リサイクリング抗体特許の維持審決が取り消された事例

<判決紹介>
・平成30年(行ケ)第10043 審決取消請求事件
・令和元年626日判決言渡
・知的財産高等裁判所第3 鶴岡稔彦 山門優 高橋彩
・原告:アレクシオン  ファーマシューティカルズ,インコーポレイテッド
・被告:中外製薬株式会社
・特許4954326
・発明の名称:複数分子の抗原に繰り返し結合する抗原結合分子

■コメント
中外製薬のリサイクリング抗体に関する特許の維持審決の審決取消訴訟をご紹介します。
これまでの経緯は以下の通りです。
2012/03/23:特許登録
2016/12/19:無効審判請求
2017/11/22:維持審決
2018/03/29:訴訟提起
2019/06/26:判決 ← いまココ
この特許に関しては、別途、アレクシオンの抗C5抗体(ラブリズマブ)に対して、中外製薬が侵害訴訟を提起しています。
・(ニュースリリース)当社抗体改変技術に関する日本における特許権侵害訴訟の提起について
https://www.chugai-pharm.co.jp/news/detail/20181205150000_788.html
請求項1は以下の通りです。抗体のアミノ酸がHisで置換/挿入されていることに特徴があります。抗原の限定がない広い請求項です。置換/挿入の数・位置も広い範囲を含みます。
【請求項1
少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とする,抗原に対するpH5.8でのKDpH7.4でのKDの比であるKDpH5.8/KDpH7.4)の値が2以上,10000以下の抗体であって,血漿中半減期が長くなった抗体を含む医薬組成物。
争点は、実施可能要件サポート要件、拡大先願、進歩性、明確性です。
裁判所は実施可能要件のみ判断しました。
裁判所の判断は以下の通りです。
判決-------------------------------------------------------------------------------------------
5 当裁判所の判断
・・・
取消事由2(無効理由1(実施可能要件違反及びサポート要件違反)についての判断の誤り)について
事案に鑑み,まず,取消事由2について判断する。
1  実施可能要件について
  特許法3641号は,発明の詳細な説明の記載は,発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものでなければならないことを規定するものであり,同号の要件を充足するためには,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,その発明を実施することができる程度に発明の構成等の記載があることを要する。
  本件発明1の特許請求の範囲には,元の抗体及びヒスチジン置換又は挿入の位置や数についての限定がないから,本件発明1に係る医薬組成物に含まれる抗体についても,元の抗体及びヒスチジン置換又は挿入の位置や数は限定されないことが理解できる。よって,本件発明1の技術的範囲には,1個又は複数のヒスチジン置換及び/又は挿入がされ,所定のpH依存的結合特性を有し,血漿中半減期が長くなったあらゆる抗体を含む医薬組成物が含まれることになる。
そうすると,本件発明1が実施可能要件に適合するためには,このような本件発明1に含まれる医薬組成物の全体について実施できる程度に本件明細書の発明の詳細な説明の記載がされていなければならないものと解される。
2  本件明細書の発明の詳細な説明の記載について
  【発明を実施するための形態】の記載
(ア)  本件明細書の【0029】には,抗原結合分子のpH5.8における抗原結合活性をpH7.4における抗原結合活性より弱くする方法(pH依存的な結合能を付与する方法)について,①  ヒスチジン置換又は挿入が行われる位置は特に限定されないこと,②  その位置としては,抗原結合分子が抗体の場合には抗体の可変領域などを挙げることができること,③  ヒスチジン置換又は挿入が行われる数は当業者が適宜決定することができること,④  ヒスチジン変異以外の変異(ヒスチジン以外のアミノ酸への変異)を同時に導入してもよいこと,⑤  ヒスチジン置換及び挿入を同時に行ってもよいことなどが記載されている。さらに,ヒスチジン置換又は挿入は当業者に公知のアラニンスキャニングのアラニンをヒスチジンに置き換えたヒスチジンスキャニングなどの方法によりランダムに行ってもよく,ヒスチジン置換又は挿入がランダムに導入された抗原結合分子ライブラリーの中から,置換前と比較してKDpH5.8/KDpH7.4)の値が大きくなった抗原結合分子を選択してもよいことが記載されている。
