クレーム解釈: ヒト器官から得られた腫瘍組織塊、平成21年(ワ)第31535号損害賠償請求事件


平成24427日判決言渡
原告: アンティキャンサーインコーポレイテッド
被告: 大鵬薬品工業株式会社
請求項1: ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物であって,前記動物が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊を有し,前記移植された腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有するモデル動物。
コメント: 「前訴の蒸し返しであり,訴訟上の信義則に反し,許されない」と判断された事例。 前訴控訴判決は、「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は、マウスの皮下で継代されたものを含まないと判断している(構成要件B非充足)。☆
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裁判所: 「() 一方,被告において,前訴控訴審判決が確定したことによって紛争が解決し,本件発明の各構成要件の充足性を判断する上では前訴マウスの構成と実質的に同一の構成といえるマウスを用いた実験等を行うことは本件特許権を侵害するものでなく,そのような行為を対象とした差止請求や損害賠償請求をされることはないものと期待することは合理的であり,保護するに値するものである。本訴において前訴と同一の争点について審理を繰り返すことは,このような被告の期待に反するものであって,そのための被告の応訴の負担は軽視することはできない。
  以上の諸事情を総合すると,前訴と本訴は,訴訟物を異にし,差止め又は損害賠償の対象とされた被告の侵害行為等が異なり,しかも,本訴は前訴と異なる争点をも含むものであるから,原告による本訴の提起が,前訴の蒸し返しであって,訴権の濫用に当たり,違法であるとまで認めることはできない。
しかし,本訴において,前訴における争点と同一の争点である構成要件Bの解釈について前訴と同様の主張をすること及び前訴で主張することができた均等侵害の主張をする点においては,前訴の蒸し返しであり,訴訟上の信義則に反し,許されないというべきである。
(3)
まとめ
以上によれば,本件発明の構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」については,前訴の各判決が認定判断したとおり,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものをいい,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含まないと解すべきである。
しかるところ,本訴マウスが有する腫瘍組織塊は,ヌードマウスでの皮下継代を経たものであって,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものではないから,本訴マウスは,構成要件Bを充足しない。
また,原告の均等侵害の主張は,訴訟上の信義則に反し,審理の対象とすべきでないことは,上記のとおりである。
そうすると,本訴マウスが本件発明の技術範囲に属するとの原告の主張(前記第3の2(1))は理由がない。」
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平成24年4月27日判決言渡
  同日原本領収  裁判所書記官
平成21年(ワ)第31535号  損害賠償請求事件
口頭弁論終結日  平成24年1月26日

アメリカ合衆国カリフォルニア州<以下略>
原告アンティキャンサーインコーポレイテッド
訴訟代理人弁護士星野隆宏
同三浦修
同林いづみ
同金子文子
同和田宣喜
同岡田裕貴
東京都千代田区<以下略>
被告大鵬薬品工業株式会社
訴訟代理人弁護士内田公志
同鮫島正洋
同久礼美紀子
同高見憲
訴訟復代理人弁護士宅間仁志
◆主
  原告の請求を棄却する。
  訴訟費用は原告の負担とする。
  この判決に対する控訴のための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
◆第1  請求
被告は,原告に対し,8800万円及びこれに対する平成21年9月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
◆第2  事案の概要
▼1  事案の要旨
本件は,発明の名称を「ヒト疾患に対するモデル動物」とする発明についての特許権を有していた原告が,医薬品の製造販売等を業とする株式会社である被告に対し,①別紙マウス説明書記載のマウス(以下「本訴マウス」という。)
は,国立大学法人浜松医科大学医学部(以下「浜松医大」という。)に勤務する医師らが,被告の委託を受けて,被告が製造販売認可申請試験中の新規抗がん剤TSU68の大腸癌転移に及ぼす阻害効果等の動物評価実験に使用した実験用モデル動物であって,原告の特許発明の技術的範囲に属するものである,②被告が上記医師らに委託して上記動物評価実験を行わせたことが,同医師らを手足として用いた被告による特許権侵害行為又は同医師らの特許権侵害行為を幇助する共同不法行為に当たる旨主張して,特許権侵害の不法行為又は共同不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。
▼2  争いのない事実等(証拠の摘示のない事実は,争いのない事実又は弁論の全
趣旨により認められる事実である。)
(1) 
原告の特許権
(原告は,平成元年10月5日,発明の名称を「ヒト疾患に対するモデル動物」とする発明について特許出願(優先権主張日1988年(昭和63年)10月5日・優先権主張国米国,特願平1-510569号。
以下「本件出願」という。)をし,平成9年6月20日,特許第2664261号として特許権の設定登録(請求項の数19)を受けた(以下,この特許を「本件特許」,この特許権を「本件特許権」という。)。
(
本件特許について,武田薬品工業株式会社(以下「武田薬品」という。)が,平成10年4月15日,特許異議の申立て(平成10年異議第71767号。以下「本件特許異議の申立て」という。)をした。原告は,平成11年3月30日付けで訂正請求(以下「本件訂正」という。)
をした(甲5の2。ただし,甲5の2の1頁記載の作成日付「平成10年3月30日」は,「平成11年3月30日」の誤記と認める。)。
その後,特許庁は,平成11年5月14日,本件特許異議の申立てについて,本件訂正を認めた上で,「特許第2664261号の請求項1ないし19に係る特許を維持する。」との決定をし,同決定は,同月31日に確定し,同年7月28日,その確定登録がされた(甲4,5の2,3)。
(
その後,本件特許権は,平成21年10月5日に存続期間満了により消滅した。
 本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(以下,本件訂正後の請求項1に係る発明を「本件発明」という。なお,下線部は,本件訂正による訂正箇所である。)。
「【請求項1】  ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物であって,前記動物が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊を有し,前記移植された腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有するモデル動物。」
  本件発明を構成要件に分説すると,次のとおりである(以下,各構成要件を「構成要件A」,「構成要件B」などという。)
  ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物であって,   前記動物が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊を有し,   前記移植された腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有する   モデル動物。
(2) 
別件訴訟(前訴)の経緯
  原告は,平成11年に,国,被告,武田薬品及び日本新薬株式会社に対し,国が浜松医大(当時は「国立大学浜松医科大学」)において行った実験で使用した「脳以外のヒトの器官の腫瘍組織の塊を,無胸腺ヌードマウスの対応する器官に植え付けた,実験用モデル動物(メタマウス)」(以下「前訴マウス」という。)は,本件発明の技術的範囲に属するものであり,上記実験は,国が,上記製薬会社3社(以下「被告ら3社」という。)
からそれぞれ委託を受けて行ったものであり,被告ら3社の行為は,国の行為と同視でき,国と共同不法行為となる旨主張して,国及び被告に対し,前訴マウスの使用の差止めを,被告ら3社に対し,前訴マウスを使用して行われる実験に対し試料を供給することの差止めをそれぞれ求める訴訟(東京地方裁判所平成11年(ワ)第15238号特許権侵害差止請求事件。以下,審級を問わず,当該訴訟を「前訴」と総称する。)を提起した。
東京地方裁判所は,平成13年12月20日,本件発明の構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものをいい,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含まないと解すべきであるが,前訴マウスは,この「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有さず,構成要件Bを充足しないと判断し,原告の国及び被告ら3社に対する請求をいずれも棄却する旨の判決(以下「前訴1審判決」という。)を言い渡した(乙1)。
前訴1審判決は,上記判断に当たり,前訴マウスは,次のような方法により作成された旨認定した(乙1の22頁16行~23頁20行)。
(1)  胃癌の場合
胃癌患者の胃癌転移リンパ節を切除し,得られるヒト腫瘍リンパ節を約0.5cm×0.5cmの大きさに調整し,ヌードマウス背部皮下に移植する。ここにいうヌードマウスとは,無胸腺ヌードマウスであり,体内に侵入した異物を破壊するT細胞を作る胸腺がないので,外来移植組織を拒絶する能力を有しない。ヌードマウス背部皮下に移植したヒト腫瘍リンパ節組織が生着,増殖し約2cm程の大きさまで成育した段階で腫瘍組織を摘出し,上記のような方法で新しいヌードマウスの背部皮下に移植する。この継代を繰り返して,ヌードマウスの背部皮下に株化した(生着及び生育が安定した)ヒト由来組織とマウス由来組織の混在した腫瘍組織を作成する。これをヌードマウス背部皮下に移植し,約8週間後に腫瘍組織を摘出する。この腫瘍組織を,0.5ないし0.8cm×0.5ないし0.8cmの大きさに調整する。麻酔したヌードマウスを切開して胃に到達し,胃の漿膜に腫瘍組織片を6-0の縫合糸で縫合固定する。
(2) 
大腸癌の場合
大腸癌患者の大腸癌肝転移巣を切除し,得られるヒト腫瘍肝組織を約0.5cm×0.5cmの大きさに調整し,ヌードマウス背部皮下に移植する。ヌードマウスとは,(1)同様無胸腺ヌードマウスである。
肝転移組織を採取するのは,転移能力を有する癌細胞を選択するためである。ヌードマウス背部皮下に移植したヒト腫瘍肝組織が生着,増殖し,約2cm程の大きさまで生育した段階で腫瘍組織を摘出する。
上記のような方法で新しいヌードマウスの背部皮下に移植する。この継代を繰り返してヌードマウスの背部皮下に株化したヒト由来組織とマウス由来組織の混在した腫瘍組織を作成する。これをヌードマウス背部皮下に移植し,約8週間後に腫瘍組織を摘出し,0.5ないし0.8cm×0.5ないし0.8cmの大きさに調整する。麻酔したヌードマウスを切開して盲腸に到達し,盲腸の漿膜片に傷をつけ,腫瘍組織片を縫合固定する。」
  これに対し原告は,前訴1審判決を不服として控訴したが(東京高等裁判所平成14年(ネ)第675号特許権侵害差止請求控訴事件),東京高等裁判所は,平成14年10月10日,原告の控訴を棄却する旨の判決(以下「前訴控訴審判決」という。)を言い渡した(乙2)。
前訴控訴審判決は,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の意味は前訴1審判決の認定のとおりであるとした上で,前訴1審判決と同様に,前訴マウスは,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有しないので,構成要件Bを充足しないと判断した(乙2)。

  さらに,原告は,前訴控訴審判決を不服として上告及び上告受理の申立て(平成15年(オ)第197号,同年(受)第210号事件)をしたが,最高裁判所は,平成15年3月25日,上記の各事件について,上告を棄却し,事件を上告審として受理しない旨の決定をした(乙3)。これにより前訴1審判決及び前訴控訴審判決は確定した。
なお,原告は,前訴控訴審判決は,均等論の適用に関する審理を尽くさず,均等論の不適用についての理由を示さなかったとして,これを上告受理申立ての理由の一つとして主張した(甲25)。
(3) 
本訴マウスについて
本訴マウスは,本件発明の構成要件A,C及びDを充足する。
▼3  争点
本件の争点は,次のとおりである。
(1) 
本件訴えの提起が,前訴の蒸し返しであって,訴訟上の信義則(民事訴訟法2条)に反するか,その結果,本件訴えは,不適法といえるか(争点1)。
(2) 
本訴マウスが本件発明の技術的範囲に属するか(争点2)。
  本訴マウスが構成要件Bを充足するか(争点2-1)。
  仮に本訴マウスが構成要件Bを充足しないとしても,本訴マウスは,本件発明と均等なものとして,その技術的範囲に属するか(争点2-2)。
(3) 
原告による本件発明に係る本件特許権の行使が特許法104条の3第1項により制限されるか(争点3)。
(4) 
被告による本件特許権侵害の不法行為又は共同不法行為の成否(争点4)
(5) 
原告の損害額(争点5)
◆第3  争点に関する当事者の主張
▼1  争点1(本件訴えの提起の信義則違反の有無)について
(1) 
被告の主張
  既に確定判決を得て既判力(民事訴訟法114条1項)が発生している事案について,これと矛盾する判決を求めるいわゆる「前訴の蒸し返し」の訴訟(訴え)の提起は,既判力が及ばない場合であっても,訴訟上の信義則(民事訴訟法2条)に反し,違法なものであり,当該訴えは,不適法であるから,却下すべきである。
これを本件についてみると,前訴と本訴は,前訴は特許権に基づく差止請求であるのに対し,本訴は特許権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求である点で違いはあるものの,原告が権利主張する特許権は同一であって,差止め又は損害賠償の対象となる「物」が本件発明の技術的範囲に属するか否かが争点であり,当該争点に係る物の構成は同一である。
すなわち,前訴においては,本件発明の構成要件AないしDのうち,前訴マウスが専ら本件発明の構成要件Bを充足するかどうか,より具体的には,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」がマウスの皮下で継代されたものを含むかどうかが争点となり,審理の結果,これを含まないと判断され,その上で,前訴マウスは,腫瘍組織塊が皮下継代によって維持されてきたものであって,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有しないから,構成要件Bを充足せず,本件発明の技術的範囲に属さないと判断された。
他方,本訴においても,本訴マウスが,本件発明の構成要件A,C及びDを充足していることは当事者間に争いがなく,構成要件Bの充足性が争点であることに照らすならば,前訴で審理された前訴マウスの構成と本訴マウスの構成が同一であるかどうかを判断するに当たっては,審理及び紛争の蒸し返しの防止の観点から,構成要件Bに関してのみ対比すれば足りることである。
そして,本訴マウスは,腫瘍組織塊が皮下継代によって維持されてきた点では,前訴マウスと同一であるから,前訴マウスの構成と本訴マウスの構成は同一であるといえる。
そうすると,前訴と本訴は,原告が権利主張する特許権が同一であり,差止め又は損害賠償の対象となる物が本件発明の技術的範囲に属するか否かの争点に係る当該物の構成が同一である結果,必然的に同一の結論が導かれることになるから,本訴において本案の審理を行うことは,前訴の審理及び紛争の蒸し返しにほかならない。
