<知財高裁/抗IL-4R抗体用途特許の審取訴訟> ClinicalTrials.govは無期限で進歩性の例外にしませんか(科研製薬対リジェネロン、サノフィ)

 判決紹介 

・令和5年(行ケ)第10019号 審決取消請求事件
・令和6年8月7日判決言渡
・知的財産高等裁判所第4部 宮坂昌利 本吉弘行 岩井直幸
・原告:科研製薬株式会社
・被告:リジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッド
・被告:サノフィ・バイオテクノロジー
・特許6353838
・発明の名称:IL-4Rアンタゴニストを投与することによるアトピー性皮膚炎を処置するための方法
 コメント 
判決を紹介します。
リジェネロン、サノフィ(被告)は抗IL-4R抗体のアトピー性皮膚炎に関する用途特許である特許6353838(本件特許)の特許権者です。
リジェネロン、サノフィは抗IL-4R抗体を有効成分とするデュピクセント(一般名:デュピルマブ)を販売しています。デュピクセントの効能又は効果は「アトピー性皮膚炎」、「気管支喘息」等などです。
本件は、科研製薬(原告)が本件特許の無効審判の不成立審決の取消しを求めた事案です。
本件の経緯は以下の通りです。
○平成30年6月15日:本件特許の特許権の設定登録
○令和3年1月15日:原告が本件特許の無効審判を請求
○令和4年4月5日:被告が訂正請求
○令和5年1月13日:特許庁が請求項の訂正を認めた上で不成立審決(本件審決)
○令和5年2月21日:原告が審決取消訴訟を提起
争点は、進歩性、サポート要件、実施可能要件です。
本件特許の訂正後の請求項1は以下のとおりです。
【請求項1】
患者において中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)を処置する方法に使用するための治療上有効量の抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL-4R)抗体またはその抗原結合断片を含む医薬組成物であって、ここで前記患者が局所コルチコステロイドまたは局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないかまたは前記局所処置が勧められない患者である前記医薬組成物。
進歩性に関する判決の概要を以下に記載します。(サポート要件等は本ブログでは省略します)
主引例である甲1の内容は以下の通りです。
3 甲1について
後記無効理由1(進歩性欠如)の主引用例とされる甲1Clinical Trials. Gov archive, History of Changes for Study: NCT 01548404, Study of REGN668 in Adult Patients With Extrinsic Moderate-to-Severe Atopic 5 Dermatitis)は、「REGN668についての、中等度~重度の外因性アトピー性皮膚炎を患っている成人患者における試験」(正式なタイトルは「外因性の中等度から重度のアトピー性皮膚炎の成人患者における皮下投与されたREGN668の有効性、安全性、忍容性及び薬力学の無作為化二重盲検プラセボ対照複数回用量による試験」)につき、治験依頼者・共同研究者である被告らが、監督当局である米国FDAに提出(最後の更新提出日:2012年〔平成24年〕)4月19日)した臨床試験のプロトコル(試験実施計画書)(情報データベースからの出力文書)である。
その治験薬組成物(の一部)であるREGN668は、抗ヒトIL-4R抗体(本件抗体)であり、本件明細書に本件訂正発明の実施例として記載されている「mAb1」と同一物質である(争いがない。)。
甲1は、ClinicalTrials.govに登録された臨床試験(フェーズ2)のプロトコルです。甲1に記載のREGN668は、抗ヒトIL-4R抗体です。
審決での、本件訂正発明と甲1発明との一致点・相違点は以下の通りです。
(1) 無効理由1(引用発明に基づく進歩性の欠如)について
ア 甲1には、以下の「引用発明」が記載されており、本件訂正発明1と引用発明との一致点及び相違点は下記のとおりである。
【引用発明】
「中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)患者に対する効果、安全性などを評価するための試験に使用される、REGN668を含む治験薬組成物であって、ここで前記患者が18歳以上で、少なくとも3年間の慢性アトピー性皮膚炎を患っており、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者である前記治験薬組成物。」
【一致点】
抗ヒトIL-4R抗体又はその抗原結合断片を含む組成物であって、中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)であって、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者に投与されるものである点。
【相違点】
本件訂正発明1は、中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)であって、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者を処置する方法に使用するための、治療上有効な量の抗ヒトIL-4R抗体又はその抗原結合断片を含む医薬組成物であるのに対し、引用発明は、治験薬組成物である点。
要するに、本件訂正発明が「医薬組成物」で、甲1発明が「治験薬組成物」である点が相違点と認定されています。
言葉だけをみると、医薬組成物は治験薬組成物の上位概念で、そのまま相違点というには若干違和感があるような気もします。