そして,ヒスチジンに置換される箇所に関しては,【0070】~【0078】に,抗原結合分子が抗体の場合には,抗体のCDR配列やCDRの構造を決定する配列が考えられ,例として重鎖について16箇所,軽鎖について10箇所が挙げられること,さらに,このうち4箇所は普遍性の高い改変箇所と考えられること,複数の箇所を組み合わせてヒスチジンに置換する場合の好ましい組み合わせの具体例をいくつか挙げることができることなどが記載されている。
(イ)  しかし,上記のCDR配列は,あくまでも例にすぎず,これ以外の箇所の改変によって所望の抗体が得られることもあり得るから,本件発明1に含まれる医薬組成物全体に当てはまるものではない。
  【実施例】の記載
(ア)  実施例に記載された抗体のうちの,H3pI/L73に関する【0285】の記載,CLH5/L73に関する【0287】~【0291】,【0294】,【0305】,【0307】の記載,H170/L82に関する【0308】の記載,H170/L82-IgG1に関する【0308,0391】の記載,Fv4-IgG1に関する【0335,0336】,【0391】の記載によれば,本件発明1の「少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とする,抗原に対するpH5.8でのKDpH7.4でのKDの比であるKDpH5.8/KDpH7.4)の値が2以上,10000以下の抗体」,すなわち,ヒスチジン置換又は挿入がされたことを特徴とする,所定のpH依存的結合特性を有する抗体に関し,ヒスチジン置換又は挿入位置の特定方法が示されているのは,実施例2及び実施例3の方法であることがいえる。(イ)  実施例2について
実施例2にはホモロジーモデリング及び立体構造モデルを用いる方法が記載されている(【0285】)。
しかし,ホモロジーモデリングとは,アミノ酸配列に相同性のある構造既知タンパク質の立体構造をもとに,構造未知タンパク質の立体構造を計算機上で予測する手法であり,構造予測を行うタンパク質とアミノ酸配列に相同性のあるタンパク質の立体構造の情報があることが前提となる技術である(当事者間に争いがない。)。
そうすると,ホモロジーモデリングを用いる実施例2の方法については,構造未知の抗体一般についてヒスチジン置換位置を検討する場合に常に利用できるとは限らないものである。
よって,実施例2の方法は,本件発明1に係る医薬組成物全体に適用できるものではない。
(ウ)  実施例3について 実施例3には,ヒスチジンスキャニングの手法によって,CDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所を予め選び出し,当該箇所のいずれか1か所がヒスチジン置換された抗体を作製する方法が記載されている(【0288】~【0290】)。この方法は,上記(イ)の実施例2の方法とは異なり,構造未知の抗体に対しても適用可能であるということができる。
しかし,本件明細書の記載からは,実施例3における「CDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所」(【0289】)に,本件発明1の抗体のヒスチジン置換箇所が必ず含まれるかは不明である。また,本件発明1の抗体のヒスチジン置換箇所が,本件明細書にいう「CDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所」に必ず含まれるとの技術常識を認めるに足りる証拠もない。
したがって,実施例3の方法は,本件発明1に含まれる医薬組成物全体に適用できるものではない。
  以上のとおりであるから,本件明細書の発明の詳細な説明に,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等の記載があるということはできない。
3  被告の主張について
  被告は,【0029】及び【0116】を含む本件明細書の記載並びに技術常識からすれば,当業者は,①ヒスチジンの置換箇所を特定するために,抗体の可変部位のアミノ酸残基220個について1つずつ網羅的にヒスチジン置換した抗体を作製し,そのKD値を測定して置換位置を特定する試験(以下「前半の試験」という。),及び②上記①により所望のpH依存性を示す(有望であることないしpH依存的結合特性がもたらされたことが判明した)場合に血中動態の試験(以下「後半の試験」という。)を行うことにより,本件発明1を実施することができると主張する(被告主張ヒスチジンスキャニング)。