  また,原告は,前訴の第1審及び控訴審において,前訴マウスについて均等論を主張することについて何らの妨げがなかったにもかかわらず,これを行わなかったものであるから,もはや原告が同一の構成のマウスについて均等論の主張を行う権利は黙示的に放棄され,あるいは訴訟法上消滅したと考えるべきである。そして,仮に原告が前訴の最後の事実審である控訴審の口頭弁論終結直前に均等論を持ち出せば,時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきはずのものであったこと(民事訴訟法157条1項)からすると,前訴の判決が確定した後に提起した本訴において,前訴において均等侵害に関する審理がされていないことを理由として,均等論の主張をすることは,許されない。
  以上によれば,原告が,当事者双方による十分な主張立証が尽くされた上でされた前訴の判決が既に確定した後に,前訴において本件発明の技術的範囲に属するものではないと判断された前訴マウスと構成が同一の本訴マウスが,本件発明の技術的範囲に属することを前提として,本訴を提起することは,前訴と矛盾する判決を求める前訴の蒸し返しであって,民事訴訟法2条の定める訴訟上の信義則に反する。
したがって,本件訴えは,不適法であるから,却下すべきである。
(2) 
原告の主張
以下のとおり,前訴及び本訴の各内容,前訴において当事者がなし得たと認められる訴訟活動,本訴の提起又は本訴における主張をするに至った経緯,訴訟により当事者が達成しようとした目的,訴訟をめぐる当事者双方の利害状況,当事者間の公平,前訴確定判決による紛争解決に対する当事者の期待の合理性,裁判所の審理の重複,時間の経過といった諸事情に鑑みれば,前訴と本訴は,社会的事象として全く別の紛争であり,本訴の提起は,前訴の蒸し返しとはいえず,むしろ正義にかなうものであって,訴訟上の信義則に反するものとはいえない。
  前訴及び本訴の各内容
(
前訴は,原告が有する本件特許権に基づく差止請求権を訴訟物とするのに対し,本訴は,本件特許権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求権を訴訟物とするものであり,前訴と本訴は,訴訟物の法的性質が異なる。
(
また,前訴で訴訟対象となった被告の侵害行為と本訴で訴訟対象となる被告の侵害行為は,その侵害行為が行われた時期が異なるのみならず,侵害行為の客体である「物」も,前訴マウスと本訴マウスとでは別物である。すなわち,本訴マウスは,2008年(平成20年)に公表された浜松医大の医師らの研究論文(甲6の1)から別紙マウス説明書記載のとおりに作成方法が特定されるマウスであるのに対し,前訴マウスは,1999年(平成11年)に公表された浜松医大の医師らの研究論文(甲22)に記載されているとおり,新規抗がん剤S-1の,大腸癌転移の形成阻害効果の評価のみを目的として作成された非ヒトモデル動物であって,ヒト大腸癌から得られ,皮下継代の方法によって維持されてきた中程度の転移能を有するヒト大腸癌株TK-13(ただし,浜松医大医学部第二外科において,大腸癌に罹患した44歳の日本人女性の肝転移部分の良く分化した腺癌から確立されたもの)の腫瘍組織を,直径5mmで重さ約100mgの腫瘍片(塊)として,ヌードマウスの,漿膜を取り去った後の盲腸壁に,6-0デキソン(社製)で縫合して同所移植することによって作成されたモデル動物であって,前訴マウスと本訴マウスとでは,マウスが作成された時期,評価対象である医薬品,実験の評価目的,材料腫瘍株,作成されたマウスの性能等が異なるから,別物である。
したがって,前訴で訴訟対象となった被告の侵害行為と本訴で訴訟対象となる被告の侵害行為は,全く異なる別個の行為であるから,前訴と本訴は,社会的事象として別の紛争である。
  前訴において当事者がなし得たと認められる訴訟活動
(
被告は,前訴において,本件特許権を侵害するおそれがある者に該当しない旨の主張立証に終始するのみであったばかりか(甲12ないし23),「今後,浜松医大に対して試料を提供する予定はない」旨を明言し,それ以上の真剣な訴訟追行の態度を示すことはなかったことから,そのような被告の応訴態度を受けて,原告の主張立証の矛先は主として前訴の相被告であった国に対して向けられるようになったものであり,このような事情に鑑みれば,前訴において,原告は,被告に対する主張立証を十分に行える状況にはなかったものといえる。
(
前訴の各判決は,基礎的な科学知識の欠如による誤解に基づいて,前訴マウスの本件特許権の文言侵害を否定する誤った判断をした。
すなわち,ヒト器官から得られた腫瘍組織塊中の間質組織は,ヒト由来のままではホスト(移植先)で生きられず,自ずとホスト(移植先)
のマウス由来の間質組織に置き換えられる(変換する)ことは,本件出願の優先権主張日当時の当業者にとって常識であり,本件発明のモデル動物においても,ヒト腫瘍組織塊中の間質組織がマウス由来のものに変化していることは,自明の理として理解されていた。しかし,前訴1審判決及び前訴控訴審判決は,「ヒト器官から直接採取した腫瘍組織と比較すると,前訴マウスにおいては,組織の一部が変化し,特に間質組織がマウスのものに変化していると認められる」と判断し,この点が前訴マウスと本件発明の実験動物との決定的な相違であるかのような誤解に基づいて,前訴マウスの本件特許権の文言侵害を否定する誤った判断をした。
前訴当時は,正しい科学的常識を可視的に立証することを技術的にできなかったが,本訴の時点では,甲8の実験報告書に示すとおり,蛍光タンパク質を使用した影像技術の開発によって,これを可視的に立証することが可能となったものであり,本訴において,このような前訴で提出し得なかった証拠によって,科学的真実に基づいた裁判所の正当な判断を受けることは,原告の正当な権利である。このような判断を受ける機会を信義則に反することを理由に拒絶することは,むしろ正義に反することである。
(
前訴と本訴は,社会的事象としては全く別個の紛争であるから,前訴において,被告が均等論を明示的に主張していなかったからといって,本訴において,均等論の主張をすることが許されないことなどあり得ない。
  本訴の提起又は本訴における主張をするに至った経緯
原告が本訴の提起に至ったのは,被告が前訴において「今後,浜松医大に対して試料を提供する予定はない」旨を明言したにもかかわらず,それに反して,被告が浜松医大に試料を提供していたという信義に反する行為が判明したことに起因するものである。
  訴訟により当事者が達成しようとした目的
前訴において,原告が,被告について目的としたことは,浜松医大に対する試料の提供行為の停止であるのに対して,本訴の目的は,被告による損害賠償の支払であり,その目的が異なることは明らかである。
  訴訟をめぐる当事者双方の利害状況,当事者間の公平
原告は,大学発の極めて小規模のベンチャー企業であり,自らの特許権を保持し,これを有効活用していかなければ,企業自体の存続にも関わることになるものであるから,本訴を遂行させるべき必要性が高い。
他方,被告は大規模な製薬会社であって,被告にとって本訴に対応することが経済的に大きな負担となるものではない。
このような事情からすれば,当事者間の公平という観点からも,原告による本訴の提起が,信義則に反すると目されるべき点はない。
  前訴確定判決による紛争解決に対する当事者の期待の合理性
①前訴と本訴は明らかに内容が異なるものであること,②被告が前訴における発言に反するような行動をすれば,前訴の既判力の及ばない別の行為について原告がこれを放任しておくはずはないこと,③前訴では均等侵害に関する審理がされておらず,この点で前訴の結論が覆る可能性が高いことは,被告において想定できたこと,④前訴の各判決は,基礎的な科学的知識を欠いており,その点でも前訴の結論が覆る可能性が高いことは被告において想定できたことからすると,被告が前訴をもって紛争解決をしたと期待すべき合理的理由はないというべきである。
  裁判所の審理の重複
前訴において均等侵害は審理されていないので,この点で本訴との重複はないし,文言侵害については,前訴の結果を踏まえて速やかに争点を整理することが可能であるから,裁判所の審理の重複を理由に,本訴の提起を信義則に反するとする必要はない。
  時間の経過
前訴と本訴との間の時間の経過(前訴と本訴の提起時期の間隔が10年,本訴の提起が前訴の各判決の確定の日から6年以上を経過)に鑑みれば,前訴と本訴は,原告と被告間の紛争としての連続性がもはや希薄化している。
また,本件のような科学的知見が問題とされる事案においては,時間の経過に伴う立証方法の進歩や学術的知見の蓄積などにより過去の事案とは異なる事実が認定され得ることは当然であり,前訴の事実認定の内容がいつまでも真実であるかの如く取り扱われる必然性もない。
  まとめ
以上のとおりであるから,本訴は前訴との間で主要な争点が類似又は共通するものの,そのことのみをもって本訴の提起が訴訟上の信義則に反するということはできず,本訴を不適法なものとして却下すべきであるとする被告の主張は,理由がない。
▼2  争点2(本訴マウスの本件発明の技術的範囲の属否)について
(1) 
原告の主張
  構成要件Bの充足性(争点2-1)
(
特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載からの解釈   「から」とは,場所を示す語についての出発点や経緯点を表す格助詞である(広辞苑第三版503頁)。
したがって,本件発明の特許請求の範囲の「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」(構成要件B)の文言は,言語的観点において,「脳以外のヒト器官」に由来する「腫瘍組織塊」一般を意味するものと解釈すべきである。
  次に,本件特許に係る明細書(本件訂正による訂正後の訂正明細書。
以下「本件明細書」という。)(甲5の2,26)の発明の詳細な説明を参酌しても,本件発明の特徴的原理方法による移植材料が手術によってヒト器官から採取した腫瘍組織塊をヌードマウスに「直接」同所移植するものに限られるとの記載や,ヌードマウスの皮下継代によって維持した腫瘍組織塊を除外するとの記載はない。
  そうすると,構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊をヌードマウスの相当する器官中へ「直接」同所移植した腫瘍組織塊のみならず,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれるものと解すべきである。
(
本件出願の優先権主張日当時の技術常識等
本件発明の本質は,単離細胞に分解されたヒト腫瘍細胞ではなく,ヒト腫瘍「組織」を塊として外科的に同所移植することでヒト癌の転移過程を再現可能な(転移能を持つ)転移モデル実験動物を得ることにある。
本件明細書において継代に関する積極的な記載がないのは,以下のとおり,継代が転移能とは無関係な公知の慣用された培養技術にすぎず,そのような無関係な事項を記載する必要がそもそもなかったことに加え,本件出願の優先権主張日当時には,当業者において,ヒト腫瘍組織の転移モデル実験動物において継代を経たものが当然のように用いられており,むしろ,これを除外することが念頭になかったからにほかならない。
  継代とは,本件出願の優先権主張日以前から,移植材料であるヒト腫瘍組織の維持,保存及び培養のための周知慣用な技術として,実験動物を用いた実験において広く一般的に用いられてきたものである(甲57の1,59の1等)。
一方,ヒト腫瘍を皮下移植されたヌードマウスが転移能を欠き,皮下移植ではヒト癌の転移過程を再現することができないことは公知の科学的事実であり(甲30ないし33,34の1,2),このように皮下移植ではヒト癌の転移過程を再現することができない以上,皮下継代のプロセスを入れようと入れまいと,腫瘍の転移能のモデルマウスにおける再現という転移実験の目的や作用に変化は生じない。実際,ヌードマウスを用いたヒト癌の転移実験において,ヌードマウスの皮下継代を経た腫瘍組織を用いることは,ごく一般に慣用されており,当業者にとって技術常識である。
  本件明細書(甲26)には,本件発明のモデル動物の用途に関連して,新たな転移抑制効果を持つ抗がん剤の効能評価試験に用いることの有用性が記載されている(12頁12行~18行,16頁15行~17頁1行)。そのような抗がん剤の効能評価試験においては,統計的に有意な薬効証明が要求されるため,必然的に,大量の実験動物が長期にわたって必要となる。この場合,本件発明のモデル動物の材料として,患者から外科手術時に採取した腫瘍だけでは十分な量を確保できず,ヌードマウスの皮下継代により,長期間に及ぶ実験期間中,均一性が確保されかつ十分な量の材料(ヒト腫瘍)を確保することが必要であり(甲36の1,62の1等),それが当然の前提と考えるべきである。本件明細書の上記記載は,本件発明の「材料」として,ヌードマウスの皮下で継代して得られたヒト腫瘍株を使用することを示唆するものにほかならない。
  本件出願の優先権主張日当時,当業者においては,ヌードマウス体内で成長したヒト腫瘍は,多数回の継代によっても当該腫瘍の原型の完全無欠性が合理的に(reasonably)維持されると理解されていた(甲27の3等)。
また,ヒト器官から得られた腫瘍組織塊中の間質組織は,ヒト由来のままではホスト(移植先)で生きられず,自ずとホスト(移植先)
のマウス由来の間質組織に置き換えられる(変換する)ものであること,言い換えれば,ヒト器官から直接採取した腫瘍組織を最初に移植されたマウスであっても,既に腫瘍組織塊中の間質組織は,ヒト由来ではなくホスト(移植先)のマウス由来の間質組織に自ずと置換されていること,そして,継代を経てもヒト腫瘍組織の組織学的特性が維持されることは,本件出願の優先権主張日当時,当業者にとって技術常識であった(甲47の1,50の1,51の1,52の1,53の1,54の1,55の1,56の1,58の1,60の1等)。当業者は,ヌードマウスにおける継代の連続を経ても,ヒト腫瘍の組織学的特性は維持されるとの上記知見を前提に,ヒト癌の研究のために継代培養したヒト腫瘍を移植実験に使ってきた。
本件発明に係るモデル動物において,移植されたヒト腫瘍組織塊中にヒト由来の間質組織がそのまま残っていることは,前訴の後に開発された蛍光タンパク質を使った影像技術(甲8)を用いれば,可視的に確認することができることからも明らかである。
  本件特許異議の申立てに係る手続において,特許異議申立人である武田薬品も,特許庁審査官も,本件発明と従来技術との対比に際し,継代の点を何ら問題としなかったことは(甲28の1等),構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」がヌードマウスの皮下で継代されたヒト由来の腫瘍株を含むことを当然の前提としていたからにほかならない。
(
本訴マウスの構成要件Bの充足
前記()のとおり,本件発明の構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊をヌードマウスの相当する器官中へ「直接」同所移植した腫瘍組織塊のみならず,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれる。
そうすると,別紙マウス説明書記載の「ヒト大腸癌から得られ,皮下継代の方法によって維持されてきた高転移性を有するヒト大腸癌株TK-4(ただし,国立大学法人浜松医科大学医学部第二外科において,S字結腸に罹患した50歳の日本人男性の転移した肝臓の病変から,1993年に確立されたもの。)の腫瘍組織」の「120mgの腫瘍片(塊)」は,構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」に該当する。
そして,本訴マウスは,ヌードマウスの盲腸壁に上記腫瘍組織塊を縫い付けて同所移植することによって作成されたものであって,上記腫瘍組織塊が「動物の相当する器官中へ移植された」ものといえるから,構成要件Bを充足する。
(
小括
以上のとおり,本訴マウスは構成要件Bを充足し,また,本訴マウスが構成要件A,C及びDを充足することは争いがないから,本訴マウスは,本件発明の構成要件をすべて充足する。
したがって,本訴マウスは,本件発明の技術的範囲に属する。
  均等侵害(争点2-2)
仮に本訴マウスが有する「ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊」の構成が本件発明の構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の構成と相違し(以下,この相違部分を「本件相違部分」という。),本訴マウスが構成要件Bを充足していないとしても,以下のとおり,本訴マウスは,最高裁判所平成10年2月24日第三小法廷判決で示された均等の成立要件(第1ないし第5要件)をすべて充足するから,本件発明と均等なものとして,その技術的範囲に属する。
