■平成24年6月6日判決言渡
■原告: X
■被告: 花王株式会社
■本願: 特願2004-122603
■請求項1: 食塩濃度7~9w/w%,カリウム濃度1~3.7w/w%,窒素濃度1.9~2.2w/v%であり,かつ窒素/カリウムの重量比が0.44~1.62である減塩醤油。
■コメント: 数値範囲の極限値付近が、「課題を解決できない範囲を含んでいる」としても、技術常識で数値範囲を調整して課題を解決できるならOK(サポート要件、実施可能要件を満たさないとはいえない)という主旨の判断がされた事例。 特許維持。 ☆☆☆☆
なお、本願実施例において直接的な比較結果が記載されている食塩濃度は、全て9w/w%のようです。
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裁判所: 「そうすると,本件明細書に接した当業者は,本件発明1において,食塩濃度が7w/w%台の減塩醤油であって,カリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値に近い場合には,塩味が十分に感じられない可能性があると理解すると同時に,このような場合には,カリウム濃度を本件発明1で特定される範囲の上限値近くにすることにより,減塩醤油の塩味を強く感じさせることができると理解するものと解される。
そして,被告作成の試験結果報告書(乙8)によれば,食塩濃度7.0w/w%,カリウム濃度3.7w/w%の場合(試験品F),塩味の指標は3であって,通常の醤油と比較して若干弱い程度の塩味が感じられる結果が示されており,食塩濃度が本件発明1の下限値である7w/w%付近で,カリウム濃度が本件発明1において特定された数値範囲の上限である3.7w/w%の減塩醤油は,本件発明1の課題が解決されている。
すなわち,本件発明1において食塩濃度が7w/w%台と本件発明が特定する食塩濃度の下限に近い場合であっても,塩化カリウムが食塩の塩味を代替する成分であるという技術常識に照らし,カリウム濃度を本件発明1が特定する数値範囲の上限付近とすることによって,本件発明1の課題を解決できると当業者が理解することができ,本件発明は,発明の詳細な説明において発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載されているということができる。…。
原告は,本件発明において食塩濃度7w/w%の場合,塩味が弱く,発明の課題を解決できない場合があることから(乙8の試験品D),本件発明は全ての数値範囲において所期の効果が得られると認識できる程度に記載されているということができない旨を主張する。
しかし,前記のとおり,本件明細書に接した当業者は,本件特許の優先権主張日当時の技術常識に照らして,食塩濃度が本件発明で特定される範囲の下限値の7w/w%の減塩醤油の場合,カリウム濃度を本件発明で特定される範囲の上限値近くにすることにより,塩味をより強く感じる減塩醤油とするものであることから,特許請求の範囲において特定された数値範囲の極限において発明の課題を解決できない場合があるとしても,本件発明がサポート要件を満たさないということは適切ではない。」
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平成24年6月6日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成23年(行ケ)第10254号 審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成24年5月23日
判決
原告X
同訴訟代理人弁理士吉永貴大
被告花王株式会社
同訴訟代理人弁理士花田吉秋
伊藤健
◆主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
◆第1 請求
特許庁が無効2010-800228号事件について平成23年7月5日にした審決を取り消す。
◆第2 事案の概要
本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告の下記2の本件発明に係る特許に対する原告の特許無効審判の請求について,特許庁が,下記1(3)のとおりの本件訂正を認めた上,同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4のとおりの取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
▼1 特許庁における手続の経緯
(1) 本件特許
被告は,平成16年4月19日,発明の名称を「減塩醤油類」とする特許出願(特願2004-122603号)をし,平成21年7月10日,設定の登録(特