そこで検討するに,本件明細書の【0029】にはアラニンスキャニングに関する記載があり,本件出願日当時,アミノ酸配列の各残基を1つずつアラニンに置換して各残基の役割を解析する手法としてアラニンスキャニングは技術常識であったと認められる(乙1923)。したがって,本件明細書に接した当業者は技術常識に基づき,抗体の可変部位のアミノ酸残基220個について1つずつ網羅的にヒスチジン置換をした抗体を作製することは可能であるということができる。
被告は,抗体を作製した後のヒスチジン置換位置の特定について,「所望のpH依存性を示す(有望であること,ないし,pH依存的結合特性がもたらされたことが判明した)箇所」という基準により行うことを主張しているが,本件明細書にはこのような記載はないし,本件明細書や証拠上現れた技術常識によってもどのような基準に基づいてヒスチジン置換位置を特定すれば,本件発明1に含まれる医薬組成物全体について実施することができるのかが明らかではない。
このように,本件明細書には,被告主張ヒスチジンスキャニングによって,どのようにヒスチジン置換位置を特定するかの情報が不足しており,本件明細書の発明の詳細な説明に,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等の記載があるということはできない。
  仮に,被告主張ヒスチジンスキャニングの前半の試験におけるヒスチジン置換位置の特定について,①本件明細書の【0029】に記載された「変異前と比較してKDpH5.8/KDpH7.4)の値が大きくなった」箇所,あるいは,②特許請求の範囲に記載された「所定のpH依存的結合特性を有する」箇所を意味すると理解するとしても,次のとおり,このような被告主張ヒスチジンスキャニングにより本件発明1に係る医薬組成物全体を実施できるとはいえない。
(ア)  本件発明1の「少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とする」「抗体」は,複数のヒスチジン置換がされた抗体を含むものであるところ,被告は,複数のヒスチジン置換がされた抗体のヒスチジン置換位置の特定については,前半の試験により特定された単独のヒスチジン置換位置を組み合わせれば足りると主張する。
(イ)  そこで,被告の主張する単独の置換位置を組み合わせる方法により,本件発明1の複数のヒスチジン置換がされた抗体における,ヒスチジン置換位置を常に特定することができるかを検討する。
本件明細書には,本件発明1の,複数のヒスチジン置換がされたことを特徴とする,所定のpH依存的結合特性を有する抗体におけるヒスチジン置換箇所について,必ず被告主張ヒスチジンスキャニングの前半の試験により特定できることを示す記載は見当たらない。また,このことについての本件出願日当時の技術常識を示す的確な証拠もない。
そうすると,本件明細書の発明の詳細な説明に,複数のヒスチジン置換がされた場合について実施することができる程度に発明の構成等の記載があるということはできない。
なお,本件出願日後の文献ではあるが,甲43の複数のヒスチジン置換がされた抗C5抗体に関する記載(甲43[0276][0281][0282]Table.3)も上記判断を裏付けるものといえる。 a  すなわち,参照抗体について,重鎖のE62D66S104,軽鎖のN28I29又はA55のいずれか1か所についてヒスチジンで置換した抗体のKDpH5.5/KDpH7.4)は参照抗体の値(2.6)を下回るが,これらのいずれか1か所に重鎖F100及び軽鎖S26を加えた3か所についてヒスチジン置換した抗体のKDpH5.5/KDpH7.4)は,6.7319.4であることが記載されている。
また,参照抗体について重鎖N63又は軽鎖A51のヒスチジン置換を単独で行った場合のKDpH5.5/KDpH7.4)はそれぞれ1.83及び1.8であり,2よりも小さい値である。これに対し,参照抗体について,上記重鎖N63に加えて重鎖F100及び軽鎖S263か所をヒスチジンで置換した抗体のKDpH5.5/KDpH7.4)は10.03であり,上記軽鎖A51に加えて重鎖F100及び軽鎖S263か所をヒスチジンで置換した抗体のKDpH5.5/KDpH7.4)は4.02であることも記載されている。