(
相違部分が本件発明の本質的部分でないこと(第1要件)
本件発明の特許請求の範囲の記載及び本件明細書の発明の詳細な説明の記載(甲26の12頁7行~14頁13行)に照らすと,本件発明の目的(課題)は,ヒト癌の転移過程をよりよく再現するための転移実験モデルマウスを作成することにあり,その課題解決のための特徴的原理(本質的部分)は,「腫瘍組織を壊さずに(ばらばらの単離細胞ではなく),腫瘍組織の塊のまま外科的に同所移植すること」にある。
一方で,ヌードマウスにおける皮下継代のプロセスは,ヒト腫瘍組織の同一性を維持し,増殖するための培養方法であるにすぎず,転移過程を再現するものではないから(前記ア()a),本件発明の本質的部分に関係するものではない。
したがって,本件発明と本訴マウスの本件相違部分は,本件発明の本質的部分に当たらない。
(
作用効果の同一性(置換可能性)(第2要件)
本訴マウスは,ヒト大腸癌から得られ,皮下継代の方法によって維持されてきたヒト大腸癌株TK-4を,「120mgの腫瘍片(塊)として」,「6週令のオスのヌード・マウス(BALB/c  nu/nu:日本クレア)の」,「盲腸壁に6-0のポリソーブ縫合糸(タイコ・ヘルスケア社製)で縫い付けて同所移植する」方法により作成されており,かかる方法は,本件発明の課題解決のための特徴的原理と同一の原理にほかならない。そして,本訴マウスはヒト腫瘍組織のもつ転移能をヌードマウスにおいて再現する効果を奏しており,この効果は,本件発明の作用効果と同一である。
(
置換容易性(第3要件)
本件発明においても,本訴マウスにおいても,ヌードマウスにおけるヒト癌の転移過程の再現という課題解決のために,腫瘍組織を壊さずに(ばらばらの単離細胞ではなく),腫瘍組織の塊のまま外科的に同所移植するという特徴的原理を用いる点は共通であり,皮下継代プロセスを経た腫瘍組織に置き換えることは,本訴マウスの作成の時点において,当業者が容易に想到することができたものである(甲9,35,36,40,42等)。
(
公知技術からの容易推考性の不存在(第4要件)   本件の全証拠によっても,本訴マウスが,本件出願の優先権主張日当時における公知技術と同一又は当業者が公知技術から容易に推考できたものとは認められない。
  被告は,後記のとおり,本訴マウスは,本件出願の優先権主張日当時における公知技術である乙14(桑原武彦「ヒト肝癌のヌードマウスへの移植に関する研究  可移植系の樹立とその性格」(「肝臓」第21巻第3号,昭和55年3月25日発行))に記載された発明と同一であり,又は乙14及び乙27(内野純一,桑原武彦他「ヒト肝癌のヌードマウス肝への移植」(「医学のあゆみ」第104巻第1号,昭和53年1月7日発行))に記載された発明から容易に推考し得るものであった旨主張する。
しかしながら,乙14記載の方法は,肝臓に対して移植針を使用して腫瘍組織を移植する方法であり,移植針の使用により,移植の過程で腫瘍組織が損傷し,それによって腫瘍の細胞や腫瘍組織の小片が肝臓以外の腹腔中の他の器官の場所に漏出する可能性があり,かかる漏出の結果,「相当する器官でない場所」への移植が生じ得るため,結果として,肝臓外での腫瘍の増殖が同所移植による転移かどうかを科学的に判別できない。また,乙14記載の方法によって作成されたマウス10匹のうちの1匹について,その2代目にたまたま転移したような結果が見えたとしても,科学的には転移と評価することはできない。
したがって,乙14記載の方法は,「同所移植」(構成要件Bの「相当する器官中へ移植」)とはいえず,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)の作成に役立つものでもない。
したがって,乙14記載のマウスは,「同所移植」の方法により作成された,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」であるといえないから,本訴マウスと同一であるとはいえないし,また,当業者が,本件出願の優先権主張日当時,乙14及び乙27に記載された発明ないし技術に基づいて本訴マウスを容易に推考し得たものともいえない。
したがって,被告の上記主張は,失当である。
(
意識的除外の不存在(第5要件)
本件特許の出願経過及びその過程で提出された手続補正書や意見書の内容に照らして,原告が,本件特許の出願経過において,本件発明の「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」から,ヌードマウスの皮下で継代されたヒト腫瘍組織塊を意識的に排除したり,継代を経ない腫瘍組織に限定したといった事情は認められない。
(
小括
以上によれば,本訴マウスは,本件発明と均等なものとして,その技術的範囲に属する。
  まとめ
以上のとおり,本訴マウスは,本件発明の構成要件をすべて充足し,又は仮に構成要件Bを充足しないとしても,本件発明と均等なものとして,その技術的範囲に属する。
(2) 
被告の主張
  構成要件Bの非充足(争点2-1)
以下のとおり,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」とは,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものをいい,ヌードマウスの皮下において継代されたものは含まれないから,本訴マウスは構成要件Bを充足しない。これは,前訴マウスに係る同一の争点について,前訴の各判決がした判断と同じ結論である。
(
本件明細書の発明の詳細な説明の記載の参酌 (本件明細書(甲26)の発明の詳細な説明には,「ここに使用されるヒト腫瘍組織には,例えばヒトの腎臓,肝臓,胃,膵臓,結腸,胸部,前立腺,肺,睾丸及び脳中に生ずる病理学的に診断される腫瘍である外科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれる。」(14頁6行~9行)との記載がある。上記記載において,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」について,ヒトの器官から手術により得られた(「外科的に得られた」)組織そのままのもの(「新鮮な試料の組織」)を意味することが明示されている。
(
本件明細書の発明の詳細な説明には,「使用されるヒト腫瘍組織は,細胞ごとに分離せず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫瘍組織が本来もつ三次元的構造が維持されるので,より信頼性の高いヒト腫瘍モデル動物が得られる。」(14頁11行~13行)との記載がある。この記載は,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものをモデル動物に直接移植することにより,腫瘍組織が本来もつ三次元的構造,すなわち,腫瘍組織の腫瘍細胞やその周辺の間質組織を含めたヒト腫瘍組織の環境が維持されるので,ヒト腫瘍に対する抗がん剤の効果等を見るモデル動物としての信頼性が高くなることを説明したものといえる。
(
本件明細書記載の実施例ⅠないしⅠⅠⅠは,いずれもヒトの器官から採取した腫瘍組織そのままのものが直接動物の相当する器官に移植されており,本件明細書には,皮下継代を経たものの実施例の記載はない。
(
本件明細書には,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」として皮下継代された組織を用いることについての記載も示唆もない。
  以上のとおり,本件明細書を参酌すれば,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,ヒトの器官から採取した腫瘍組織そのままのものを意味し,皮下継代を経たものはこれに含まれないと解釈すべきである。
(
本件出願の出願経過等
原告は,本件出願の審査過程において,平成8年8月21日付け手続補正書(乙7)をもって,本件出願の当初明細書(乙8)記載の請求項1の「腫瘍組織」を「腫瘍組織塊」と限定する補正をし,さらに,平成9年4月23日付け手続補正書(乙9)をもって,上記限定についての効果を強調する,「また,使用されるヒト腫瘍組織は,細胞ごとに分離せず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫瘍組織が本来もつ三次元的構造が維持されるので,より信頼性の高いヒト腫瘍モデル動物が得られる。」との当初明細書に存在しなかった記載を追加する補正をした。
また,原告は,平成8年10月31日付け早期審査に関する事情説明書(甲27の1)において,「文献(ロ)」(甲27の1の添付資料(2)
に記載された発明は,「ヒト腸の腫瘍細胞を無胸腺マウスの腸壁に移植する方法なので,「ヒト腫瘍組織を採取した器官に相当する器官に移植する」という請求項1に係る発明には該当しない。また,移植に用いる細胞を,移植前にマウスの体内又は培地中で定着及び維持しているので(331頁左欄3~4行),腫瘍組織塊を用いていないという点においても,請求項1に記載の発明と異なる。」として,「移植前にマウスの体内又は培地中で定着及び維持している」点が「請求項1に記載の発明と異なる」と主張した。
このように,原告は,本件出願の当初明細書記載の請求項1の「腫瘍組織」が「腫瘍組織塊」に限定されたこと,その効果として平成9年4月23日付け手続補正書による追加記載が考慮されたこと,移植前にマウスの体内で維持したもの(「継代したもの」に相当)は「腫瘍組織塊」に含まれないとの主張が容れられたことによって,本件特許を受けたものである。
(
)  本件出願の優先権主張日当時の従来技術等   原告が主張する従来技術なるものは,そもそも本件出願の優先権主張日後に作成された文献等に記載されたもの(甲8,9の1,35,36の1,40の1,41,42,46の1等)で,本件出願の優先権主張日当時における技術常識を勘案する上で適切でないものが多く含まれている。また,本件出願の優先権主張日前に作成された文献等に記載されたもの(甲27の1添付書類(3),28の1,47の1等)は,「皮下継代を経ても腫瘍組織の性質が維持される」との原告の主張を裏付けるものではない。
  かえって,乙28(H.C.Outzen and R.P.CusterBrief Communication:Growth of Human Normal and Neoplastic Mammary Tissues in the Cleared Mammary Fat Pad of the Nude MouseJOURNAL OF THE NATIONAL CANCER INSTITUTE,VOL.55,NO.6,DECEMBER 1975)及び乙29(M.Spang-ThomsenBRIEF REPORTS HETEROTRANSPLANTAION OF A HUMAN MAMMARY CARCINOMA TO THE MOUSE MUTANT NUDEActa path.microbiol.scand.Sect.A,84:350-352,1976)には,「ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままのもの」を正位移植(同位移植)する技術(直接移植)が記載されていることからすると,本件出願の優先権主張日当時,ヒトの器官からの直接移植(ヌードマウスでの皮下継代を経ない移植)が一般的であったというべきである。
(
小括
前記()ないし()によれば,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」とは,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものをいい,ヌードマウスの皮下において継代されたものは含まれないと解すべきである。
そして,本訴マウスは,ヌードマウスの皮下継代の方法によって維持されてきたヒト大腸癌株TK-4の腫瘍組織を同所移植することによって作成されたものであり,上記腫瘍組織は,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」に該当しないから,本訴マウスは,構成要件Bを充足しない。
 均等侵害の不成立(争点2-2)
本訴マウスは,以下のとおり,少なくとも均等論の第1要件及び第4要件を満たさないから,本件発明と均等なものとはいえない。
(
第1要件の非充足
均等論の第1要件における特許発明の「本質的部分」とは,当該発明特有の課題解決のための技術手段を基礎付ける技術的思想の中核をなす特徴的部分をいい,また,上記技術手段は,「従来技術に見られない特有の解決手段」をいう。
原告が本件発明の本質的部分であると主張する「腫瘍組織を細胞ごとに分離せずに塊のままで外科的に同所移植すること」は,乙28及び乙29に開示されており,本件出願の優先権主張日前に公知であったから,原告の上記主張は,公知技術そのものを本質的部分とするものであり,失当である。
したがって,原告において本件発明の本質的部分が何であるかを立証できていないから,その余の点について検討するまでもなく,本訴マウスは均等論の第1要件を満たさない。
(
第4要件の非充足
以下のとおり,本訴マウスは,本件出願の優先権主張日当時の公知技術である乙14記載のヌードマウスと同一であるか,又は当業者がその当時乙14記載のヌードマウス及び乙27に基づいて容易に推考できたものであるから,本訴マウスは,均等論の第4要件を満たさない。
  本訴マウスは,本件発明の構成要件A,C及びDを充足し,また,構成要件Bのうち,本件相違部分を除く構成を充足するから,本訴マウスの構成を構成要件に分説すると,次のとおりとなる(以下,各構成要件を「本訴マウスの構成A」,「本訴マウスの構成B」などという。なお,下線部は,本件相違部分である。)
A’ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物であって, B’前記動物が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外のヒト器官から採取した腫瘍組織塊を皮下継代によって培養したものを有し, C’前記移植された腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有する D’モデル動物。
  本件発明の構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」にはヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれるとの原告の解釈を採用した場合,本訴マウスの構成A’ないしD’は,本件発明の構成要件をすべて充足する。
しかるところ,原告の上記解釈を採用した場合の本件発明は,後記のとおり,乙14記載の発明と同一であるか,又は乙14及び乙27記載の発明に基づいて当業者が容易に想到することができたものである。
したがって,本訴マウスについても,これと同様に,乙14記載の発明と同一であるか,又は乙14及び乙27記載の発明に基づいて当業者が容易に推考できたものといえるから,本訴マウスは均等論の第4要件を満たさない。
(
小括
以上のとおり,本訴マウスは,均等論の第1要件及び第4要件を満たさないから,本件発明と均等なものとはいえず,原告主張の均等侵害は成立しない。
  まとめ
以上によれば,本訴マウスが本件発明の技術的範囲に属するとの原告の主張は,理由がない。
▼3  争点3(本件特許権の権利行使制限の成否)について
(1) 
被告の主張
本件発明に係る本件特許には,以下のとおりの無効理由があり,特許無効審判により無効とされるべきものであるから,特許法104条の3第1項の規定により,原告は,被告に対し,本件発明に係る本件特許権を行使することはできない。
  無効理由1(実施可能要件違反)
本件明細書の発明の詳細な説明は,以下のとおり,当業者が容易に本件発明の実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果の記載があるとはいえず,平成2年法律第30号による改正前の特許法36条(以下「特許法旧36条」という。)3項に適合しないから,本件発明に係る本件特許には,同項に違反する無効理由(同法123条1項3号)
がある。
(