審決では、相違点の容易想到性の議論において、以下のように「臨床試験の結果を待つことなく、中等度から重度のアトピー性皮膚炎に対して治療効果が得られると予測をすることは困難であると認められる」と判断していました。
ウ 相違点の容易想到性について
甲1の試験はフェーズ2臨床試験であるところ、フェーズ2の前に行われるフェーズ1臨床試験は、通常少数の健康人に対し治験薬の安全性や薬物動態を調査するものであり、患者に対する有効性の確認はフェーズ2臨床試験から始められることが技術常識である。そして、甲21(審判乙1)によれば、フェーズ2臨床試験の成功の確率は他のどのフェーズよりもはるかに低く、アレルギー疾患の場合、33%程度であり、このことからすると、フェーズ2臨床試験が行われていることから直ちに、当該治験薬が試験結果を見るまでもなく当然に治療上有効であると当業者が理解するとはいえない。
また、甲2~6を検討しても、本件特許の優先日前に、アトピー性皮膚炎患者に抗ヒトIL-4R抗体が投与されて、実際に治療効果が得られたことを示す証拠はない。
アトピー性皮膚炎の急性期と慢性期におけるサイトカインの役割に関する本件特許出願の優先日における技術常識を踏まえると、甲1で使用されているREGN668(抗ヒトIL-4R抗体)が、甲3における抗体と同様、IL-4活性及びIL―13活性を遮断する能力を有するものであるとしても、少なくとも3年間の慢性アトピー性皮膚炎を患っており、IL-4が優勢である急性期とは異なり、IL-4よりもインターフェロンガンマ、IL-12産生が優勢となっていると考えられる引用発明における患者に対し、REGN668(抗ヒトIL-4R抗体)を治療上有効に用いることを当業者が想到し得たとはいえず、また、臨床症状の改善をもたらすことを容易に予測はできない状況であったと認められる。
また、甲24(審判乙4)に記載されるように、アトピー性皮膚炎における免疫経路の複雑さを考慮すると、IL-4の作用の遮断という、本件特許の優先日において、アトピー性皮膚炎の治療に対する使用実績のない特定のメカニズムに基づく治療薬について、臨床試験の結果を待つことなく、中等度から重度のアトピー性皮膚炎に対して治療効果が得られると予測をすることは困難であると認められる。
そうすると、引用発明について、中等度から重度のアトピー性皮膚炎であって、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者を処置する方法に使用するための、治療上有効な量の抗ヒトIL-4R抗体を含む医薬組成物であるという相違点に係る構成を備え、本件訂正発明1に該当する患者において、実際に本件明細書に示されたアトピー性皮膚炎の臨床症状の改善効果を示すものとすることは、甲1~6の記載から当業者が容易になし得たことであるとはいえない。
原告は、以下のように「REGN668が奏功することは当業者が予測できたことである」と主張しました。
(2) 本件訂正発明の容易想到性の判断の誤り
本件審決には、上記(1)のとおり技術常識の認定に誤りがあるから、審決がなした相違点の容易想到性の判断も、前提において失当であることが明らかである。
また、本件審決には、引用発明における発明の効果の認定における更なる瑕疵があるし、本件訂正発明における「抗ヒトIL-4R抗体の効果」の認定にも誤りがあるから、容易想到性の判断にも誤りがある。
ア 引用発明の効果の誤認
本件審決は、引用発明で用いられたREGN668の治療上の有効性、臨床症状の改善効果に関する予測を否定した。しかし、上記(1)のとおり、本件審決がなした技術常識の認定は誤っており、かかる誤った技術常識に依拠してなされた引用発明の効果の認定も誤りである。
また、本件審決には、自らが認定した技術常識の当てはめを誤った瑕疵があることも明らかである。すなわち、本件審決は、病変や皮疹のステージを特定する語である「慢性期」と、アトピー性皮膚炎の罹病期間を特定する語である「慢性」という、異なる対象についての異なる指標について表す表記を、誤って同一視し、自らが認定した技術常識の当てはめを誤った瑕疵がある。
そして、甲1における試験段階は第Ⅱ相試験であり、これに先立ってアトピー性皮膚炎患者に対するREGN668の第Ⅰ相試験(「Phase1b」)が行われており(甲6)、REGN668は医薬品としての有用性が期待できると判断された薬物である(甲49)。また、IL-4の作用の遮断がアトピー性皮膚炎の治療に用い得ることは、甲3又は甲8から本件特許の優先日において知られていたことであった。第Ⅰ相試験に供試される治験薬組成物でさえ医薬品としての有用性が期待できると判断された薬物であるのであるから、第Ⅰ相試験を経てさらなる臨床試験である第Ⅱ相試験に供試された治験薬組成物である引用発明に係る抗ヒトIL-4R抗体(REGN668)が、医薬品としての有用性が期待できると判断された薬物であることは論を俟たない。そして、引用発明が奏すると予測される効果は、本件訂正発明の物としての構成を具備する引用発明自体の従来技術に鑑みて予測される効果であって、具体的な試験における結果である必要はないから、臨床試験の結果の有無に拘泥する必要はない。
そうすると、アトピー性皮膚炎はTh2/IL-4等が優勢な疾患であるという正しい技術常識に照らし、抗ヒトIL-4R抗体であるREGN668が奏功することは当業者が予測できたことである。
今回、知財高裁は、以下のように「予測できなかったといえる」と判断しました。
(2) 容易想到性の判断の誤りについて
ア 原告は、甲1の試験(第Ⅱ相試験)に先立ってアトピー性皮膚炎患者に対するREGN668の第Ⅰ相試験が行われ、引用発明に係るREGN668が医薬品としての有用性が期待できる薬物であると既に判断されており、アトピー性皮膚炎がTh2/IL-4等が優勢な疾患であるという正しい技術常識に照らし、抗ヒトIⅬ-4抗体であるREGN668が奏功することは当業者が予測できたことであると主張する。