b  これによれば,本件発明1に含まれる複数のヒスチジン置換がされた抗体のヒスチジン置換箇所には,①単独のヒスチジン置換によればKDpH5.8/KDpH7.4)の値が置換前の抗体の値を下回る箇所や,②単独のヒスチジン置換によっては所定のpH依存的結合特性を有しない箇所が含まれる場合があることが推測される(なお,上記(a)の記載はKDpH5.5/KDpH7.4)に関するものではあるが,これは本件発明1におけるKDpH5.8/KDpH7.4)の値よりやや高くなる可能性があるものであり,上記のとおり推測することが可能であるものと解される(乙34及び弁論の全趣旨))。
そして,上記①や②の箇所は,前半の試験におけるヒスチジン置換位置の特定の基準(①「変異前と比較してKDpH5.8/KDpH7.4)の値が大きくなった」箇所,あるいは,②「所定のpH依存的結合特性を有する」箇所)には当てはまらないから,前半の試験によってヒスチジン置換位置として特定されることはない。
したがって,被告の主張する単独の置換位置を組み合わせる方法によっては,これらの箇所の置換を含む抗体が含まれた本件発明1に係る医薬組成物を実施することができない。
c  43の信用性に関し,被告は,参照抗体においてはKDpH5.5/KDpH7.4)を低下させ,かつ,重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体ではKDpH5.5/KDpH7.4)を増加させる例は軽鎖のN28H及びI29Hのみであるなどと主張するが,上記(a)のとおり,同様の置換位置は他に複数存在する。
また,被告は,置換によりKDpH5.5/KDpH7.4)が低下する度合いは誤差範囲であるとも主張するが,上記(a)のとおり,参照抗体のKDpH5.5/KDpH7.4)は2.6であるのに対し,軽鎖A51Hや重鎖F100HKDpH5.5/KDpH7.4)は約1.8であり,これをもって誤差範囲といえるかは疑問である。
  被告は,複数のヒスチジン置換又は挿入が導入された抗体について,大半の場合単独の置換又は挿入の影響は相加的であるから,被告主張ヒスチジンスキャニングによって有望であることが判明した個々の置換又は挿入の組み合わせについてKDpH5.8/KDpH7.4)の値を改めて検証する必要はないと主張する。
しかし,複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体について,単独の置換又は挿入の影響が相加的である場合が多いとしても,被告主張ヒスチジンスキャニングによって複数のヒスチジン置換位置を常に特定できるといえないのは上記イに説示したとおりであるから,被告の主張は上記(2)の判断を左右するものではない。
  被告は,ライブラリー(【0183】,【0191】,【0192】)や立体構造モデル(実施例2)の利用についても言及するが,ヒスチジン置換位置を特定する情報が不足していることには変わりがないから,上記(2)の判断を左右するものではない。
4  以上によれば,本件発明1は実施可能要件に適合しないものである。そして,本件発明26は,いずれも本件発明1を引用する発明であるから,本件発明26の実施可能要件適合性についても,上記に説示したところが当てはまる。よって,本件発明は実施可能要件に適合しない。
以上のとおり,本件発明は無効理由1によって無効とされるべきところ,これを否定した本件審決の判断には誤りがあるから,取消事由2には理由があり,その余の取消事由について判断するまでもなく,本件審決は取り消されるべきことになる。
よって,主文のとおり判決する。
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「情報が不足しており」というところと「置換位置を常に特定できるといえない」というところの理由付けは少し気になりました。

とはいっても、請求項1はかなり広い範囲を含むので、審決取り消しの結論には納得感があります。
あと、出願日後の文献が考慮されたという点でも特徴的な判決でした。
特許公報の実施例をみたところ、抗原は3種類(IL-6レセプター、IL-6IL-31レセプター)が試されていました。
なお、審決では以下のように判断されていました。
審決-------------------------------------------------------------------------------------------
e