本件明細書(甲26)の発明の詳細な説明には,従来技術であるヌードマウスの皮下腫瘍に転移能力がないこと(12頁26行~13頁9行),本件発明はその改良をすることを主目的として提供されるものであること(13頁14行~15行),その主目的を達成するために「前記移植された腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有するモデル動物」という構成を採用し,さらに,その用途として,「本発明のモデル動物はまた新抗腫瘍剤をスクリーニングして一次部位及び遠い転移部位における腫瘍に作用するか又は遠い転移の発生を防ぐそのような物質の能力を決定するために使用できる」(16頁26行~28行)ことが記載されている。これらの記載は,本件発明が,「移植された腫瘍組織塊」を増殖させ,かつ,転移させるという作用効果を奏することを示すものである。
他方で,本件明細書を精査しても,「移植された腫瘍組織塊が転移する」という作用効果を奏することに関連する記載は,実施例IIIの「腫瘍はいずれも,このとき他の器官に転移しなかったと思われなかった。」(18頁20行~21行)との記載のみであって,このような定性的かつあいまいで,単なる推測であることを明らかにしたにすぎない記載が,本件発明が「移植された腫瘍組織塊が転移する」という作用効果を奏することを裏付けるものとはいえない。しかも,上記記載部分は,本件出願の優先権主張の基礎となった米国出願(第253990号)の明細書(乙13)における「None of the tumors appeared to have metastasized to other organs at this time.」(14頁3行~4行。
訳文・「このとき他の器官に転移した腫瘍は見られなかった。」)との記載を,本件出願に係る国際出願(PCT/US89/04414)の明細書(甲25の別紙9)において「None of the tumors appeared not have metastasized to other organs at this time.」(11頁19行~21行。訳文・「このとき他の器官に転移しなかった腫瘍は見られなかった。」)と正反対の意味に変更したものであり,そもそも記載自体の信頼性に欠けるといわざるを得ない。
また,乙28及び乙29には,「腫瘍組織のまま(塊)で外科的に同所移植」する方法を用いて作成されたモデル動物の記載があるが,乙28にあっては,同モデル動物に「転移」があったことについての記載がなく,乙29にあっては,「転移」が観察されなかったとの記載があり,上記方法を用いるだけで,「移植された腫瘍組織塊が転移する」モデル動物が得られるわけではない。
しかるところ,本件明細書の発明の詳細な説明には,どのようにすればモデル動物において「転移」が起きるようになるのかという手段である「構成」が記載されていない。
(
したがって,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者が容易に本件発明の実施をすることができる程度にその発明の目的,構成及び効果を記載したものとはいえないから,特許法旧36条3項に適合せず,実施可能要件に違反する。
  無効理由2(サポート要件違反)
本件発明の特許請求の範囲の記載は,以下のとおり,特許を受けようとする発明が本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものとはいえず,特許法旧36条4項1号に適合しないから,本件発明に係る本件特許には,同項に違反する無効理由(同法123条1項3号)がある。
(
特許請求の範囲の記載が特許法旧36条4項1号に定めるサポート要件に適合するものであるか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,発明の詳細な説明に,当業者において,特許請求の範囲に記載された発明の課題が解決されるものと認識し得る程度の記載ないし示唆があるか否か,又は,その程度の記載や示唆がなくても,特許出願時の技術常識に照らし,当業者において,当該課題が解決されるものと認識し得るか否かを検討して判断すべきである。
しかるところ,前記ア()で述べたように,本件発明の課題は,従来技術におけるヌードマウス皮下腫瘍の転移能力の改良にあるが,本件明細書の発明の詳細な説明には,「移植された腫瘍組織塊が転移する」という本件発明の作用効果を裏付ける記載は全くないから,当業者において上記課題が解決されるものと認識し得る程度の記載ないし示唆があるということはできず,また,本件出願の優先権主張日当時の技術常識に照らし,当業者において上記課題が解決されるものと認識し得るということもできない。
(
したがって,本件発明の特許請求の範囲(請求項1)は,特許法旧36条4項1号に適合せず,サポート要件に違反する。
  無効理由3(特許請求の範囲の記載要件違反)
本件発明の特許請求の範囲は,以下のとおり,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項に区分してあるとはいえず,特許法旧36条4項2号に適合しないから,本件発明に係る本件特許には,同項に違反する無効理由(同法123条1項3号)がある。
(
特許法旧36条4項2号は,特許請求の範囲には,発明の構成に欠くことができない事項,すなわち当該発明の技術的課題を解決するために必要不可欠な技術的事項を記載することにより,発明の構成要件のすべてを記載すべきことを求めている。
しかるところ,本件発明の特許請求の範囲(請求項1)には,どのようにすればモデル動物において「転移」が起きるようになるのかという手段である「構成」が記載されていないから,本件発明の技術的課題を解決するために必要不可欠な技術的事項の記載がないものといえる。
(
したがって,本件発明の特許請求の範囲(請求項1)は,特許法旧36条4項2号に適合しない。
  無効理由4(本件発明が未完成であること)
本件発明は,以下のとおり,未完成であって,特許法29条1項柱書きの「発明」に当たらないものであるから,本件発明に係る本件特許には,同項に違反する無効理由(同法123条1項1号)がある。
(
発明の技術内容は,当業者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていなければならず,技術内容が上記の程度にまで構成されていないものは,発明として未完成のものであつて,特許法2条1項にいう「発明」とはいえない(最高裁判所昭和52年10月13日第一小法廷判決・民集31巻6号805頁参照)。
しかるところ,前記ア()で述べたように,本件明細書には,どのようにすればモデル動物において「転移」が起きるようになるのかという手段である「構成」が全く開示されていないから,本件発明は,その技術内容が当業者が反復実施して目的とする技術効果(転移が起きるモデル動物を得ること)ができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されているとはいえず,「発明」として未完成である。
(
したがって,本件発明は,特許法29条1項柱書きの「発明」に当たらない。
  無効理由5(乙28に基づく新規性欠如)
本件発明は,以下のとおり,本件出願の優先権主張日前に頒布された刊行物である乙28に記載された発明と同一又は実質的に同一のものであるから,本件発明に係る本件特許には,平成11年法律第41号による改正前の特許法29条1項3号(以下「特許法旧29条1項3号」という。)
に違反する無効理由(同法123条1項2号)がある。
(
乙28には,新生物乳腺組織(すなわち乳癌)等のヒト乳腺組織の成長モデルとして,ヌードマウスの乳房部位の一部(CFP)を用いることの記載(1461頁左欄20行~29行)がある。
上記記載は,本件発明の構成要件A,C及びDの各構成を開示するものである。
なお,本件発明の構成要件A中の「転移」,構成要件C中の「増殖及び転移」については,本件明細書には,どのような方法によればモデル動物において「転移」等が生じるかについて全く記載がないから,単なる効果の記載にすぎず,「構成」であるとはいえない。したがって,乙28において,構成要件A中の「転移」,構成要件C中の「増殖及び転移」の記載がないことは,乙28記載のモデル動物と本件発明との実質的な相違点とはいえない。
(
乙28には,ヒト乳腺組織をヌードマウスの乳房部位の一部(CFP)に移植したこと,用いられたヒト乳腺組織のうち一つが,ヒト(の生検標本)から採取した乳腺腺癌であること,ヒトの腫瘍をヌードマウスに直接移植した組織が,ヒト腫瘍と同様の外観と組織パターンを有していることの記載(1461頁左欄36行~40行,1462頁左欄33行~36行,同右欄23行~35行)がある。
これらの記載は,ヌードマウスの乳房部位の一部にヒトから採取した乳癌を直接移植すること,直接移植された組織がヒト腫瘍と同様の外観及び組織パターンを有しており,ヒト乳癌の成長のモデル動物として利用可能となることを示すものであって,本件発明の構成要件Bの構成を開示するものである。
(
以上によれば,乙28記載のモデル動物(乙28に記載された発明)
は,本件発明の各構成要件に係る構成をすべて備えており,本件発明と同一又は実質的に同一のものであるから,本件発明は,新規性が欠如している。
  無効理由6(乙29に基づく新規性欠如) 本件発明は,以下のとおり,本件出願の優先権主張日前に頒布された刊行物である乙29に記載された発明と同一であるから,本件発明に係る本件特許には,特許法旧29条1項3号に違反する無効理由(同法123条1項2号)がある。
(
乙29には,ヌードマウスにヒト乳癌を移植したこと,ヌードマウスにヒトの乳癌等の悪性腫瘍を移植したモデルシステムが抗腫瘍薬(抗がん剤)の研究に有望であることの記載(350頁上欄1行,左欄7行~11行)がある。
これらの記載は,本件発明の構成要件A,C及びDの各構成を開示するものである。
なお,本件発明の構成要件A中の「転移」,構成要件C中の「増殖及び転移」は,前記オ()のとおり,単なる効果の記載であって,「構成」であるとはいえないので,乙29において,上記「転移」等の記載がないことは,乙29記載のモデル動物と本件発明との実質的な相違点とはいえない。
(
乙29には,ヌードマウスが実験に用いられたこと,移植には,ヒト(56歳女性)の乳房から採取された腫瘍組織が用いられたこと,腫瘍組織が癌であったこと,ヌードマウスの乳腺脂肪体の内部に,ポケットを作成して腫瘍を挿入する方法により,移植が行われたことの記載(350頁左欄下から2行~右欄3行,同右欄8行~17行,350頁右欄下から2行~351頁左欄2行,351頁左欄3行~14行)がある。
これらの記載は,ヌードマウスの乳腺脂肪体にヒトから採取した乳癌を直接移植すること,このモデルシステムが抗腫瘍薬(抗がん剤)の研究に有望であることを示すものであって,本件発明の構成要件Bの構成を開示するものである。
(
以上によれば,乙29記載のモデル動物(乙29に記載された発明)
は,本件発明の各構成要件に係る構成をすべて備えており,本件発明と同一又は実質的に同一のものであるから,本件発明は,新規性が欠如している。
  無効理由7(乙14に基づく新規性欠如)
仮に原告が主張するように本件発明の構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」には,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれる場合には,本件発明は,以下のとおり,本件出願の優先権主張日前に頒布された刊行物である乙14に記載された発明と同一であるから,本件発明に係る本件特許には,特許法旧29条1項3号に違反する無効理由(同法123条1項2号)がある。
(
乙14の記載事項(39頁右欄5行~8行,11行~13行,39頁右欄23行~40頁左欄2行,40頁左欄12行~39行,同右欄5行~6行,42頁左欄16行~23行,同右欄1行~2行)によれば,乙14記載のモデル動物(乙14に記載された発明)は,本件発明の構成要件AないしDの各構成を備えている。
(
これに対し原告は,乙14記載の方法は,肝臓に対して移植針を使用して腫瘍組織を移植する方法であり,移植針の使用により,移植の過程で腫瘍組織が損傷し,それによって腫瘍の細胞や腫瘍組織の小片が肝臓以外の腹腔中の他の器官の場所に漏出する可能性があり,かかる漏出の結果,「相当する器官でない場所」への移植が生じ得るため,結果として,肝臓外での腫瘍の増殖が同所移植による転移かどうかを科学的に判別できないし,また,乙14記載の方法によって作成されたマウス10匹のうちの1匹について,その2代目にたまたま転移したような結果が見えたとしても,科学的には転移と評価することはできないから,乙14には,「相当する器官中へ移植」(構成要件B)する方法により作成された,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)の開示がない旨主張する。
しかしながら,①乙14には,右肋骨弓下に移植したHc-3の2代目に肺転移が認められたことの記載(42頁左欄22行~23行)があること,②上記記載箇所に参照文献として挙げられた乙27には,転移モデルを目的とし,正位移植(同所移植)によるヌードマウス肝への移植において肝転移が起こるメカニズム等について言及・考察をする記載(31頁左欄1行~5行,31頁左欄16行~19行,32頁右欄26行~33頁左欄5行,33頁左欄16行~19行)があること,③乙14及び乙27は,いずれも北海道大学医学部第1外科においてほぼ同時期に行われた研究に関する論文であって(乙14の著者である桑原武彦は,乙27の共著者である。),その実験内容に照らし,一つの継続的実験において,先に乙27が論文として投稿され,次いで乙14が論文として投稿された関係にあるといえることからすると,乙14に記載された発明は,乙27に記載された技術をその内容として含むものであること,以上の①ないし③によれば,乙27には,「相当する器官中へ移植」(構成要件B)する方法により作成された,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)の開示がある。
また,乙14の記載事項に照らすと,乙14記載の移植針を用いた移植方法において,原告が主張するような移植の過程で腫瘍組織片やその単利細胞が他の器官に漏出することはなく,このことは,被告が行った検証実験(乙26)からも明らかである。
さらに,本件明細書(甲26)には,「ヒト睾丸癌の組織」そのままのものを移植針「18番ゲージ針」を用いて睾丸中へ移植することが明示されており(15頁23行~26行),本件発明の「移植」には,「移植針を用いる方法」が含まれることは明らかである。
以上によれば,原告の上記主張は,理由がない。
(
したがって,乙14に記載された発明は,本件発明と同一又は実質的に同一のものであるから,本件発明は,新規性が欠如している。
  無効理由8(乙14を主引用例とする進歩性欠如)
仮に乙14に記載された発明は,乙27に記載された技術をその内容として含むものとはいえず,無効理由7が認められないとしても,前記キ
(
)①ないし③に照らすならば,当業者であれば,乙14に記載された発明に乙27に記載された技術を適用して,本件発明を容易に想到することができたものといえるから,本件発明に係る本件特許には,特許法29条2項に違反する無効理由(同法123条1項2号)がある。
  無効理由9(乙28又は乙29を主引用例とする進歩性欠如)
仮に無効理由5及び6が認められないとしても,以下のとおり,本件発明は,乙28又は乙29に記載された発明に乙14及び乙27に記載された技術を組み合わせることで,当業者が容易に想到することができたものといえるから,本件発明に係る本件特許には,特許法29条2項に違反する無効理由(同法123条1項2号)がある。
(
乙28及び乙29には,いずれも,構成要件A及びCの「転移」に関する構成の記載がないが,本件発明のその余の構成が開示されている。
そうすると,乙28又は乙29に記載された発明は,構成要件A及びCの「転移」に関する構成を備えていない点で,本件発明と相違するが,その余の構成を備えている点で本件発明と一致する。
(
乙14及び乙27には,現実に転移が生じ,転移モデルを目的とした技術の記載があり,少なくとも転移モデルの示唆があるから,相違点に係る本件発明の構成の開示がある。
(
乙28又は乙29に記載された発明と乙14及び乙27に記載された技術とは,いずれも「ヒト腫瘍疾患に対する非ヒトモデル動物」に関し,かつ,正位移植(同位移植)をするという点で,技術分野及び課題を共通にすることに照らすならば,当業者が,乙28又は乙29に記載された発明に乙14及び乙27に記載された技術を組み合わせる動機付けがあるといえる。
そうすると,当業者であれば,乙28又は乙29に記載された発明に乙14及び乙27に記載された技術(相違点に係る本件発明の構成)を組み合わせることによって本件発明を容易に想到することができたものである。
したがって,本件発明は,進歩性が欠如している。
(2) 
原告の主張
  無効理由1に対し
