立体構造や電荷状態の変化を引き起こす場合があり、その変化は必ずしも変異箇所近辺にとどまるわけではないことが技術常識であるから、野生型PCSK9の374位のDからYへの変異がPCSK9全体の立体構造や電荷状態にどのような変化をもたらしたことによりLDLRとの結合親和性が上昇したのかは結晶構造解析等によって分析しなくてはわからないことであって、374位という位置自体がLDLRへの結合に重要な部分であるかどうかは不明である。むしろ、甲1には、PCSK9のプロドメインに位置する127位がSからRに変異したS127変異体もLDLRへの結合親和性が大幅に増大したことが示されており(甲1-7)、その他の実験結果と併せて、PCSK9のN末端プロドメイン、触媒ドメイン及びC末端ドメインの3つのドメイン全てがLDLRへの結合面の形成に関与していることが示唆される旨記載されている(甲1-11)。
このとおり、甲1の開示により、当業者がPCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を取得することが動機付けられるということはできないから、無効理由3-2はその前提において誤りがある。したがって、PCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として用いた、フレンチェル博士の供述書(2)(甲5の1)に記載された実験の結果や、それについて考察したライヒマン博士の供述書(2)(甲5の2)の内容を考慮することもできない。
また、仮に、PCSK9の374位周辺ペプチドを抗原として、PCSK9とLDLRとの結合を中和する抗体を取得することが動機づけられたとしても、上記(ア)で述べたとおり、請求人の提出するいずれの証拠も、PCSK9とLDLRとの結合を中和するモノクローナル抗体の中から、21B12抗体と競合するものを選択する動機や手法を記載も示唆もしておらず、21B12抗体が与えられて初めて示すことのできた知見を提示するものにすぎないのだから、本件特許発明を容易に想到することができたということはできない。
したがって、請求人が主張する無効理由3-2は採用することができない。
(5)小括
以上のとおりであるから、請求人が主張する無効理由3は理由がない。
また審決は、「本件特許発明に至るためには、21B12抗体と競合するものを選択することが不可欠である」と指摘しています。一方で、フレンチェル博士の供述書で約4割(8個中3個)が競合抗体だったことから、21B12抗体を使用しなくても約4割の確率で得られるようなものだったということが示唆されています。なんだかパラメータ発明でパラメータの定義が新しいから進歩性があるっていってるようなもので、それがこの論理構成の違和感なのかなと感じました。
サポート要件と実施可能要件の判断のところで、「十分に高い確率で」本件特許発明の抗体を製造できると指摘していますが、これはちょっと唐突な印象です。
確率を指摘するのであれば、得られた抗体の数だけではなく、スタート地点の母集団数の特定が必要なように思いますが、その点に触れていません。明細書を見た感じでは、マウス10匹×2グループに免疫し、その後10匹のマウスを選択し、ハイブリドーマを得たことが記載されているようですが、B細胞やハイブリドーマの数は記載されていないようです(1次スクリーニング「後」のハイブリドーマ数が3104個との記載はあります)。そうすると、はたして「十分に高い確率で」製造できるといえるのか。
また、ある蛋白質に対する中和抗体は、マウスに全長蛋白質を免疫すれば通常確率よく取れるというものでもないと思いますので、そのことを前提として考えると、マウス10匹×2グループに免疫すれば中和抗体が十分に高い確率で取れるのかというと、偶然そのうちの1匹が中和抗体を産生しただけの可能性も否定できず、再度明細書に従って実験を行ったとして中和抗体が得られるのか(その1匹と同じ免疫反応を示すマウスを新たに調達できるのか)、という疑問もあるように思います。
あとは、以前のブログに記載したように、競合抗体が「エピトープが異なる抗体(本件明細書の定義では隣接エピトープを含むとされている)」を含むという視点は、今回の審決を考慮してもサポート要件と実施可能要件の議論で利用できそうな印象です。
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