 上記dで述べた事項を踏まえると、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載は、当業者が、本件特許発明1に係る抗体の可変領域へのヒスチジン変異の導入による所定のpH依存的結合特性の獲得と、それによる血漿中半減期の延長といったメカニズムを理解し、また、当該ヒスチジン変異の導入を含む、所定のpH依存的結合特性を獲得することを通じて血漿中半減期が長くなったという特性を備えるに至った抗体の取得方法として、ヒスチジンscanningや立体構造モデリング、抗体ライブラリーからのスクリーニング等の手段があることを理解するのに十分なものといえ、更にそのような理解が技術的に正しく、それらの手段によって、可変領域へヒスチジン変異を導入し、所定のpH依存的結合特性を獲得することを通じて血漿中半減期が長くなったという特性を備えるに至った抗体を実際に取得できることを実施例によって、十分に裏付けているものといえる。
 また、IL-6レセプター中和抗体のように医薬組成物の有効成分となる抗体は多数周知であるから、そのような抗体に所定のpH依存的結合特性及び延長された血漿中半減期といった特性を付与した抗体を医薬組成物とし得ることは当業者に明らかである。
 してみると、当業者は、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて、本件特許発明1に係る抗体を含む医薬組成物を製造し、使用することができるものといえる。
 したがって、本件特許明細書の発明の詳細な説明は、当業者が本件特許発明1を実施することができる程度に明確かつ十分に記載されている。
f
 (a) なお、請求人は、本件特許明細書の実施例18において、pH依存的結合特性を示す抗体が、pH依存的結合特性を示さない抗体に対して、延長された血漿中半減期を有することが示されていないことを挙げて(審判請求書第8頁第22行~第9頁第22行)、これを実施可能要件違反に係る主張の根拠の一つとしているが、実施例18は、本件特許発明1に係る所定のpH依存的結合特性を有する抗体による血漿中抗原消失能を調べることを目的として、抗体が抗原に対して過剰である条件で行われた試験であって、当該抗体の血漿中半減期の延長を調べるために適切な条件で行われたものではないから、実施例18において血漿中半減期の延長が示されていないとしても、そのことによって、本願特許発明1についての実施可能要件が満たされていないとはいえない。
b) また、請求人は、「抗原の非存在下では、pH依存的結合特性により、どのように抗体の血漿中半減期が延長されるのかが明らかではない」旨主張するが(同第8頁第2021行)、上記12)ア(イ)cで説示したとおり、本件特許発明1は、標的とする抗原を有する対象に投与することを前提とするものであるから、「抗原の非存在下」を前提とする請求人の主張は当を得ない。
c) また、請求人は、本件特許明細書は、抗体可変領域へヒスチジン残基を挿入した変異の例を何ら記載しておらず(審判請求書第11頁第1416行)、「タンパク質に残基を挿入することにより、適切なタンパク質のフォールディングおよび生物学的機能は失われる」(同第21頁第37行)旨主張するが、上記本件摘示6のとおり、発明の詳細な説明には、ヒスチジン残基の挿入が、ヒスチジン残基による置換と同様に、候補となる抗体変異体の作成時に行われ、その中から所望の性質を示す抗体を選択・取得することが記載されており、また、ヒスチジン残基の挿入が、ヒスチジン残基による置換と同様に、血漿中とエンドソーム内とのpH変化に応答する抗体の物理的・化学的性質、更には抗原との結合性に影響を与え得ることは本件摘示12などの記載から当業者が十分理解し得るから、ヒスチジン残基の挿入により本件特許発明1に係る抗体を取得し得ることは、発明の詳細な説明から合理的に理解できるものである。
 したがって、請求人の主張は採用できない。
d) また、請求人は「本件特許明細書は、任意に選ばれた抗原に対して「血漿中半減期が長くなった抗体」を取得するための方法を教示していない」(審判請求書第11頁第2223行)、「本件特許明細書は、任意に選ばれた抗原に対して「pH依存的結合特性を有する抗体」を取得するための方法を開示していない」(審判請求書第21頁第1213行)などと主張するが、本件特許発明1に係る抗体の可変領域へのヒスチジン変異の導入による、所定のpH依存的結合特性を獲得することを通じた血漿中半減期の延長が、ヒスチジンが有するpH応答性、抗体の可変領域中におけるヒスチジンの荷電状態の違いによる抗原抗体結合の変化、及び、エンドソーム内と血漿中のpHの差異によるものであることからすれば、それらが特定の抗体に限られず、様々な抗体において広く成立し得ることは、当業者が合理的に推認できることである。