本件明細書(甲26)における実施例ⅠⅠⅠの「腫瘍はいずれも,このとき他の器官に転移しなかったと思われなかった。」(18頁20行~21行)との記載は,原文(英語)の和訳が日本語としてこなれていないだけのことであって,国際出願の実務上,この程度の訳文の稚拙さで実施可能要件を満たさないということはできない。
また,被告が指摘する本件出願の優先権主張の基礎となる米国出願の明細書の記載部分は,「全部転移した」を意味する「転移しないものはなかった」との二重否定の強調文から「not」を一つ抜かしてしまった「明白な誤記」であり,国際出願においてその「明白な誤記」を訂正したことは何ら問題になりえない。
したがって,被告主張の無効理由1は理由がない。
  無効理由2に対し
本件明細書に「移植された腫瘍組織塊が転移する」という本件発明の作用効果を裏付ける記載が全くない旨の被告の主張が失当であることは,前記アで述べたことと同様である。
したがって,被告主張の無効理由2は理由がない。
  無効理由3及び4に対し
被告の主張は争う。
  無効理由5に対し
乙28には,ヒトの乳腺腺癌を移植するホストとして用いられるヌードマウスとして,「土壌」である乳腺脂肪体からすべての乳腺組織を外科的に全部摘出して「土壌」のない状態にしたもの(the cleared mammary fat pads(CFP))を使用したことが記載されており,乳腺脂肪体からすべての乳腺組織が取り除かれたものは,乳腺と脂肪体によって形成されるマウスの「乳房」は存在しないから,乙28においてされた移植は,乳腺腺癌腫瘍組織を乳房に移植する「同所移植」(構成要件Bの「相当する器官中へ移植」)といえないことは明らかである。
また,乙28には,モデル動物に「転移」があったことについての記載がない。
したがって,乙28に記載された発明は,「同所移植」(構成要件Bの「相当する器官中へ移植」)のものではなく,また,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)であるといえないから,本件発明と同一又は実質的に同一ではなく,被告主張の無効理由5は理由がない。
  無効理由6に対し
乙29には,乳癌腫瘍の同所移植と皮下移植の比較結果が報告されているが,その「結果」欄によれば,実験に用いられた全10匹のマウスのうち,腫瘍の増殖があったマウスは,皮下移植を受けたマウス1匹のみであること(351頁右欄7行~13行),研究の結果として,ヒトの乳癌腫瘍の移植場所として,乳腺脂肪体の方が背面皮下よりも適しているとの仮説を支持しないものである旨の結論(352頁左欄30行~34行)が記載されており,これらの記載からすると,乙29は,本件発明とは正反対に,同所移植を用いないことを示唆したものといえる。
また,乙29には,モデル動物に「転移は一切,観察されなかった。」との記載がある。
したがって,乙29に記載された発明は,「同所移植」(構成要件Bの「相当する器官中へ移植」)のものではなく,また,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)であるといえないから,本件発明と同一又は実質的に同一ではなく,被告主張の無効理由6は理由がない。
  無効理由7に対し
前記2(1)()bのとおり,乙14記載の方法は,肝臓に対して移植針を使用して腫瘍組織を移植する方法であり,移植針の使用により,移植の過程で腫瘍組織が損傷し,それによって腫瘍の細胞や腫瘍組織の小片が肝臓以外の腹腔中の他の器官の場所に漏出する可能性があり,かかる漏出の結果,「相当する器官でない場所」への移植が生じ得るため,結果として,肝臓外での腫瘍の増殖が同所移植による転移かどうかを科学的に判別できないし,また,乙14記載の方法によって作成されたマウス10匹のうちの1匹について,その2代目にたまたま転移したような結果が見えたとしても,科学的には転移と評価することはできないから,乙14には,「同所移植」(構成要件Bの「相当する器官中へ移植」)の方法により作成された,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)の開示があるとはいえない。
また,乙27記載の方法も,肝臓に対して移植針を使用して腫瘍組織を移植する方法であり,上記と同様に,「同所移植」の方法とはいえない。
さらに,乙26記載の実験は,乙14記載の実験と異なる条件の下に行われており,乙14の検証実験とはいえない。なお,被告が指摘する本件明細書中の「移植針」の使用に係る記載箇所は,「閉ざされた器官」である精巣に「移植針」で移植したことを示すものであり,「移植針」の使用による損傷の可能性があっても,いかなる細胞や腫瘍組織片も精巣の内部にとどまり,精巣から他の器官に漏れるリスクはないのに対し,乙14は,「閉ざされていない器官」である肝臓への移植に移植針を用いるものであって,他器官への漏出のリスクの有無の点で全く異なる。
したがって,乙14に記載された発明は,本件発明と同一又は実質的に同一であるとはいえないから,被告主張の無効理由7は理由がない。
  無効理由8に対し
前記カのとおり,乙14及び乙27には,「同所移植」(構成要件Bの「相当する器官中へ移植」)の方法により作成された,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)の開示がないから,乙14に記載された発明に乙27に記載された技術を適用しても本件発明を容易に想到することができたものとはいえない。
したがって,被告主張の無効理由8は理由がない。
  無効理由9に対し
前記カのとおり,乙14及び乙27には,「同所移植」(構成要件B)
の方法により作成された,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)の開示がないから,乙28又は乙29に記載された発明に乙14及び乙27に記載された技術を適用しても本件発明を容易に想到することができたものとはいえない。
したがって,被告主張の無効理由9は理由がない。
▼4  争点4(被告による本件特許権侵害の不法行為又は共同不法行為の成否)に
ついて
(1) 
原告の主張
  2008年(平成20年)12月1日発行の雑誌「Cancer Research」に掲載された浜松医大の医師らの作成に係る甲6の1(「TSU68 Prevents Liver  Metastasis  of  Colon  Cancer  Xenografts  by  Modulating  the Premetastatic Niche」,訳文・「TSU68は,前転移状態を正常な状態に戻すことによって大腸癌異種移植(マウス・モデル)の肝転移を防止する。」)には,「TSU68は,大鵬薬品工業株式会社により供与された」(訳文2頁20行~21行),「謝辞…我々は,大鵬薬品工業株式会社からのTSU68の提供に感謝します」(訳文2頁33行~37行)との記載がある。上記記載は,被告が浜松医大の医師らに抗がん剤「TSU68」を提供したことを示している。
世界的な製薬会社である被告が,その開発中の最先端の抗がん剤について,どのような実験に使われるかを理解することなく漫然と大学の研究室に供与することはおよそ考えられず,また,前訴において被告は上記と同様に浜松医大の医師らに抗がん剤「S-1」を提供しており,それがどのような実験に使われたか知悉していたことからすると,今回も,「TSU68」を同人らに提供することで,それが本訴マウスを用いた実験に使用されることを被告において知らなかったはずはないことからすると,被告において,浜松医大の医師らに対し,本訴マウスを用いた「TSU68」の大腸癌転移に及ぼす阻害効果等の動物評価実験を行うことを委託していたものと解するのが自然である。
そうすると,「TSU68」の大腸癌転移に及ぼす阻害効果等の動物評価実験に本訴マウスを使用した浜松医大の医師らの本件特許権の侵害行為は,被告の行為と同視すべきもので,不法行為を構成し,少なくとも同医師らによる本件特許権の侵害行為を幇助する行為に当たるから,共同不法行為を構成するというべきである。
  したがって,被告は,原告に対し,民法709条,719条により,原告が受けた損害を賠償する義務を負う。
(2) 
被告の主張
原告の主張は争う。本訴マウスは,浜松医大が作成したものであり,被告がその作成に関与した事実はない。また,被告が原告主張の本訴マウスを用いた動物評価実験を浜松医大の医師らに委託した事実もない。
▼5  争点5(原告の損害額)について
(1) 
原告の主張
  特許法102条3項に基づく損害額
被告が前訴控訴審判決の確定日(平成15年3月25日)から本訴の提起日(平成21年9月4日)までの間に行った本件特許権の侵害行為又はその幇助行為により原告が被った損害についての特許法102条3項に基づく損害額(実施料相当額)は,8000万円を下らない。
  弁護士費用
被告による本件特許権の侵害行為又はその幇助行為と相当因果関係のある原告の弁護士費用相当額の損害は,800万円を下らない。
  まとめ
以上によれば,原告は,被告に対し,本件特許権侵害の不法行為又は共同不法行為に基づく損害賠償として8800万円及びこれに対する平成21年9月17日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
(2) 
被告の主張
原告の主張は争う。

第4  当裁判所の判断
▼1  本件訴えの提起の信義則違反の有無等について
被告は,原告が,当事者双方による十分な主張立証が尽くされた上でされた前訴の判決が既に確定した後に,前訴において本件発明の技術的範囲に属するものではないと判断された前訴マウスと構成が同一の本訴マウスが,本件発明の技術的範囲に属することを前提として,本訴を提起することは,前訴と矛盾する判決を求める前訴の蒸し返しであって,民事訴訟法2条の定める訴訟上の信義則に反し,本件訴えは,不適法であるから,却下すべきである旨を主張(争点1)する。
(1) 
前提事実
前記争いのない事実等と証拠(甲24,25,乙1ないし3)及び本件の審理の経過を総合すれば,以下の事実が認められる。
  前訴について
(
前訴の事案の概要及び訴訟物
前訴は,原告が,国及び製薬会社である被告ら3社に対し,国が浜松医大において行った実験で使用した前訴マウスは,本件発明の技術的範囲に属するものであるから,上記実験は,国が被告ら3社からそれぞれ委託を受けて行ったものであり,被告ら3社の行為は,国の行為と同視でき,国と共同不法行為となる旨主張して,国及び被告に対し,前訴マウスの使用の差止めを,被告ら3社に対し,前訴マウスを使用して行われる実験に対し試料を供給することの差止めをそれぞれ求めた訴訟であり,前訴における原告と被告間の訴訟物は,原告の被告に対する本件発明に係る本件特許権に基づく前訴マウスの使用等の差止請求権である。
(
前訴の第1審における争点及び前訴1審判決の判断
前訴の第1審では,①前訴マウスが本件発明の技術的範囲に属し,前訴マウスを使用して実験を行うことが本件特許権を侵害するか,なかでも,前訴マウスが構成要件Bを充足するか(前訴争点1),②前訴マウスを使って実験を行うことは,特許法69条1項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たるか(予備的主張)(前訴争点2),
③被告ら3社の関与はどのようなものか(前訴争点3)を争点として,審理がされた。上記争点のうち,前訴争点1が主たる争点となり,具体的には,①前訴マウスの構成要件Bの「前記動物の相当する器官中へ移植された」の構成の充足性,②構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の解釈及び前訴マウスのその構成の充足性が争われた。
前訴1審判決(判決言渡日・平成13年12月20日)は,前訴争点1について,前訴マウスが構成要件A,C,D及び構成要件Bのうち,「前記動物の相当する器官中へ移植された」の構成を充足することは認めたが,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのものをいい,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含まないと解すべきであるとした上で,前訴マウスは「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有せず,構成要件Bを充足しないと判断し,その余の点について検討するまでもなく,原告の国及び被告ら3社に対する請求は理由がないとして,原告の請求をいずれも棄却した。
(
前訴1審判決に対する控訴理由及び前訴控訴審判決の判断
原告は,前訴1審判決を不服として控訴し,その控訴理由として,構成要件Bにいう「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」に継代したものを含まないとする前訴1審判決の判断は誤りであり,前訴マウスにおいても,腫瘍細胞は周辺の他の腫瘍細胞や間質組織,細胞外マトリックス成分等を伴った塊として同所移植されているから,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有している(甲24の19頁22行~27行),ヒトの新鮮な組織を継代せずに同所移植したヌードマウスも,継代してから同所移植をしたヌードマウスも,当該ヌードマウスにおいて間質細胞などの変換が起こるから,モデル動物としては実質的に差異はなく,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は継代したものを除くとする判断は出てこない(乙2の5頁13行~18行)などと主張した。
前訴控訴審判決(判決言渡日・平成14年10月10日)は,構成要件Bのうちの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,マウスの皮下で継代されたものを含むかという争点,ひいては前訴マウスはこの要件を充足するかという争点について,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の意味は,前訴1審判決の認定のとおりであって,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」には,マウスの皮下で継代されたものを含まないと解釈し,その上で,前訴1審判決と同様に,前訴マウスは,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有しないので,構成要件Bを充足しないと判断した。
(
前訴1審判決及び前訴控訴審判決の確定
原告は,前訴控訴審判決を不服として上告及び上告受理の申立て(平成15年(オ)第197号,同年(受)第210号事件)をしたが,最高裁判所は,平成15年3月25日,上記の各事件について,上告を棄却し,事件を上告審として受理しない旨の決定をし,これにより前訴1審判決及び前訴控訴審判決は確定した。
なお,原告は,前訴控訴審判決は,均等論の適用に関する審理を尽くさず,均等論の不適用についての理由を示さなかったとして,これを上告受理申立ての理由の一つとして主張した。
  本訴について
(
本訴の訴訟物等
本訴(訴訟提起日・平成21年9月4日)は,原告が,被告に対し,本訴マウスは,浜松医大に勤務する医師らが,被告の委託を受けて,被告が製造販売認可申請試験中の新規抗がん剤TSU68の大腸癌転移に及ぼす阻害効果等の動物評価実験に使用した実験用モデル動物であって,本件発明の技術的範囲に属するものであり,被告が上記医師らに委託して上記動物評価実験を行わせたことが,同医師らを手足として用いた被告による特許権侵害行為又は同医師らの特許権侵害行為を幇助する共同不法行為に当たる旨主張して,特許権侵害の不法行為又は共同不法行為に基づく損害賠償を求めた訴訟であり,その訴訟物は,原告の被告に対する被告の本訴マウスの使用等による本件発明に係る本件特許権侵害の不法行為又は共同不法行為に基づく損害賠償請求権である。
(
本訴の争点等
本訴の争点は,①本件訴えの提起の信義則違反の有無(争点1),②本訴マウスの本件発明の技術的範囲の属否(争点2),具体的には,本訴マウスの構成要件Bの充足性(争点2-1)及び本訴マウスの均等侵害の成否(争点2-2),③本件特許権の権利行使制限の成否(争点3),
④被告による本件特許権侵害の不法行為又は共同不法行為の成否(争点4),⑤原告の損害額(争点5)である。
上記争点のうち,争点2については,本訴マウスが本件発明の構成要件A,C及びDを充足することについて争いがないことから,構成要件Bの充足性(争点2-1)が争われているものであり,具体的には,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の解釈及び本訴マウスのその構成の充足性が争点となっている。