イ しかし、本件審決が認定するアトピー性皮膚炎に関する技術常識、すなわち、アトピー性皮膚炎は、炎症の強い急性期(急性病変)ではTh2細胞が優位になるが、慢性状態(慢性病変)になるとTh1細胞優位となり、炎症部位や病期によって、Th2細胞とTh1細胞間で揺れ動く(Th1/Th2バランスが変化する)という作用機序を有することに誤りがないことは前記(1)のとおりであり、原告が主張するように「アトピー性皮膚炎がTh2/IL-4等が優勢な疾患である」という単純な理解のみに基づいて、その治療上の有効性の判断をなし得るものではない。
しかも、アトピー性皮膚炎の免疫経路が複雑なものであり、炎症部位や病期によっても変化し得ることについては、前掲甲24の「特定の細胞とサイトカインがADで果たす役割についての洞察は、標的療法の開発の機会を生み出す。しかし、関与する生物学的プロセスの複雑さを考えると、これまでにテストされた化合物のどれも特効薬であることが証明されていない。」との記載、前掲甲25の「Th1/Th2バランスが比較的限局された部位においても、また、病期によっても変化し、さらに、同一個体内の部位によってバランスが異なる可能性もあり、Th1/Th2バランスのみでアレルギー疾患を理解することには無理もあるように思われる」との記載、甲28(厚生労働省のウェブサイトの「アトピー性皮膚炎」と題されたPDF資料)の「アトピー性皮膚炎の炎症には、様々な細胞やそれらが産生・遊離する化学伝達物質、サイトカイン、ケモカインなどが総合的に関与している」との記載、前掲乙21の「AD発症初期では、Th2サイトカインが主体で皮疹が完成するとTh1サイトカイン発現が加わり、両者が複雑に関係しつつ皮膚炎を維持していることが推察される」及び「すでに起きている炎症(皮膚炎)においては前述したように、Th2のみならずTh1サイトカイン、さらに種々の免疫細胞が複雑に関与している」との記載に示されているとおりである。
こうした、アトピー性皮膚炎の免疫経路の複雑さも考慮すると、炎症部位や病期によってTh1/Th2バランスが変化し、このバランスのみでアレルギー疾患を理解することは困難であったことが本件特許の優先日当時の技術常識であり、それ以前に、IL-4及びこれを産生するTh2細胞を含む、特定の細胞とサイトカインがアトピー性皮膚炎で果たす役割についての当業者の理解は、標的療法の開発の機会を生み出す(特定の細胞とサイトカインを標的に、候補化合物を探索し得る。)にとどまり、特定の細胞とサイトカインのうちのいずれかを標的とすることによって、アトピー性皮膚炎の治療が可能になるような化合物(抗体等)の存在を解明するには至っていなかったといえる。
そうすると、たとえ上記優先日前に、アトピー性皮膚炎の治療が可能になるような化合物(抗体等)の標的となり得る抗原である特定の細胞とサイトカイン(Th2/IL-4)が知られていたとしても、他の多くの細胞とサイトカインも作用することが知られている中で、Th2/IL-4の働きを阻害することで、本件患者を含む慢性アトピー性皮膚炎の治療効果を奏するかどうかまで、当業者が認識できたとはいえない。
つまり、当該抗原の作用を阻害するための受容体に対する抗体(抗IL-4R抗体)が公知であったとしても、当該作用の阻害により、アトピー性皮膚炎の治療効果が可能となるとの治験までが公知になっていたわけではないから、当該抗体(抗IL-4R抗体)を実際に治験に使用して、アトピー性皮膚炎に対する効果を確認してみなければ、アトピー性皮膚炎への治療効果があるかは予測できなかったといえる。
ウ また、甲1における試験段階は第Ⅱ相試験であり、甲21によれば、第Ⅰ相試験(フェーズ1)からの移行の成功率は63.2%(n=3,582)であり、第Ⅱ相試験(フェーズ2)から第Ⅲ相試験(フェーズ3)への移行の成功率は更に低く、30.7%(n=3,862。アレルギー疾患の場合には33%)にすぎないことが認められる。しかも、甲1に記載された情報は臨床試験のプロトコル(試験実施計画書)にすぎず、実際の試験結果については記載されていない。そうすると、甲1に記載された治験薬が、試験結果をみるまでもなく当然に治療上有効であると当業者が理解するともいえない。
エ これに対し、原告は、本件訂正発明1と引用発明の相違点に係る「治療上有効な量」については、薬効を確認するための臨床試験(甲1)において試験される治験薬の量は治療上有効な量であることは当然であり、ヒト抗体のアトピー性皮膚炎に対する具体的な用量は引用発明の際公知であった甲3に記載されているなどと主張する。
しかし、上記主張を踏まえたとしても、Th2/IL-4の働きを阻害すること自体が確たるものではなかったのであるから、本件患者を含む慢性アトピー性皮膚炎の治療効果を奏するかについて当業者が認識できたとはいえないとの前記判断は左右されない。しかも、甲3に記載された「1回あたりの用量は通常約0.01~約20mg/kg体重」の記載は、IL-4Rが関与している種々の病態の処置及び病気に用いる際の用量の目安であって、本件訂正発明の対象患者である本件患者に対する用量は何ら示されていない。
よって、原告の上記主張は採用することができない。
・・・
(3) 小括
以上によると、取消事由1に関する原告の主張はいずれも採用できず、本件訂正発明1が、引用発明及び甲1~6の記載に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものでないとした本件審決の判断に誤りは認められない。
ということで、知財高裁は、進歩性ありと判断した審決の判断に誤りはないと判断しました。
上記のウの最後で「当然に治療上有効であると当業者が理解するともいえない」と締めくられていますが、そうではなくて、30.7%(アレルギー疾患の場合には33%)の成功率は、「予測できたこと」の根拠にならないのか、についても判断がほしかった気もします。