 なお、個々の抗原上のエピトープと抗体との組合せの中には、請求人が甲13を挙げて主張するように(上記甲13-ア及び甲13-イ)、所定のpH依存的結合特性と血漿中半減期の延長を達成することが難しいものが一部に存在するかもしれない。
 しかしながら、たとえ、可変領域にヒスチジン変異を導入しても所定のpH依存的結合特性と延長された血漿中半減期を有する抗体を得ることが難しい場合が一部にあり得るとしても、上記のヒスチジン変異の導入による、所定のpH依存的結合特性を獲得することを通じた血漿中半減期の延長が様々な抗体において広く成立し得ることが合理的に推認できる以上、例外なく、ありとあらゆる抗体において所定のpH依存的結合特性と延長された血漿中半減期を有する抗体が取得されなければ、本件特許発明1についての実施可能要件が満たされないとするのは相当でない。
 したがって、請求人の主張は採用できない。
e) また、請求人は、ヒスチジン変異の導入の対象となる抗体のレパートリーが非常に大多数であり、更に、対象となる抗体の可変領域中のヒスチジン変異が導入される位置やその組み合わせが膨大な数であるから、本件特許発明1に係る所定のpH依存的結合特性と血漿中半減期の延長を示す抗体を取得するには過度な実験を要する(審判請求書第12頁第13行~第1323行及び第14頁第23行~第25頁第14行)旨主張する。
 しかしながら、本件特許発明1は医薬組成物に係るものであるから、本件特許発明1に係るヒスチジン変異の導入の対象は医薬組成物に用いられる抗体に限られており、請求人が主張するような非常に大多数の抗体ではない。
 また、上記c及びdで説示したとおり、発明の詳細な説明には、ヒスチジンscanningによりヒスチジン変異が導入された抗体ライブラリーの中から変異前と比較してKDpH5.8/KDpH7.4)の値が大きくなった抗体を選択する方法や、立体構造モデルを用いてヒスチジンの導入により抗原とのpH依存的結合を導入できると考えられるアミノ酸残基を選択する方法を用いて、所定のpH依存的結合特性を有する抗体を取得できることが記載されており、実際にそれらの方法を用いて、ヒスチジンの置換の位置の決定や、pH依存的結合特性を有し、血漿中半減期が延長された抗体の選択(スクリーニング)を行えたことも記載されている(特に、本件摘示12131520)から、たとえヒスチジン導入の対象となる抗体の可変領域中のアミノ酸残基の位置やその組合せが多数であるとしても、当業者は発明の詳細な説明に記載された上記の方法、すなわち、ヒスチジンscanning等の方法によって可変領域にヒスチジンが導入された抗体の中から、所定のpH依存的結合特性を満たすものについて、血漿中半減期が長くなったものを選択する作業を繰り返して行えば、本件特許発明1に係る抗体を取得できるのであるから、本件特許発明1が実施可能要件違反となるものではない。なお、本件特許の出願日後に公知となった例ではあるが、前記甲35には、可変領域のCDRにヒスチジン置換を導入することにより、pH依存的結合特性を獲得した変異体を実際に取得できたことが記載されており(上記甲3-ア~甲5-エ)、これは上記判断と整合するものである。
 よって、当該抗体の取得に過度な実験を要するという請求人の主張は採用できない。
f) また、請求人は、ヒスチジン変異の導入箇所の選択に立体構造モデルを用いることに関し、抗体の中で立体構造が解明されたのはごく一部であり、ほとんどの抗体に立体構造モデリングを適用することはできない(審判請求書第24頁第1314行)旨主張するが、立体構造モデリングは本件特許発明1に係る抗体を取得するために利用できる手法の一つに過ぎないから、立体構造モデリングを適用できない抗体が存在するからといって、本件特許発明1が実施可能要件に違反するとは到底いえない。
 更に、請求人は甲12に基づき、任意の抗体におけるヒスチジン変異の導入によるpH依存的結合特性の獲得が困難であることを縷々主張するが、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて、当業者が本件特許発明1に係る抗体を含む医薬組成物を製造し、使用することができることは上述のとおりであるから、それらの主張は採用できない。
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