この争点に関し,原告は,前訴で主張したのと同様に,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのもののみならず,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含むと解すべきであると主張し,その上で,ヌードマウスでの皮下継代を経たヒト腫瘍組織塊を有する本訴マウスは,構成要件Bを充足する旨主張している。これに対し被告は,前訴1審判決及び前訴控訴審判決が判断したように,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含まないと主張し,その上で,ヌードマウスでの皮下継代を経たヒト腫瘍組織塊を有する本訴マウスは,構成要件Bを充足しない旨主張している。
(2) 
検討
  前訴と本訴では,原告の請求権を基礎付ける特許権はいずれも本件特許権で同一であるが,前訴は本件特許権に基づく前訴マウスの使用等の差止請求権を訴訟物とするもので,前訴の確定判決により既判力が生じるのは,前訴の控訴審の口頭弁論終結時である平成14年7月9日における上記請求権の存否であるのに対し,本訴は前訴控訴審判決が確定した平成15年3月25日から本訴の提起日までの間における被告の本訴マウスの使用等による本件特許権侵害の不法行為又は共同不法行為に基づく損害賠償請求権を訴訟物とするものであって,前訴と本訴では訴訟物が異なり,前訴の既判力が本訴に直接に及ぶものではない。
また,前訴マウスと本訴マウスとは,ヌードマウスの皮下で継代したヒト腫瘍組織塊が同所移植された点では共通するが,作成の時期が異なるのみならず,ヒト腫瘍組織塊の種類や同所移植された部位等の構成が異なる別の「物」であること(前訴マウスの構成につき前記争いのない事実等(2)
ア,本訴マウスの構成につき別紙マウス説明書参照),前訴では,前訴マウスの本件発明の構成要件Bの充足性が主たる争点であり,これについて判断がされたのに対し,本訴では,本訴マウスの本件発明の構成要件Bの充足性のみならず,均等侵害の成否や本件特許権の権利行使制限の抗弁の成否等も争点となっていることなどの点においても,前訴と本訴は異なるものである。
(他方で,本訴と前訴は,いずれも本件発明の構成要件Bの充足性が争点となり,その具体的な争点が,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の解釈及び各マウスのその構成の充足性である点では共通している。もっとも,前訴マウスと本訴マウスとでは,前記アのとおり,構成が異なる部分があるが,ヌードマウスの皮下で継代したヒト腫瘍組織塊が同所移植された点では共通するので,上記構成が異なる部分があることが,上記争点の判断の結論に影響を及ぼすものではない。
そして,前訴1審判決及び前訴控訴審判決は,上記争点について,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのもののみならず,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含むと解すべきであるとした原告の主張を排斥し,前訴マウスの構成要件Bの充足性を否定する判断を示し,原告の請求及び控訴をそれぞれ棄却したものである。
ところが,原告は,本訴において,上記争点について,前訴でした主張と同様の主張を行い,本訴マウスが構成要件Bを充足し,ひいては本件発明の技術的範囲に属する旨主張している。前訴1審判決及び前訴控訴審判決が示した構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」についての解釈は判決における理由中の判断であって,本訴はもとより,前訴においても既判力の対象となるものではないが,本訴において,原告が構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の解釈を再び争い,本訴マウスが本件発明の技術的範囲に属すると主張することは,前訴の判決によって原告と被告との間で既判力をもって確定している前訴マウスの使用等による本件特許権に基づく差止請求権の不存在の判断と矛盾する主張をすることに帰し,実質的に,同一の争いを繰り返すものであるといわざるを得ない。
(
これに対し,原告は,前訴の各判決は,基礎的な科学知識の欠如による誤解に基づいて判断をしたものであるところ,前訴当時では,正しい科学的常識を可視的に立証することが技術的に不可能であったが,本訴の時点では,技術の進歩によって,その正しい科学的常識を可視的に立証することが可能となったので,これにより前訴の各判決の誤った判断が是正されるべきであるから,本件訴えは前訴の蒸し返しには当たらない旨主張する。すなわち,原告の主張は,ヒト器官から得られた腫瘍組織塊中の間質組織は,ヒト由来のままではホスト(移植先)で生きられず,自ずとホスト(移植先)のマウス由来の間質組織に置き換えられる(変換する)ものであることは,本件出願の優先権主張日当時の当業者にとって自明の理であるにもかかわらず,前訴1審判決及び前訴控訴審判決は,これに反して,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の意義について,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものをいい,その組織が変化したものは含まれないと解するのが相当である旨判示したが,上記技術常識を可視的に立証することは前訴当時の技術では不可能であったものの,本訴の時点において,甲8の実験報告書のとおり,蛍光タンパク質を使用した影像技術の開発によってこれを立証することが可能となったから,これにより前訴の各判決の誤った判断を是正すべきであるというものである。
しかしながら,前訴当時の技術によって可視的に確認することが不可能であったというのであれば,前訴よりも前の本件出願の優先権主張日当時における当業者も可視的に確認することができなかったはずであるから,甲8の実験報告書は,原告が主張する技術常識を裏付ける根拠となるものではない。
また,その点を措くとしても,民事訴訟法においては,単に新たな証拠が発見されたというのみでは,再審事由とはならず,相手方当事者又は第三者の犯罪その他の違法行為によって攻撃防御の方法の提出を妨げられた場合などに限り,再審事由(同法338条1項5号ないし7号,2項)としている趣旨に照らすならば,上記技術常識を可視的に立証することは前訴当時の技術では不可能であったが,本訴の時点においては,甲8の実験報告書によってその立証が可能になったからといって,前訴の蒸し返しとなる主張を行うことを正当化することはできない。
したがって,この限りにおいて,原告の上記主張を採用することはできない。
(
次に,前訴において,原告は,本件出願の優先権主張日当時の技術常識に係る証拠を提出することや,最高裁判所平成10年2月24日第三小法廷判決で示された均等の成立要件に沿って均等侵害に関する主張をすることについて何らの障害はなかったものである。
この点に関し,原告は,前訴及び本訴に関係する諸事情をるる述べて,本訴において,本訴マウスの均等侵害の主張を認めることの方が正義に資する結果になる旨を主張する。しかし,むしろ,前記()及び()のような事情に鑑みれば,結局,原告は,前訴におけるのと同一の本件特許権に基づいて,本件発明との関係では,前訴マウスの構成と実質的に同一といえる本訴マウスの本件発明の技術的範囲の属否の争点について再度裁判所の判断を求めようとするものであるが,かかる争点について,均等侵害の主張を含めて,原告が前訴において自己の攻撃防御を尽くす十分な機会と権能を与えられていなかったことをうかがわせる事情は認められない。
したがって,原告の上記主張を採用することはできない。
(
一方,被告において,前訴控訴審判決が確定したことによって紛争が解決し,本件発明の各構成要件の充足性を判断する上では前訴マウスの構成と実質的に同一の構成といえるマウスを用いた実験等を行うことは本件特許権を侵害するものでなく,そのような行為を対象とした差止請求や損害賠償請求をされることはないものと期待することは合理的であり,保護するに値するものである。本訴において前訴と同一の争点について審理を繰り返すことは,このような被告の期待に反するものであって,そのための被告の応訴の負担は軽視することはできない。
  以上の諸事情を総合すると,前訴と本訴は,訴訟物を異にし,差止め又は損害賠償の対象とされた被告の侵害行為等が異なり,しかも,本訴は前訴と異なる争点をも含むものであるから,原告による本訴の提起が,前訴の蒸し返しであって,訴権の濫用に当たり,違法であるとまで認めることはできない。
しかし,本訴において,前訴における争点と同一の争点である構成要件Bの解釈について前訴と同様の主張をすること及び前訴で主張することができた均等侵害の主張をする点においては,前訴の蒸し返しであり,訴訟上の信義則に反し,許されないというべきである。
(3) 
まとめ
以上によれば,本件発明の構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」については,前訴の各判決が認定判断したとおり,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものをいい,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含まないと解すべきである。
しかるところ,本訴マウスが有する腫瘍組織塊は,ヌードマウスでの皮下継代を経たものであって,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものではないから,本訴マウスは,構成要件Bを充足しない。
また,原告の均等侵害の主張は,訴訟上の信義則に反し,審理の対象とすべきでないことは,上記のとおりである。
そうすると,本訴マウスが本件発明の技術範囲に属するとの原告の主張(前記第3の2(1))は理由がない。

▼2  本件発明に係る本件特許権に基づく権利行使の制限の成否について
前記1で述べたとおり,本訴において,前訴における争点と同一の争点である本件発明の構成要件Bの解釈について前訴と同様の主張をすることは許されないものと判断するが,念のため,原告が主張するように構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」には,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれるとした場合における争点3(本件特許権の権利行使制限の成否)の被告主張の無効理由2(サポート要件違反)及び無効理由8(乙14を主引用例とする進歩性欠如)について判断する。
(1) 
無効理由2(サポート要件違反)の有無について
被告は,本件発明の特許請求の範囲の記載は,特許を受けようとする発明が本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものとはいえず,特許法旧36条4項1号に適合しないから,本件発明に係る本件特許には,同項に違反する無効理由(同法123条1項3号)がある旨主張する。
ところで,特許法旧36条4項1号に定める要件(サポート要件)の適合性の有無は,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載されていることを前提とした上で,発明の詳細な説明の記載及び特許出願時の技術常識に照らし,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かによって判断すべきものと解するのが相当である。
このような観点から,本件発明の特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するかどうかについて以下において判断する。
  本件明細書の記載事項
(
本件明細書(甲26)の「発明の詳細な説明」には,次のような記載がある。
  「発明の背景  本発明はヒト腫瘍疾患に対する非ヒトモデル動物に関する。より詳しくは,本発明はヒトの器官から得られ,動物の相当する器官中へ移植された腫瘍組織をもつ非ヒトモデル動物に関する。」(12頁8行~11行)   「ヒト腫瘍疾患に代る代表的モデル動物に対する要求が長い間存在した。そのようなモデル動物は多くの目的に役立つことができよう。
例えばそれは,ヒトにおける腫瘍疾患の進行を研究して適当な治療形態の発見を援助するために使用できよう。そのようなモデル動物はまた提案された新抗腫瘍物質の効力の試験に使用できよう。さらに,それは癌患者の腫瘍の個別化した化学的敏感性試験に使用できよう。そのようなモデル動物の存在は薬物スクリーニング,試験及び評価を一層効率的にかつ非常に低コストにするであろう。」(12頁12行~18行)   「ヒトの腫瘍疾患に対するモデル動物の作製における若干の以前の試みは移植可能な動物腫瘍を用いた。これらは齧歯動物中に作製し,通常近交集団において,動物から動物へ移植された腫瘍であった。他の腫瘍モデル動物は少なくとも動物系中で,発癌性であった種々の物質により動物中に腫瘍を誘発させることにより作製された。なお他の腫瘍モデル動物は自然発生腫瘍をもつ齧歯動物であった。しかし,これらの齧歯動物のモデル動物はしばしば,同じ物質を受けるヒト被験者とは非常に異なって化学療法剤に応答した。」(12頁19行~25行)   「約20年前に始められて開発された他の腫瘍モデル動物は胸腺のないマウスを用いた。これらの動物は細胞に欠陥があり,その結果外来移植組織を拒絶する能力を失なった。該マウスは明確に理解されていない理由のために,実質的に毛がなく,「ヌード」又は「無胸腺」マウスと称されるようになった。これらのヌードマウスの皮膚の下に皮下的に移植されたときにヒト腫瘍がしばしば増殖することが見いだされた。しかし,そのようなヒト腫瘍組織が実際にマウス中に腫瘍を形成した生着率又は頻度は個々の供与体及び腫瘍の型により変動した。これらのモデル動物において,生着した腫瘍はしばしば,大部分移植の部位で増殖し,もとの腫瘍が供与体中で非常に転移性であってもまれにしか転移しなかった。従って,皮下ヌードマウスのヒト腫瘍モデル動物は,前記齧歯動物のモデル動物よりも良好であるけれども,なお実質的な欠点を有し,すなわち,皮下移植組織は転移する能力を欠いた。」(12頁26行~13頁9行)   「発明の概要及び目的  本発明の主目的はヒト腫瘍疾患に対する改良された非ヒトモデル動物を提供することである。本発明の主観点によれば,ヒト器官から得られて動物の相当する器官中へ移植された腫瘍組織塊を有し,移植された組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有するヒト腫瘍疾患に対する新規非ヒトモデル動物が提供される。本発明の他の観点はヒト腫瘍疾患に対する非ヒトモデル動物を作製させる方法を提供し,該方法は移植されたヒト腫瘍組織を前記動物中で増殖及び転移させるに足る免疫欠陥を有する実験動物を準備し,ヒト器官からの腫瘍組織塊の試料を免疫欠損動物の相当する器官中へ移植することを含む。」(13頁13行~22行)   「本発明のモデル動物は,移植された組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有する実験動物中へヒト腫瘍組織塊を移植することにより作製される。」(13頁24行~25行)   「本発明による免疫欠損実験動物中の腫瘍組織の配置は正位移植により行なわれる。これは,その組織塊が以前に占有していた位置に移植される移植組織塊に関する。本発明において正位移植という語はヒトの器官の新生物腫瘍組織を免疫欠損実験動物の相当する器官中へ移植することを示すために使用される。ここに使用されるヒト腫瘍組織には,例えばヒトの腎臓,肝臓,胃,膵臓,結腸,胸部,前立腺,肺,睾丸及び脳中に生ずる病理学的に診断される腫瘍である外科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれる。そのような腫瘍には癌腫並びに肉腫が合まれ,ここに行なわれるそれらの移植はすべての段階,等級及び型の腫瘍を包合する。また,使用されるヒト腫瘍組織は,細胞ごとに分離せず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫瘍組織が本来もつ三次元的構造が維持されるので,より信頼性の高いヒト腫瘍モデル動物が得られる。」(14頁3行~13行)   「本発明のモデル動物はヒト腫瘍疾患の進行の研究において殊に有用である。これらの研究は,他の臨床試験モダリティ例えば診断映像化と組合せて,治療の最も適切な形態の選択に役立つ。例えば,本発明のモデル動物を腫瘍映像化にかけると,臨床医は腫瘍増殖の一次及び二次両部位を確認し,動物上の腫瘍の全体的な広がりを推定することができる。腫瘍映像化は動物に標識抗腫瘍抗体例えば放射性同位体で標識された抗体を注入し;抗体に腫瘍内で局在する時間を許し;次いで放射線デテクターを用いて動物を走査することにより普通に行なわれる。コンピューターを動物の体中に検出された放射能の映像のコンパイルに使用するときコンピューターは放射線の強度に従って映像をカラーコードすることができる。抗体又はその代謝物質の蓄積が予想されない体の領域中の高い放射能の帯域は腫瘍の存在の可能性を示す。本発明のモデル動物はまた新抗腫瘍剤をスクリーニングして一次部位及び遠い転移部位における腫瘍に作用するか又は遠い転移の発生を防ぐそのような物質の能力を決定するために使用できる。