また、一度いろいろな議論を忘れて、特許的な感覚も忘れて、請求項1と甲1だけを見ると、フェーズIIまでいってるんだから(フェーズIの前には動物実験で効果も見られているはずだし)、請求項1の用途(効果)が予測できないというには無理があるのではないか、という気もしてきます。
別の見方をすると、本件特許の効果を「フェーズIIをクリアするような治療効果」と解釈した場合、サポート要件、実施可能要件はより厳しく見られ、より多くの実施例が必要になるのでは、という気もします。
とはいっても、ClinicalTrials.govでのプロトコル公開は製薬会社にとって一定程度避けられないことなので、これによって簡単に無効と判断するのは酷かもしれません。
ClinicalTrials.govでの公開には無期限で進歩性の例外規定を適用する、という新たな制度が世界的に導入されれば、いろいろなことが解決するような気がします。
制度的には無理でも、本判決のように、ClinicalTrials.govが引例として弱いっていうことを示唆するような判決が積み重なっていくと、似たような状況にはなるかもしれません。ただ、ClinicalTrials.govはよいとしても、論文や書籍に記載されたプロトコルや一行記載まで弱くなってしまうと、趣旨が変わってくるので難しいところです。
判決抜粋を以下に記載します。
判決
第2 事案の概要
・・・
3 甲1について
後記無効理由1(進歩性欠如)の主引用例とされる甲1(Clinical Trials. Gov archive, History of Changes for Study: NCT 01548404, Study of REGN668 in Adult Patients With Extrinsic Moderate-to-Severe Atopic 5 Dermatitis)は、「REGN668についての、中等度~重度の外因性アトピー性皮膚炎を患っている成人患者における試験」(正式なタイトルは「外因性の中等度から重度のアトピー性皮膚炎の成人患者における皮下投与されたREGN668の有効性、安全性、忍容性及び薬力学の無作為化二重盲検プラセボ対照複数回用量による試験」)につき、治験依頼者・共同研究者である被告らが、監督当局である米国FDAに提出(最後の更新提出日:2012年〔平成24年〕)4月19日)した臨床試験のプロトコル(試験実施計画書)(情報データベースからの出力文書)である。
その治験薬組成物(の一部)であるREGN668は、抗ヒトIL-4R抗体(本件抗体)であり、本件明細書に本件訂正発明の実施例として記載されている「mAb1」と同一物質である(争いがない。)。
4 本件審決の理由の要旨
本件訂正の当否は本訴において争われておらず、後記5記載の取消事由と関係する範囲で、本件審決の理由の要旨を以下に示す(なお、本訴と審判とで書証番号が異なるものは、審判における書証番号を参考並記する〔特記ないものは本訴・審判を通じて同一の番号である。〕。)。
(1) 無効理由1(引用発明に基づく進歩性の欠如)について
ア 甲1には、以下の「引用発明」が記載されており、本件訂正発明1と引用発明との一致点及び相違点は下記のとおりである。
【引用発明】
「中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)患者に対する効果、安全性などを評価するための試験に使用される、REGN668を含む治験薬組成物であって、ここで前記患者が18歳以上で、少なくとも3年間の慢性アトピー性皮膚炎を患っており、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者である前記治験薬組成物。」
【一致点】
抗ヒトIL-4R抗体又はその抗原結合断片を含む組成物であって、中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)であって、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者に投与されるものである点。
【相違点】
本件訂正発明1は、中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)であって、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者を処置する方法に使用するための、治療上有効な量の抗ヒトIL-4R抗体又はその抗原結合断片を含む医薬組成物であるのに対し、引用発明は、治験薬組成物である点。
イ アトピー性皮膚炎に関する技術常識
甲23~27(審判乙3~7)によれば、アトピー性皮膚炎では、病期や部位により複雑にTh1/Th2バランスが変化し、急性期ではIL-4、IL-13などのTh2系サイトカインの産生が優勢であるが、慢性期に入ると、IL-4などのTh2系サイトカインよりもインターフェロンガンマ、IL-12産生が優勢となることが本件特許の優先日における技術常識であったと認められる。
ウ 相違点の容易想到性について
甲1の試験はフェーズ2臨床試験であるところ、フェーズ2の前に行われるフェーズ1臨床試験は、通常少数の健康人に対し治験薬の安全性や薬物動態を調査するものであり、患者に対する有効性の確認はフェーズ2臨床試験から始められることが技術常識である。そして、甲21(審判乙1)によれば、フェーズ2臨床試験の成功の確率は他のどのフェーズよりもはるかに低く、アレルギー疾患の場合、33%程度であり、このことからすると、フェーズ2臨床試験が行われていることから直ちに、当該治験薬が試験結果を見るまでもなく当然に治療上有効であると当業者が理解するとはいえない。
また、甲2~6を検討しても、本件特許の優先日前に、アトピー性皮膚炎患者に抗ヒトIL-4R抗体が投与されて、実際に治療効果が得られたことを示す証拠はない。