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許第4340581号。後記訂正の前後を通じ,請求項の数は5である。)を受けた。以下,この特許を「本件特許」という。
(2) 原告は,平成22年12月10日,本件特許の請求項1ないし5に係る特許について,特許無効審判を請求し,無効2010-800228号事件として係属した。
(3) 被告は,平成23年3月4日付けで訂正請求(以下「本件訂正」という。)をしたところ,特許庁は,同年7月5日,本件訂正を認めた上,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同月14日,その謄本が原告に送達された。
▼2 本件訂正後の特許請求の範囲の記載
(1) 本件訂正後の特許請求の範囲の記載は,次のとおりのものである。以下,本件訂正後の請求項1ないし5に係る発明を,順に「本件発明1」などといい,併せて「本件発明」という。また,本件発明に係る明細書(甲12)を「本件明細書」という。
【請求項1】食塩濃度7~9w/w%,カリウム濃度1~3.7w/w%,窒素濃度1.9~2.2w/v%であり,かつ窒素/カリウムの重量比が0.44~1.62である減塩醤油
【請求項2】塩化カリウム濃度が2~7w/w%である請求項1記載の減塩醤油
【請求項3】窒素濃度が1.9~2.2w/v%である請求項1又は2記載の減塩醤油
【請求項4】更に,核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料及び酸味料から選ばれる1又は2以上の添加剤を含有する請求項1~3のいずれか1項記載の減塩醤油
【請求項5】濃縮及び脱塩により窒素濃度を1.9~2.2w/v%としたものである請求項1~4のいずれか1項記載の減塩醤油
(2) なお,本件明細書には,実施例及び比較例について,以下の評価方法によ
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る結果が記載されている。
〔塩味の指標〕 1:減塩醤油と同等(食塩9w/w%相当) 2:減塩醤油とレギュラー品(通常品)(食塩14w/w%相当)の中間位 3:レギュラー品(通常品)に比べ若干弱い 4:レギュラー品(通常品)と同等 5:レギュラー品(通常品)よりも強い
〔苦みの指標〕 1:なし 2:ごくわずかに感じる 3:わずかに感じる 4:感じる 5:強く感じる
〔総合評価の判断基準〕 ◎:塩味があり,かつ苦味及び異味がない ○:塩味が3以上で,かつ苦みが3以下であり,更に次のいずれかに当てはまるもの
塩味がやや弱く,苦味及び異味が少ない
塩味がやや弱く,苦味及び異味がない
塩味があり,苦味及び異味が少ない △:塩味が3以上,かつ苦味が3以下であるが,異味がある ×:塩味が弱く,かつ/又は苦味・異味がある
▼3 本件審決の理由の要旨
本件審決の理由は,要するに,本件発明は,①本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものでないとはいえず,サポート要件(特許法36条6項1号)に違反しない,②本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が本件発明の実施をする
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ことができる程度に明確かつ十分に記載したものでないとはいえず,実施可能要件(同条4項1号)に違反しない,などとしたものである。
▼4 取消事由
(1) サポート要件に係る判断の誤り(取消事由1)
(2) 実施可能要件に係る判断の誤り(取消事由2)
◆第3 当事者の主張
▼1 取消事由1(サポート要件に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1) 本件発明1について
本件審決が,サポート要件違反といえないとした判断は,以下に述べる2つの点についてその認定に誤りがある。
ア 本件審決は,食塩濃度が7w/w%であっても,本来の食塩濃度に比して強い塩味が達成されると認定した。
(ア) 本件明細書の表1の比較例12の減塩醤油は,食塩濃度,カリウム濃度が実施例1,5,8,10と同じであるが,窒素濃度が本件発明における窒素濃度の下限値(1.9w/v%)をわずかに下回る。そのため,塩味の評価が2であり,総合評価が「×」という結果になっている。この結果は,本件発明1の範囲内に含まれる場合と含まれない場合とで,その効果に顕著な違いが生じることを示しているようにも見える。