該モデル動物はまた癌患者の腫瘍の個別化した化学的敏感性試験に有用であろう。さらに本発明のモデル動物はヒト腫瘍疾患の進行に対するミトルション(mitrution)の効果の研究に有用である。
これらの研究は健康な被験者に対する種々の欠失の実証衝撃を考えると殊に重要であることができる。」(16頁15行~17頁4行)   「実施例Ⅰ  ヒト腎臓から切除した腫瘍の組織の外科的に得られた新鮮な試料を5匹の動物受容体の腎臓中へ移植した。腎細胞癌として病理学的に診断された組織試料は前記引き裂き操作により適当な大きさに調製した。4~6週令の5匹の無胸腺ヌードマウスを移植のための動物受容体として選んだ。…各受容体腎臓の腎皮質の切除によりくさび状腔を形成し,約0.5×0.2cmの腫瘍組織の塊を欠損腔中に置いた。次いでマットレス縫合を用いて移植組織を適所に確保した。この実施例の5匹のマウスはその後なお6か月生存している。組織移植の約1か月後にマウスを外科的に切開し,移植腫瘍を観察した。各事例において腫瘍が生着したと認められた。これは移植腫瘍組織が隣接組織に侵潤したことを意味する。…組織学的分析は,受容体動物中の組織が(1)その構造及び組織型を保持し,(2)ヒト供与体中の疾患の進行によく似ていることを示した。」(17頁5行~25行)   「実施例ⅠⅠ  胃から切除し,胃癌として病理学的に診断されたヒト組織の試料を前記切り裂き操作により適当な大きさに調製した。4~6週令の5匹の無胸腺ヌードマウスを移植のための動物受容体として選んだ。…小刀を用い,粘膜層に侵入しないように注意して胃壁中に切り口を作った。約0.5×0.2cmの腫瘍組織を受入れるに足る大きさのポケットを形成した。近似的にこの大きさの腫瘍を選び,ポケット中へ挿入し,切り口を7-0縫合糸を用いて閉じた。この実施例の5匹のマウスは約3~4か月間生存し,他の点では異常がないと思われる。これらのマウスの胃の以後の外科切開は腫瘍が生着したことを証明した。」(17頁26行~18頁9行)   「実施例ⅠⅠⅠ  ヒト結腸から取出され,結腸癌として病理学的に診断されたヒト組織の試料を前記切り裂き操作により適当な大きさに調製した。4~6週令の5匹の無胸腺マウスを移植のための動物受容体として選んだ。…マウスを切開して結腸に到着した。…約0.5×0.2cmの選んだ腫瘍塊をポケット中へ挿入し,次いでそれを縫合で閉じた。この移植外科を行なった5匹のマウス中の4匹は3~4か月生存し,良好な健康であると思われる。組織移植の約1か月後にマウスを外科的に切開し,腫瘍が生着したことが観察された。腫瘍はいずれも,このとき他の器官に転移しなかったと思われなかった。」(18頁10行~21行)
(
本件発明の特許請求の範囲の記載(前記争いのない事実等(1)イ)
及び本件明細書の記載事項(前記())を総合すれば,本件明細書には,
①従来,ヒト腫瘍疾患に対する非ヒトモデル動物として用いられてきた,移植可能な動物腫瘍を用いた齧歯動物のモデル動物は,しばしば,化学療法剤に対しヒト被験者とは非常に異なる応答をし,また,外来移植細胞を拒絶する能力を失った胸腺のないマウス(ヌードマウス,無胸腺マウス,無胸腺ヌードマウス)のモデル動物は,齧歯動物のモデル動物よりも良好であるけれども,ヒト腫瘍組織が実際にマウス中に腫瘍を形成した生着率又は頻度は個々の供与体及び腫瘍の型により変動し,大部分移植の部位で増殖し,もとの腫瘍が供与体中で非常に転移性であってもまれにしか転移しなかったという実質的な欠点,すなわち,皮下移植されたヒト腫瘍組織が転移能力を欠くという欠点があったことから,ヒト中に生ずるような腫瘍疾患の進行に全くよく似た能力(ヒト腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る能力)を有するヒト腫瘍疾患に対するモデル動物の作成という課題があったこと,②本件発明は,上記課題を解決するために,脳以外のヒト器官から得られたヒト腫瘍組織を,細胞ごとに分離せず,塊のまま腫瘍組織が本来もつ三次元的構造を維持し,免疫欠損動物の相当する器官へ移植(同所移植,正位移植)するという構成を採用することによって,転移能(「移植されたヒト腫瘍組織を転移させるに足る」能力)を有する転移に対する非ヒトモデル動物を作成した点に技術的意義があることが開示されているものと認められる。
  検討
(
本件発明の特許請求の範囲の記載
本件発明の特許請求の範囲(本件訂正後の請求項1)は,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物であって,前記動物が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊を有し,前記移植された腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有するモデル動物。」というものである。
(
本件明細書の発明の詳細な説明の記載
本件明細書の発明の詳細な説明には,「本発明」の実施例として,ヒト腎臓から切除した腎細胞癌の腫瘍組織の塊を腎臓に移植した無胸腺ヌードマウス(実施例Ⅰ),ヒトの胃から切除した胃癌の腫瘍組織の塊を胃に移植した無胸腺ヌードマウス(実施例ⅠⅠ),ヒト結腸から取り出された結腸癌の腫瘍組織の塊を結腸に移植した無胸腺ヌードマウス(実施例ⅠⅠⅠ)の作成方法が具体的に記載されているが(前記ア()
iないしk),いずれも,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものを「同所移植」(ヌードマウスの「相当する器官中へ移植」)したものであり,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊を同所移植したものではなく,本件明細書には,皮下継代を経た腫瘍組織塊を同所移植した実施例の記載はない。
一方で,実施例Ⅰ及び実施例ⅠⅠにおいては,ヌードマウスに移植されたヒト腫瘍に関し,「腫瘍が生着した」ことや,「組織学的分析」によれば「受容体中の組織が…ヒト供与体中の疾患の進行によく似ていることを示した」との記載があるが,移植されたヒト腫瘍の他の器官への転移に関する記載は存在しない。また,実施例ⅠⅠⅠにおいては,移植されたヒト腫瘍の他の器官への転移に関し,「この移植外科を行なった5匹のマウス中の4匹は3~4か月生存し,良好な健康であると思われる。組織移植の約1か月後にマウスを外科的に切開し,腫瘍が生着したことが観察された。腫瘍はいずれも,このとき他の器官に転移しなかったと思われなかった。」との記載(前記ア()k)があるものの,この記載から,どのマウスのいかなる器官に腫瘍の転移が認められたかなど具体的な転移の事実を確認することはできない。
さらに,本件明細書を全体としてみても,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものをヌードマウスに同所移植した場合のみならず,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊をヌードマウスに同所移植した場合であっても,転移能(「移植された腫瘍組織を転移させるに足る」能力)を有するヌードマウスを得ることができることを明示した記載や,これを示唆する記載は存在しない。
(
本件出願の優先権主張日当時の技術常識   原告は,本件出願の優先権主張日当時,当業者は,ヌードマウス体内で成長したヒト腫瘍は,多数回の継代によっても当該腫瘍の原型の完全無欠性が合理的に(reasonably)維持されると理解し(甲27の3等),ヒト器官から直接採取した腫瘍組織を最初に移植されたマウスであっても,既に腫瘍組織塊中の間質組織は,ヒト由来ではなくホスト(移植先)のマウス由来の間質組織に自ずと置換されていること,そして,継代を経てもヒト腫瘍組織の組織学的特性が維持されることは,当業者にとって技術常識であった(甲47の1,50の1,51の1,52の1,53の1,54の1,55の1,56の1,58の1,60の1等)などと主張(前記第3の2(1)()c)する。
しかし,まず,原告が上記主張の根拠として挙げる文献のうち,本件出願の優先権主張日の後に作成されたもの(甲60の1等)については,本件出願の優先権主張日時点における従来技術であることを明示するものではなく,本件出願の優先権主張日当時の技術常識を裏付けることはできない。
次に,原告が上記主張の根拠として挙げる文献のうち,本件出願の優 J.A.HOUGHTON  AND D.M.TAYLOR MAINTENANCE  OF  BIOLOGICAL  AND  BIOCHEMICAL CHARACTERISTICS OF HUMAN COLORECTAL TUMOURS DURING SERIAL PASSAGE IN IMMUNE-DEPRIVED MICEBr.J.Cancer(1978)37,119,訳文・「J.A.ホートン,D.M.タイラー「免疫不全マウスにおいて連続継代を経たヒト大腸癌(腫瘍)の生物学的及び生化学的特徴の維持」ブリティッシュジャーナルオブキャンサー:(1978年)37,199」(甲47の2))には,連続的継代を経ても,上皮のムチンや癌胎児性抗原の発現と同様に,「LDH」(乳酸脱水素酵素),「G6PDH」(グルコース-6-リン酸脱水素酵素)などのアイソザイム型について,ヒト型が維持される旨の記載はある(原文199頁上欄1行~7行)が,継代と転移能に係る記載はなく,甲47の1は,継代を経てもヒト腫瘍組織の転移能が維持されることを示すものとはいえない。また,甲27の3,50の1,51の1,52の1,53の1,54の1,55の1,56の1,58の1等には,継代を経ても組織学的様相に変化がないことが記載され,甲56の1には,それに加えて,LDHのアイソザイム型についてヒト型が維持されることが記載されているが,継代と転移能に係る言及がない以上,これらの文献が,継代を経てもヒト腫瘍組織の転移能が維持されることを示すものとはいえない。
したがって,原告が上記主張の根拠とする各文献は,本件出願の優先権主張日当時,継代を経てもヒト腫瘍組織の転移能が維持されることが技術常識であったことを示すものとはいえない。
    Toshiharu  Furukawa,Xinyu  Fu,Tetsuro Kubota,Masahiko Watanabe,Masaki Kitajima,and Robert M.Hoffman Nude  Mouse  Metastatic  Models  of  Human  Stomach  Cancer Constructed  Using  Orthotopic  Implantation  of  Histologically Intact TissueCANCER RESEARCH 53.1204-1208.March 1.1993,訳文・「トシハル  フルカワ…Robert  M.Hoffman「組織学的に無傷の組織…の同所組織移植を使って作製されたヒト胃癌のヌードマウス転移モデル」CANCER  RESERCH第53巻,1204~1208頁,1993年3月1日」(甲40の2))には,「最近我々は,手術より直接得られるような,組織そのままを使う同所移植のモデルを開発した。このアプローチでは,大腸癌,膀胱癌,肺癌,膵臓癌および前立腺癌において,高い生着率と頻繁な転移が認められた。」(原文1204頁左欄8行~12行,訳文1枚目17行~20行),「異種移植片は全て…ヌードマウスへ継代移植することによって維持した。」(原文1204頁右欄39行~40行,訳文・2枚目11行~12行)との記載があり,甲46の1(Toshiharu FURUKAWA,Tetsuro KUBOTA,Masahiko WATANABE,Masaki KITAJIMA and Robert M.HOFFMANORTHOTOPIC TRANSPLANTATION OF HISTOLOGICALLY INTACT  CLINICAL  SPECIMENS  OF  STOMACH  CANCER  TO  NUDE MICE:CORRELATION OF METASTATIC SITES IN MOUSE AND INDIVIDUAL PATIENT DONORSInt.J.Cancer:53,608-612(1993),訳文・「古川俊治…ロバート  エム.ホフマン「胃癌の組織学的に無傷な臨床被検物のヌードマウスへの同所移植:個々の臨床被検物供与患者とヌードマウスに於ける転移部位の相関性」インターナショナルジャーナルオブキャンサー:53,608-612(1993年)」(甲46の2))
には,「ヌードマウスの局所で増殖した20症例の内,5症例には肝臓への転移が認められ,その5症例の全てがヌードマウスの肝臓に転移した。…これらの結果は,患者から採った組織学的に無傷な胃癌をヌードマウスに同所移植すると,マウスの体内で引き続いて起こる癌の転移についての挙動が癌患者の体内で起こる癌の経過と大変良く相関していることを示している。」(原文608頁左欄10行~21行,訳文・10行~16行)との記載がある。
しかし,甲40の1及び甲46の1は,本件出願の優先権主張日の後に作成されたものであることからすると,これらの記載は,前記aで述べたのと同様の理由により,本件出願の優先権主張日当時の技術常識を裏付けるものではない。
  他に,脳以外の器官から採取されたヒト腫瘍組織が継代を経ても転移能が維持されることが本件出願の優先権主張日当時技術常識であったことを示すことを認めるに足りる証拠はない。
(
サポート要件の適合性の有無
以上の()ないし()を総合すると,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願の優先権主張日当時の技術常識に照らし,当業者が,ヌードマウスでの皮下継代を経た脳以外のヒト器官から採取したヒト腫瘍組織塊が同所移植された本件発明のモデル動物がヒト腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る能力を有するモデル動物を作成するという本件発明の課題を解決できることを認識できるものと認めることはできない。
したがって,本件発明の特許請求の範囲の記載は,サポート要件に適合しないというべきである。
  小括
以上によれば,被告主張の無効理由2は理由がある。
(2) 
無効理由8(乙14を主引用例とする進歩性欠如)の有無について
被告は,当業者であれば,乙14に記載された発明に乙27に記載された技術を適用して,本件発明を容易に想到することができたものといえるから,本件発明に係る本件特許には,特許法29条2項に違反する無効理由(同法123条1項2号)がある旨主張する。
  乙14の記載事項
(
乙14(桑原武彦「ヒト肝癌のヌードマウスへの移植に関する研究
可移植系の樹立とその性格」,肝臓,1980年,21巻3号,39頁~51頁)には,次のような記載がある。
  「ヒト癌の生物学的特性の研究や種々の制がんの研究には細胞培養あるいは動物移植による方法が用いられるが,腫瘍の種類によってはこれらは必ずしも可能ではない.…とくにヒトがんを担った動物は,その腫瘍の生物学的特性や種々の治療効果を研究するうえに理想的なモデルであるが,移植されたヒトがんが宿主動物により本来の性格が変わらないことが必要条件である.」(39頁左欄2行~11行),「一方,ヒト肝癌の研究はその細胞培養株の確立が困難であることより,臨床的研究と動物発生の肝癌により行われてきた.」(39頁左欄20行~右欄2行)   「このような観点より,著者はヒト肝癌をヌードマウスへ移植し,その継代を試みたところ,今回1継代移植系統を確立しえた.そこで,ヌードマウス移植ヒト肝癌の生物学的性格およびヒト肝癌研究の対象としての適否などについて,継代移植したが系統化できなかった他の14例とともに検討を加えた知見について報告する.」(39頁右欄3行~8行) – 63 –   「1.実験動物
実験動物中央研究所においてSpecific  Pathogen  Free下で飼育されたBALB/c系ヌードマウス(nu/nu)の雄および雌で,生後5~7週のものを用いた.」(39頁右欄10行~13行)   「2.実験方法