アトピー性皮膚炎の急性期と慢性期におけるサイトカインの役割に関する本件特許出願の優先日における技術常識を踏まえると、甲1で使用されているREGN668(抗ヒトIL-4R抗体)が、甲3における抗体と同様、IL-4活性及びIL―13活性を遮断する能力を有するものであるとしても、少なくとも3年間の慢性アトピー性皮膚炎を患っており、IL-4が優勢である急性期とは異なり、IL-4よりもインターフェロンガンマ、IL-12産生が優勢となっていると考えられる引用発明における患者に対し、REGN668(抗ヒトIL-4R抗体)を治療上有効に用いることを当業者が想到し得たとはいえず、また、臨床症状の改善をもたらすことを容易に予測はできない状況であったと認められる。
また、甲24(審判乙4)に記載されるように、アトピー性皮膚炎における免疫経路の複雑さを考慮すると、IL-4の作用の遮断という、本件特許の優先日において、アトピー性皮膚炎の治療に対する使用実績のない特定のメカニズムに基づく治療薬について、臨床試験の結果を待つことなく、中等度から重度のアトピー性皮膚炎に対して治療効果が得られると予測をすることは困難であると認められる。
そうすると、引用発明について、中等度から重度のアトピー性皮膚炎であって、局所コルチコステロイド又は局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しない患者を処置する方法に使用するための、治療上有効な量の抗ヒトIL-4R抗体を含む医薬組成物であるという相違点に係る構成を備え、本件訂正発明1に該当する患者において、実際に本件明細書に示されたアトピー性皮膚炎の臨床症状の改善効果を示すものとすることは、甲1~6の記載から当業者が容易になし得たことであるとはいえない。
・・・
第4 当裁判所の判断
1 取消事由1(進歩性についての判断の誤り)について
(1) 技術常識の誤認に関する主張について
ア 原告は、本件審決が、アトピー性皮膚炎に関する技術常識として、急性期と慢性期に分けて、慢性期に入るとIL-4などのTh2系サイトカインよりもインターフェロンガンマ、IL-12産生が優勢となると認定したことについて、(A)アトピー性皮膚炎は慢性の疾患であるから急性期の存在を前提とする点で技術常識に反する、(B)アトピー性皮膚炎においては病期・部位に関わらずIL-4などのTh2系サイトカインが優勢であり、本件審決の上記認定は技術常識に反する旨主張する。
イ この点、アトピー性皮膚炎は、「増悪・寛解を繰り返す瘙痒(痒み)のある湿疹を主病変する疾患」(甲12、28)、「慢性炎症を伴う代表的疾患の一つ」(甲26)、「慢性に経過する炎症と瘙痒をその病態とする湿疹・皮膚炎群の一疾患」(甲39)とされていることが認められるから、いわゆる慢性の疾患であるということができる。そして、甲39の日本皮膚科学会アトピー性皮膚炎診療ガイドライン(日皮会誌:118(3).325-342 2008〔平成20〕)の326頁では、アトピー性皮膚炎の診断基準として、皮疹は湿疹病変であり、これには「急性病変」(紅斑、湿潤性紅斑、丘疹、漿液性丘疹、鱗屑 、痂皮)と「慢性病変」(浸潤性紅斑、苔癬化病変、痒疹、鱗屑 、痂皮)があることが記載されており、以上は、原告の主張に一応沿うものといえる。
ウ しかし、以下のとおり、本件審決が前記第2の4(1)イで認定した技術常識に沿う文献の記載が認められる。
・ 甲23、48(J Allergy Clin Immunol, March 1996, Vol.97, No3):「開始段階では、TH2及びTH0細胞によるIL-4産生は、TH1およびTH0細胞によるインターフェロンガンマ産生よりも優勢である。後期及び慢性期では、状況が逆転し、TH1およびTH0細胞によるインターフェロンガンマ産生が、TH2およびTH0細胞によるIL-4産生よりも優勢になる」
・ 甲 2 4 ( J.Clin.Invest.,Mar 2004,Vol.113,No.5,pp.651-657 ):「ADの炎症は、急性皮膚病変におけるTh2細胞の増加と関連している」、「急性皮膚病変は、IL-4、IL-5、およびIL-13mRNA発現細胞の数が有意に多い」及び「慢性AD皮膚病変は、IL-4およびIL-13mRNA発現細胞が有意に少ない」
・ 甲25(日薬理誌、2008年、第131巻、pp.22-27):「初期に観察されるTh2細胞優位の状態が次第にTh1細胞優位の状態へ移行する」
・ 甲26(東京医科大学雑誌、2012年1月、第70巻、第1号、pp.128-130):「炎症の強い急性期ではTh2細胞が優位になるが、慢性状態になるとTh1細胞優位となり、Th2細胞とTh1細胞間で揺れ動く」
・ 甲 2 7 ( Jpn.J.Med.Mycol., 2 0 0 4 年 、 第 4 5 巻 、 第 3 号 、pp.137-142):「IL-4、IL-5等、Th2系サイトカインはアトピー性皮膚炎の急性期の炎症を惹起し、一方、慢性期ではIFNγを産生するTh1細胞が炎症の増幅を司っていると考えられている」
・ 乙21(「アトピー性皮膚炎の炎症抑制」と題する医学論文、VOL.20NO.5 SEPTEMBER 2000):「・・・初期段階ではおそらくTh2サイトカインが主体をなし、炎症の維持にはTh2のみでなくTh1サイトカインも関与していると考えられる」(584頁)
エ これらの記載に鑑みると、アトピー性皮膚炎の急性期の病巣部位(急性病変)ではIL-4やIL-13と呼ばれるサイトカインを産生するTh2細胞が増加し、慢性期の炎症部位(慢性病変)ではIFN-γを産生するTh1細胞が増加するといわれており、アトピー性皮膚炎は、炎症の強い急性期(急性病変)ではTh2細胞が優位になるが、慢性状態(慢性病変)になるとTh1細胞優位となり、炎症部位や病期によって、Th2細胞とTh1細胞間で揺れ動く(Th1/Th2バランスが変化する)という作用機序を有することが本件優先日における技術常識であったと認められる。