しかし,この結果について別の見方をすれば,比較例12の減塩醤油は,仮に窒素濃度があと0.04w/v%高ければ実施例1,5と同じ構成になり,塩味の評価が2から3又は4に好転し,好ましい総合評価が得られることになる。とはいえ,窒素濃度がわずか0.04w/v%高くなるだけで,塩味の評価が2から3又は4に好転するとは上記のデータからは考えにくい。
(イ) 甲7(被告社員作成の「本発明品の窒素濃度の効果」と題する書面)の図の左側の縦軸は,実施例又は比較例の減塩醤油の窒素濃度と塩味の評価との関係が
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示されている。図にはS字状の曲線(点線)が引かれており,窒素濃度1.9w/v%を境に,塩味の評価が2から3に変化することを示しているように見える。
ところで,実施例1と5は食塩,カリウム,窒素が全て同じ濃度であるが,塩味の評価は実施例1が3,実施例5は4という結果となっており,本件発明1の構成要件と発明の効果との整合性が取れていない。さらに,S字状の曲線が実施例1付近を通過せず実施例5付近を通過している。これらの点に鑑みれば,このS字状の曲線は実施例のデータに基づいて引かれたものではなく,甲7を作成した者の希望的観測が反映されているにすぎない。
(ウ) なお,実施例1は食塩濃度が9w/w%,カリウム濃度が2.1w/w%,窒素濃度が1.97w/v%である。仮に,本件発明1の必須構成成分の下限値を採用した場合は,減塩醤油の食塩濃度が7.0w/w%,カリウム濃度が1w/w%,窒素濃度が1.9w/v%となる。この場合,実施例1の減塩醤油と比較して,食塩濃度は22%減,カリウム濃度は52%減,窒素濃度は4%減となる。そうすると,食塩はもとより,カリウムは食塩代替物として減塩醤油の塩味に大きな影響を及ぼすことから,このような下限値を採用した減塩醤油が,実施例1と同じ塩味,すなわち,食塩濃度14%w/w%相当の醤油に比べ若干弱い程度の塩味(評価3)が得られると考えるのは不自然である。
(エ) よって,本件審決の上記認定は,本件発明に係る減塩醤油類に含まれるカリウムが塩味に与える影響を考慮せず,単に食塩濃度のみに着目した結果,本件発明1に係る減塩醤油類の食塩濃度が7w/w%である場合の塩味の程度を誤って推定したものである。
イ 本件審決は,本件明細書の【0001】【0005】【0008】などから,本件発明1は,少なくとも「食塩濃度が低いにもかかわらず塩味のある減塩醤油を得ること」を課題とするものと認められると認定した。
(ア) 本件明細書の上記記載からは,形式的には,本件発明1の課題が「食塩濃度が低いにもかかわらず塩味のある減塩醤油類を提供すること」にあるようにも思
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われる。
しかしながら,発明の詳細な説明全体を総合的に判断すれば,本件発明1の実質的な課題は,「食塩濃度が低いにもかかわらず塩味があり,かつ,苦み及び異味がない減塩醤油類を提供すること」にある(【0026】【0029】【0031】)。
(イ) 本件明細書の表1によれば,実施例の範囲に含まれる減塩醤油は塩味の評価がいずれも3以上である。そのため,仮に,本件審決のように本件発明1の課題を認定するとすれば,塩味の評価が3以上の減塩醤油は,本件発明1の課題を解決することができるとの理屈が成り立つ。
しかしながら,塩味の評価が3以上の減塩醤油は,実施例1ないし7のみならず,比較例にも数多く存在する(比較例10,13,17~24,26,27)。その結果,本件発明1の構成要件を備えていない減塩醤油であるにもかかわらず上記課題を解決してしまうという矛盾を生じる。換言すれば,本件発明1の課題と,その解決手段たる本件発明1の構成要件とが整合しないという矛盾を生じる。このような矛盾は,サポート要件に適合するか否かの判断を行う際に,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを十分に対比せず,一部の記載のみをもって,発明が解決しようとする課題を形式的に判断してしまった結果から生じたものである。
(ウ) 本件発明1は減塩醤油類に関する発明であって,塩味はもとより,苦み及び異味が抑制されていることが重要である(【0029】【表1】【0031】)。
したがって,一般に食塩濃度が単なる7w/w%の食塩水であれば相当程度の塩味を有するとはいえ,本件発明1に係る減塩醤油では,少なくとも食塩14w/w%のレギュラー品(通常品)に相当する塩味を有しており,かつ,苦み及び異味が抑制されていなければ,本件発明1の課題を解決しているとはいえない。
(エ) 上記の観点及び実施例の記載も含めると,本件発明1の真の課題は,「食塩濃度が低いにもかかわらず塩味があり,かつ,苦み及び異味がない減塩醤油類を提供すること」と認定されるべきである。本件発明1に係る減塩醤油類は,その必