北大第1外科に昭和51年11月より53年5月迄入院し,開腹手術を行った肝癌患者は16例であるが,このうち術中または切除標本よりヌードマウス移植可能な肝腫瘍組織片を採取しえたのは14例15個あった.これらの組織片をヌードマウスへ初代移植し,生着したものはさらに継代移植した.」(39頁右欄19行~40頁2行)   「(a)  初代移植
腫瘍の部分切除あるいは肝切除標本より無菌的に肝腫瘍組織を採取し,…壊死部と血液成分を除去後2mm角以下に細切する.ついで,その組織片の1ないし数個を移植針を用いて,ヌードマウスの側腹部あるいは背部の皮下に移植した.」(40頁左欄11行~17行)   「(b)  継代移植
初代あるいは継代移植した腫瘍が一定の大きさに達した時期に,そのヌードマウスをエーテル麻酔下に心臓穿刺し,採血後無菌的に腫瘍を摘出した.この腫瘍はただちに生理的食塩水内に入れ,約2mm角に細切し,その1ないし数個を移植針を用いて,他の新しいヌードマウスの側腹部あるいは背部の皮下に移植した.…これらの継代移植は腫瘍の出血,中心壊死,潰瘍形成などが少ない,直径が約1cmを越えた時点で行った.」(40頁左欄23行~33行)   「(c)ヌードマウス肝への移植
ヌードマウスをエーテル麻酔下に開腹し,前述の方法で作製した1– 64 – ~2mm角の組織片を外径2.5ないし1.5mmの移植針を用いて,肝中葉に移植した.また,ヌードマウス右側腹部肋骨弓下に移植針を挿入し,肝右葉外側区に腫瘍組織片を接触するようにして行ったものもある.」(40頁左欄34行~39行)   「右側腹部肋骨弓下に移植針を挿入して肝に移植を行ったのは10匹あるが,Hc-3の2代目とHc-5の3代目の2匹に成功したにすぎなかった.…また右肋骨弓下に移植したHc-3の2代目に,肺転移がみとめられた 27) .」(42頁左欄16行~23行),「初代移植成立した6例はいずれも継代し,全例2代目移植にも成功し,さらに継代移植を続けた」(42頁右欄1行~2行)   「また,肝に直接移植したもののAFP値がその他のものに比し10倍以上の高値を示したのは興味深く,腫瘍発生母地とAFP値については今後検討すべき課題であろう.肝癌を皮下と肝に移植するのでは,移植腫瘍の生着率や生物学的特性のうえでも何らかの相違があることが推測される.」(48頁左欄26行~31行)   「14症例より採取した15個の腫瘍組織塊をヌードマウスに継代移植した結果,つぎの結論がえられた.1)初代移植成功は肝細胞癌13例中5例,肝芽腫2例中1例であった.…4)生着した6例全例よりAFPが検出された.5)移植された肝細胞癌は胞巣形成が著明でないほかは原腫瘍に類似した像を示した.6)転移は肝に浸潤性腫瘍を形成した1匹のみにみられ,肺転移であった.7)核型分析,血清吸収試験,抗ヒトAFP血清による沈降反応などによりヒト由来のものであることが同定された.」(48頁右欄4行~18行)   「文献」の「27)」として,「内野純一,桑原武彦他:ヒト肝癌のヌードマウスへの移植,医学のあゆみ,104:31,1978.」(49頁右欄) (前記()の記載事項を総合すれば,乙14には,ヒト肝癌に対する非ヒトモデル動物であって,肝癌患者の肝臓から採取した肝腫瘍組織片をヌードマウスの皮下で継代移植して得られた腫瘍組織塊を,ヌードマウス右側腹部肋骨弓下に移植針を挿入して肝右葉外側区に移植することによって作成され,その移植がされた腫瘍組織を増殖させるに足る免疫欠損を有し,かつ,肺転移も認められたヌードマウスの記載があることが認められる。
そして,乙14記載のヌードマウスにおいては,肺転移が認められているから,転移させるに足る免疫欠損を有しているといえるが,乙14には,「ヒト癌を担った動物は,その腫瘍の生物学的特性や種々の治療効果を研究するうえに理想的なモデルである」と記載されているものの,当該研究すべき「腫瘍の生物学的特性や種々の効果」に「転移」が含まれるのか,また,その転移がどのような「構成」を採用することにより生じ得るのかについての明示の記載がないため,「ヒト肝癌の転移に対する非ヒトモデル動物」であるとまで認めることはできない。
そうすると,乙14記載のヌードマウスは,「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物」(構成要件A)とはいえない点で本件発明と相違するが,本件発明のその余の構成(構成要件BないしD)を備えている点では本件発明と一致するものと認められる。
(
これに対し原告は,乙14記載の方法は,肝臓に対して移植針を使用して腫瘍組織を移植する方法であり,移植針の使用により,移植の過程で腫瘍組織が損傷し,それによって腫瘍の細胞や腫瘍組織の小片が肝臓以外の腹腔中の他の器官の場所に漏出する可能性があり,かかる漏出の結果,「相当する器官でない場所」への移植が生じ得るため,結果として,肝臓外での腫瘍の増殖が同所移植による転移かどうかを科学的に判別できないし,また,乙14記載の方法によって作成されたマウス10匹のうちの1匹について,その2代目にたまたま転移したような結果が見えたとしても,科学的には転移と評価することはできないなどと主張する。
しかしながら,原告の主張は,以下のとおり理由がない。
  乙14には,「1~2mm角の組織片を外径2.5ないし1.5mmの移植針を用いて」移植したと記載されている(前記()g)ところ,乙24(「株式会社夏目製作所動物実験機器カタログ」66頁)
の記載に照らすと,外径2.5mm及び1.5mmの移植針の内径は,それぞれ2.0mm及び1.1mmであることが認められる。そして,乙14には,「移植針の外径よりも大きな腫瘍組織片を注入する」ことを示唆する記載はないことからすると,乙14に接した当業者においては,乙14の上記記載は,1~2mm角の組織片をこれらの移植針を用いて移植する際に腫瘍移植片の大きさに適合する移植針を用いることを記載したものと理解するのが自然である。
  また,被告が乙14記載の方法の検証実験の結果として提出した乙26には,腫瘍組織片が,弾力を有し,ピンセットによる物理的な圧縮に対しても,その外形が壊れたり,著しく変形したままとなったりすることはなかったこと,1.5mmの腫瘍組織片を,直径約1.5mm,内径1.1の外套針の内部に保持させた後に,中押棒で押し出すという操作を行っても,腫瘍組織片は塊として形状を保っていたことが示されていることからすると,腫瘍組織片からバラバラとなった単離細胞が放出されることは考えにくい。
なお,乙26記載の方法においては,切開した皮膚をクリップで固定しているが,このクリップでの「固定」は,単に,腫瘍の挿入操作のため,露出させた肝臓をもとに戻し,切開した皮膚をクリップで固定したものであって,被移植部位に腫瘍を縫いつける等して「固定」する意味での「固定」とはいえず,このようなクリップでの「固定」を用いているからといって,乙26記載の方法が乙14記載の方法の検証実験に当たらないということはできない。
  さらに,原告が本件第12回弁論準備手続の技術説明会で使用した説明資料(甲63)のスライド48及び49において示した実験結果は,乙14記載の移植針を用いた移植方法により細胞が漏出する可能性があることを立証趣旨とするものであるが,上記実験に用いられた移植針は,3.5×9.5mmのものであって,乙14記載の移植針(外径2.5ないし1.5mm)よりも大きく,乙14記載の方法を再現したものとはいえないのみならず,用いた試料,用いた腫瘍組織片の大きさ,移植針を注入した組織が示されておらず,漏出した細胞は,移植針を注入した組織部位にとどまっているようにもうかがわれ,それが体液に運ばれて肺に到達し,そこで生着したことが示されているわけでもないから,上記実験結果は,原告の上記主張を裏付けることにはならない。
  以上によれば,乙14において,移植針の使用により,移植の過程で腫瘍組織が損傷し,それによって腫瘍の細胞や腫瘍組織の小片が肝臓以外の腹腔中の他の器官の場所に漏出した可能性があるものとはいい難い。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
  乙27の記載事項
(
乙27(内野純一,桑原武彦他「ヒト肝癌のヌードマウス肝への移植」,医学のあゆみ,第104巻,第1号,昭和53年1月7日,31頁~33頁)には,次のような記載がある。
  「ヒト癌を担った動物は,その腫瘍の生物学的特性や種種の治療効果を研究するうえに理想的なモデルであるが,移植されたヒト癌が宿主動物で本来の性格が変わらないことが必要条件であり,原発臓器に発育することが望ましい.」(31頁左欄1行~5行)   「実験方法 1976年10月より翌年7月まで当科で手術を行った肝癌8例中,切除を行った3例および試験切除のみに終わった4例の肝癌組織片を移植した.使用したマウスは雄あるいは雌のヌードマウスで,BALB/Cを遺伝的背景としており,実験動物中央研究所より供給されたものである.…移植方法は,切除あるいはneedleで採取した肝癌組織を生理食塩水内で2mm角の組織片とし,これを両側の腹部ないし背部の皮下に,右側のものは肝外側区に近く移植針により移植した.」(31頁左欄16行~28行)   「特筆すべきことは継代2代目のラットで,右側腹部深部に移植した腫瘍片が肝に移植されたことで,約1.5cmの腫瘤を形成した(図1).腫瘤は塊状型で,左外側葉を残すのみで全葉にわたっていた.腹水,肝門部リンパ節転移は認めなかったが,右肺下葉に直径約2mmの球状の転移を認めた.」(31頁右欄18行~32頁右欄1行)   「従来移植部位は背部,下肢などの皮下が用いられているが,これは腫瘍の周囲組織の反応様式が原発臓器とは異なってくることも考えられる.すなわち,通常皮下に発育したヒト肝細胞癌は球状を呈し,比較的厚い線維性の被膜により覆われているが,われわれの肝移植例では線維性被膜形成はほとんどなく,ところによっては出血性のみられるもので,皮下に発育したものとはやや様相を異にしており,しかも肺転移を伴っていた.」(32頁右欄26行~33頁左欄5行)   「ヌードマウスに移植されたヒト癌に転移がほとんどないのは免疫欠如動物であるためか,移植腫瘍の生物学的性格が変わったのか,あるいはSPF環境下でなかったため長期生存例が少なく,転移する以前に死亡したことなどが考えられるが,移植部位が皮下組織であることも1つの大きな要因となりうる.すなわち,原発臓器に移植されれば同じような転移を示す可能性もあり,われわれの肝移植肝細胞癌が肺転移を惹起したことはこれを明確に証明したものと考えたい.」(33頁左欄11行~19行)
(
前記()の記載事項を総合すると,乙27には,ヒトの肝癌組織片をヌードマウスで継代した組織片を「継代2代目のラット」の肝に移植されたことで,右肺下葉に直径約2mmの球状の転移を認めた旨の記載があることが認められる。
加えて,乙27における「原発臓器に移植されれば同じような転移を示す可能性もあり,われわれの肝移植肝細胞癌が肺転移を惹起したことはこれを明確に証明したものと考えたい。」との記載(前記()e)を併せ考慮すれば,乙27には,ヒトの肝癌組織片を「原発臓器」であるヌードマウスの「肝臓」に「同所移植」することによって肺転移が生じるヌードマウス(モデル動物)を得られるとの知見が開示されているものと認められる。
  相違点の容易想到性
①乙14と乙27は,肝癌患者の肝臓から採取した肝腫瘍組織片をヌードマウスの皮下で継代移植して得られた腫瘍組織塊をヌードマウスに移植することによってヒト肝癌を担ったモデル動物を作成する技術に係るものであって,同一の技術分野に属するものであり,その技術分野において,本件出願の優先権主張日当時,転移過程を再現できるヒト肝癌を担ったモデル動物の作成は共通の技術課題とされていたこと,②乙14は,ヌードマウスに肺転移が認められたことに関し,乙27を参照文献として引用していることに照らすならば,乙14及び乙27に接した当業者であれば,乙14記載のヌードマウスに,乙27記載のヒトの肝癌組織片を「原発臓器」であるヌードマウスの「肝臓」に「同所移植」することによって肺転移が生じるヌードマウス(モデル動物)を得られるとの知見を適用する動機付けがあるものと認められる。
そうすると,当業者であれば,乙14記載のヌードマウスに乙17記載の上記知見を適用することにより相違点に係る本件発明の構成を容易に想到することができたものと認められる。
したがって,本件発明は,当業者であれば,乙14に記載された発明に乙27に記載された知見を適用して容易に想到することができたものといえるから,進歩性が欠如している。
  小括
以上によれば,被告主張の無効理由8は理由がある。
(3) 
まとめ
以上によれば,仮に原告が主張するように構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」には,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれるとした場合であっても,本件発明に係る本件特許には,被告主張の無効理由2及び無効理由8があり,特許無効審判により無効とされるべきものと認められるから,特許法104条の3第1項の規定により,原告は,被告に対し,本件発明に係る本件特許権を行使することはできない。
▼3  本訴マウスの均等侵害の成否について
前記1で述べたとおり,本訴において,前訴で主張することができた均等侵害の主張をすることは許されないものと判断するが,念のため,原告が主張する均等侵害の成否(争点2-2)について判断するに,本訴マウスは,均等論の第4要件を満たさないから,本件発明と均等なものとはいえない。
その理由は,以下のとおりである。
(1) 
本訴マウスは,本訴マウスが有する「ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊」の構成が構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」に該当しない点を除き,本件発明の各構成要件をいずれも充足する。
そうすると,本件発明の各構成要件のうち,構成要件Bに係る上記該当しない点の構成を本訴マウスの構成に置き換えたものをもって,本訴マウスの構成と同視することができる。
そして,本件発明の各構成要件のうち,構成要件Bに係る上記該当しない点の構成を本訴マウスの構成に置き換えたものは,本件発明の構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」には,ヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれるとした場合と同様である。
(2) 
前記2(2)で検討したとおり,本件発明の構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」にヌードマウスでの皮下継代を経た腫瘍組織塊も含まれるとした場合には,本件発明は,当業者であれば,乙14に記載された発明に乙27に記載された知見を適用して容易に想到することができたものといえる。
そうすると,これと同様に,本訴マウスの構成は,当業者が,本件出願の優先権主張日前の公知技術である乙14に記載された発明及び乙27に記載された知見に基づいて当業者が容易に推考できたものと認められるから,均等論の第4要件を満たさない。
したがって,原告の均等侵害の主張は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。
▼4  結論
以上によれば,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第46部 裁判長裁判官大鷹一郎 裁判官上田真史裁判官大西勝滋は,転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官大鷹一郎
(別紙)  マウス説明書
  被告が製造販売認可申請試験中の新規抗がん剤TSU68の大腸癌転移に及ぼす阻害効果等の動物評価実験目的で作成された非ヒトモデル動物であって,
  ヒト大腸癌から得られ,皮下継代の方法によって維持されてきた高転移性を有するヒト大腸癌株TK-4(ただし,国立大学法人浜松医科大学医学部第二外科において,S字結腸癌に罹患した50歳の日本人男性の転移した肝臓の病変から,1993年に確立されたもの。)の腫瘍組織を,
  120mgの腫瘍片(塊)として,
  6週令のオスのヌード・マウス(BALB/c  nu/nu:日本クレア)の,
  盲腸壁に6-0のポリソーブ縫合糸(タイコ・ヘルスケア社製)で縫い付けて同所移植することによって作成された,
  モデル動物。

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