なお、アトピー性皮膚炎においてはIL-13というTh2系サイトカインが強く関与していることを示す文献(甲76等)があることは原告の主張するとおりであるが、そうだとしても、「慢性期に入ると、IL-4などのTh2系サイトカインよりもインターフェロンガンマ、IL-12産生が優勢となることが本件特許の優先日おける技術常識であった」との本件審決の技術常識に関する認定が誤りだったということはできない。
オ 原告は、アトピー性皮膚炎について、急性期及び慢性期の概念自体を否定する主張をするところ、その根拠は、アトピー性皮膚炎は慢性の疾患であり、皮疹の病変に「急性病変」と「慢性病変」があるにすぎないという趣旨をいうものと理解される(上記イ参照)。しかし、上記ウで認定した文献の記載も踏まえると、本件審決が前記第2の4(1)イで認定したアトピー性皮膚炎に関する技術常識中で言及されている「急性期」、「慢性期」とは、病変(皮疹)の「急性病変」、「慢性病変」の趣旨と理解できるものであり、原告の指摘を踏まえても、当該技術常識の認定を誤りと認めることはできない。
カ 以上によると、本件審決の技術常識の誤認をいう原告の主張は、いずれも採用できない。また、原告は、当該技術常識の誤認を前提として引用発明の効果の誤認等種々の主張をするが、これらの主張はいずれも前提を欠くものとして採用できない。
(2) 容易想到性の判断の誤りについて
ア 原告は、甲1の試験(第Ⅱ相試験)に先立ってアトピー性皮膚炎患者に対するREGN668の第Ⅰ相試験が行われ、引用発明に係るREGN668が医薬品としての有用性が期待できる薬物であると既に判断されており、アトピー性皮膚炎がTh2/IL-4等が優勢な疾患であるという正しい技術常識に照らし、抗ヒトIⅬ-4抗体であるREGN668が奏功することは当業者が予測できたことであると主張する。
イ しかし、本件審決が認定するアトピー性皮膚炎に関する技術常識、すなわち、アトピー性皮膚炎は、炎症の強い急性期(急性病変)ではTh2細胞が優位になるが、慢性状態(慢性病変)になるとTh1細胞優位となり、炎症部位や病期によって、Th2細胞とTh1細胞間で揺れ動く(Th1/Th2バランスが変化する)という作用機序を有することに誤りがないことは前記(1)のとおりであり、原告が主張するように「アトピー性皮膚炎がTh2/IL-4等が優勢な疾患である」という単純な理解のみに基づいて、その治療上の有効性の判断をなし得るものではない。
しかも、アトピー性皮膚炎の免疫経路が複雑なものであり、炎症部位や病期によっても変化し得ることについては、前掲甲24の「特定の細胞とサイトカインがADで果たす役割についての洞察は、標的療法の開発の機会を生み出す。しかし、関与する生物学的プロセスの複雑さを考えると、これまでにテストされた化合物のどれも特効薬であることが証明されていない。」との記載、前掲甲25の「Th1/Th2バランスが比較的限局された部位においても、また、病期によっても変化し、さらに、同一個体内の部位によってバランスが異なる可能性もあり、Th1/Th2バランスのみでアレルギー疾患を理解することには無理もあるように思われる」との記載、甲28(厚生労働省のウェブサイトの「アトピー性皮膚炎」と題されたPDF資料)の「アトピー性皮膚炎の炎症には、様々な細胞やそれらが産生・遊離する化学伝達物質、サイトカイン、ケモカインなどが総合的に関与している」との記載、前掲乙21の「AD発症初期では、Th2サイトカインが主体で皮疹が完成するとTh1サイトカイン発現が加わり、両者が複雑に関係しつつ皮膚炎を維持していることが推察される」及び「すでに起きている炎症(皮膚炎)においては前述したように、Th2のみならずTh1サイトカイン、さらに種々の免疫細胞が複雑に関与している」との記載に示されているとおりである。
こうした、アトピー性皮膚炎の免疫経路の複雑さも考慮すると、炎症部位や病期によってTh1/Th2バランスが変化し、このバランスのみでアレルギー疾患を理解することは困難であったことが本件特許の優先日当時の技術常識であり、それ以前に、IL-4及びこれを産生するTh2細胞を含む、特定の細胞とサイトカインがアトピー性皮膚炎で果たす役割についての当業者の理解は、標的療法の開発の機会を生み出す(特定の細胞とサイトカインを標的に、候補化合物を探索し得る。)にとどまり、特定の細胞とサイトカインのうちのいずれかを標的とすることによって、アトピー性皮膚炎の治療が可能になるような化合物(抗体等)の存在を解明するには至っていなかったといえる。
そうすると、たとえ上記優先日前に、アトピー性皮膚炎の治療が可能になるような化合物(抗体等)の標的となり得る抗原である特定の細胞とサイトカイン(Th2/IL-4)が知られていたとしても、他の多くの細胞とサイトカインも作用することが知られている中で、Th2/IL-4の働きを阻害することで、本件患者を含む慢性アトピー性皮膚炎の治療効果を奏するかどうかまで、当業者が認識できたとはいえない。つまり、当該抗原の作用を阻害するための受容体に対する抗体(抗IL-4R抗体)が公知であったとしても、当該作用の阻害により、アトピー性皮膚炎の治療効果が可能となるとの治験までが公知になっていたわけではないから、当該抗体(抗IL-4R抗体)を実際に治験に使用して、アトピー性皮膚炎に対する効果を確認してみなければ、アトピー性皮膚炎への治療効果があるかは予測できなかったといえる。
ウ また、甲1における試験段階は第Ⅱ相試験であり、甲21によれば、第Ⅰ相試験(フェーズ1)からの移行の成功率は63.2%(n=3,582)であり、第Ⅱ相試験(フェーズ2)から第Ⅲ相試験(フェーズ3)への移行の成功率は更に低く、30.7%(n=3,862。アレルギー疾患の場合には33%)にすぎないことが認められる。しかも、甲1に記載された情報は臨床試験のプロトコル(試験実施計画書)にすぎず、実際の試験結果については記載されていない。そうすると、甲1に記載された治験薬が、試験結果をみるまでもなく当然に治療上有効であると当業者が理解するともいえない。
エ これに対し、原告は、本件訂正発明1と引用発明の相違点に係る「治療上有効な量」については、薬効を確認するための臨床試験(甲1)において試験される治験薬の量は治療上有効な量であることは当然であり、ヒト抗体のアトピー性皮膚炎に対する具体的な用量は引用発明の際公知であった甲3に記載されているなどと主張する。
しかし、上記主張を踏まえたとしても、Th2/IL-4の働きを阻害すること自体が確たるものではなかったのであるから、本件患者を含む慢性アトピー性皮膚炎の治療効果を奏するかについて当業者が認識できたとはいえないとの前記判断は左右されない。しかも、甲3に記載された「1回あたりの用量は通常約0.01~約20mg/kg体重」の記載は、IL-4Rが関与している種々の病態の処置及び病気に用いる際の用量の目安であって、本件訂正発明の対象患者である本件患者に対する用量は何ら示されていない。
よって、原告の上記主張は採用することができない。
オ また、原告は、「医薬」の構成は実質的な相違点ではないとし、甲1には治験薬としてREGN668が示されているところ、治験薬と医薬組成物は相違しないし、第Ⅰ相試験を経てさらなる臨床試験である第Ⅱ相試験に供試された治験薬組成物に有用性が期待できることは当然であり、さらに、甲2にはこれを「医薬(medications)」であるとする記載があると主張する。
しかし、甲1にはREGN668が本件患者に対し治療効果を奏し医薬用途に使用できることについて何ら記載がない。また、甲2においても、「2つの医薬について、ADに対する臨床試験が、IL-4受容体を標的にして現在行われている(Aeroderm及びREGN-668)」(訳)との記載があるだけであり、これは「REGN-668」を含む2つの医薬についてアトピー性皮膚炎に対する臨床試験が行われているという文脈で「医薬」の用語が使用されていると理解されるから、医薬用途に使用できるものとして記載されているとはいえない。
よって、「医薬」の構成に関する原告の前記主張も採用することができない。
カ このほか、原告は、本件明細書上、本件訂正発明の構成を全て充足する例は実施例8と10のmAb1の抗体のみであり、他の抗体、抗原結合断片についての開示がないとも主張するが、この点はサポート要件に関して検討すべき事項であるから、後記2で検討する。
(3) 小括
以上によると、取消事由1に関する原告の主張はいずれも採用できず、本件訂正発明1が、引用発明及び甲1~6の記載に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものでないとした本件審決の判断に誤りは認められない。
また、本件訂正発明2~16は、本件訂正発明1をさらに限定した発明であるから、同様に、本件訂正発明2~16について当業者が容易に発明をすることができたものでないとした本件審決の判断にも誤りはない。
2 取消事由2(サポート要件違反)について
(1) 原告は、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるところ、本件訂正発明はmAb1とは結合親和性や薬物動態が異なる抗体等を含むものであり、これが臨床で治療に使用可能であるとは当業者は認識しない、その結果、本件特許の権利範囲は本件明細書の開示と比して著しく過大となっているとして、サポート要件の適合性に関する本件審決の誤りを主張する。
この点、特許法36条6項1号は、特許請求の範囲に記載された発明は発明の詳細な説明に実質的に裏付けられていなければならないというサポート要件を定めるところ、その適合性の判断は、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解されるので、以下、この見地から検討する。
・・・
(5) 以上の本件明細書の記載及び技術常識を総合すると、本件明細書には、①mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、②mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから、これに接した当業者は、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1のIL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解するものといえる。
そうすると、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体(本件抗体等)であれば、mAb1に限らず、本件患者に対して治療効果を有するであろうことを合理的に認識でき、前記(2)に記載した本件訂正発明の課題を解決できるとの認識が得られるものと認められる。
(6) ところで、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであることは、原告の指摘するとおりである。しかし、サポート要件の適合性につき、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か」等を判断するに当たって、どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。
これを本件についてみるに、本件においては、mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1のIL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。上記作用機序は、本件抗体の一つであるmAb1がIL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであり、mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善し、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーも低下したのであるから、mAb1以外の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体である本件抗体等(mAb1以外の32種)も同様の作用効果を有すると当業者が理解できることは明らかである。
本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるとの原告の指摘は、上記認定判断を左右するものではない。
(7) また、原告は、サポート要件違反の根拠として、本件抗体等には、結合親和性、血中半減期、保存安定性等が全く異なるものが含まれている点を挙げる。しかし、アトピー性皮膚炎に対する治療に必要な効果が得られる本件抗体等のスクリーニングが必要となることはあっても(この点は実施可能要件の問題として後述する。)、結合親和性、血中半減期、保存安定性等の違いが、上記作用機序を否定するようなものであると認めるに足りる証拠はない。したがって、本件抗体等の中には結合親和性等の点で違いが存在するとしても、上記(6)で説示したところに照らして、サポート要件違反を導くものとはいえない。
(8) 小括
以上によれば、取消事由2に関する原告の主張は採用することができず、原告主張のサポート要件違反は認められない。
3 取消事由3(実施可能要件違反)について
(1) 原告は、①本件特許の特許請求の範囲に記載されている抗体等には、結合親和性が弱いため治療に使用できないものがあり、臨床で治療に使用可能なものを選別しなければならず、また、②治療上の有効量についても、都度臨床試験で確認する必要があり、いずれについても過度の試行錯誤を要するから、本件訂正発明1~7、10~16について実施可能要件違反であると主張する。
この点、特許法36条4項1号に規定する実施可能要件については、明細書の発明の詳細な説明が、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、特許請求の範囲に記載された発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているかを検討すべきである。
(2) 以上の枠組みに基づき、まず原告の主張①についてみると、本件抗体等は、前記のとおり抗IL-4Rアンタゴニスト抗体及びその抗原結合断片を意味し、本件明細書の実施例1においては、甲3に記載のように、「mAb1」を含む33種の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体が取得されたことが記載されている。そして、甲3は、本件特許の出願時において公知の方法により取得した抗IL-4R抗体を、結合親和性及びhIL-4のhIL-4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL-4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち抗IL-4Rアンタゴニスト抗体を得ることを開示したものである。また、実施例の記載によれば、本件患者にmAb1を投与すると、mAb1のIL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわちアンタゴニストとしての作用によりアトピー性皮膚炎治療効果を発揮することを理解することができる。
そうすると、当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体、すなわち本件訂正発明1における抗体を、公知の方法及びスクリーニングすることにより、過度の試行錯誤を要することなく製造することができ、それを、本件患者に対して投与した場合に治療効果を有することを合理的に理解できるものと認められる。
したがって、本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、本件訂正発明1を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているといえる。 (3) 次に、原告の主張②(治療上の有効量を都度確認する必要があるとの点)を検討するに、本件明細書には、mAb1の具体的用量300mg(実施例10)が開示されており(【0353】)、段落【0019】等にも用量の目安の記載があるから、mAb1以外の抗体についても、アンタゴニスト活性の程度に応じて治療上有効量を設定することが当業者にとって過度の試行錯誤を要するとまで認めることはできない。
(4) そして、本件訂正発明2~7、10~16は、本件訂正発明1を直接又は間接的に引用するものであるから、本件訂正発明1について上記(2)で検討したのと同様、当業者において、本件明細書の記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、特許請求の範囲に記載された発明を実施できるといえる。
(5) 以上により、本件訂正発明1~7、10~16について実施可能要件違反をいう原告の主張は、採用することができない。
4 結論
以上のとおり、原告主張の取消事由に関する主張はいずれも理由がなく、本件審決にこれを取り消すべき違法は認められない。よって、原告の請求を棄却することとして、主文のとおり判決する。
判決文PDFはこちら

コメント