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須構成成分として食塩,カリウム及び窒素を含み,各必須構成成分のバランス(濃度)が減塩醤油類の総合的な評価に影響を及ぼすものであるため,その風味は,各成分の味や香りなどが足し算のように積算された結果により形成されるものではなく,各成分が相互作用によって複雑に影響しあうことにより形成されるものであると考えられるからである。
(オ) よって,本件審決の上記認定は,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを十分に対比しなかった結果,本件発明1の実質的な課題を誤って認定したものである。
ウ 被告は,乙8(試験結果報告書)を提出したが,食塩濃度7w/w%の減塩醤油は,本件明細書に記載された評価基準に照らせば塩味が弱く,発明の課題を解決することができない場合があることが明らかである。
すなわち,乙8の表1に記載された試験品D,E,Fの減塩醤油の総合評価を行うと,試験品DとEは,塩味の評価が2であるから総合評価は「×」と判定される。
なお,試験品Eは,本件明細書の比較例9,12と同等の評価結果である。また,これらの結果は,口頭審理陳述要領書の被告の主張と矛盾するものである。
他方,試験品Fは,塩味の評価が3であり,かつ,苦みの評価も3であるため,総合評価は「○」又は「△」と判定されるが,異味についての評価が記載されていない。しかしながら,仮に試験品Fの総合評価が「○」であったとしても,試験品D及びEの総合評価が「×」である以上,本件発明1は,数値範囲で特定される全ての範囲において所期の効果が得られると認識できる程度に記載されているということができない。
エ 以上のとおり,本件明細書に記載された減塩醤油の評価基準に照らせば,本件発明1に係る減塩醤油は,食塩濃度7w/w%では塩味が弱く,発明の課題を解決できない場合があることが明らかである。そうすると,本件明細書における発明の詳細な説明は,請求項1の「食塩濃度7~9w/w%」の全ての数値範囲において所期の効果が得られると当業者において認識できる程度に記載されているという
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ことができない。したがって,本件発明1の記載は,サポート要件を充足しない。
(2) 本件発明4について
ア 本件審決は,本件発明4の減塩醤油類の食塩濃度が7w/w%である場合の塩味の程度を誤って推定した。
(ア) 本件発明4は,本件発明1の構成要件に加え,さらに核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸系調味料,酸味料のいずれかを含有する減塩醤油類である。
本件発明1において,食塩濃度が7w/w%の場合は本来の食塩濃度に比して強い塩味が達成されると考えるのが自然であるとはいえないところ,そのような減塩醤油類が核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸系調味料,酸味料を含有した場合に,やはり食塩濃度が7w/w%の場合は本来の食塩濃度に比して強い塩味が達成されると推定することはできない。
(イ) 本件明細書(【0015】)には,「核酸調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料,酸味料等を添加することによって,相乗的に塩味を増強できる。」と記載されている。しかしながら,表2に各酸味料又は調味料を単独で添加した場合の添加効果が記載されているものの,塩味の指標が記載されておらず,酸味料又は調味料を添加したことによる相乗効果を客観的に確認することはできない。
他方,表3には塩味の指標が記載されているものの,比較対象となる減塩醤油,すなわち酸味料及び調味料が添加されていない点のみが異なる実施例又は比較例が記載されていないため,やはり酸味料又は調味料を添加したことによる相乗効果を客観的に確認することはできない。そのため,食塩濃度7w/w%の減塩醤油において,不足した塩味を酸味料又は調味料が補充し,塩味の評価を3以上にするという明確な根拠が存在しない。
(ウ) したがって,食塩濃度が7w/w%であっても,本来の食塩濃度に比して強い塩味が達成されるとする本件審決の認定は,誤りである。
イ 本件審決は,本件発明4の課題を,「食塩濃度が低いにもかかわらず塩味のある減塩醤油を得ること」と認定した。
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しかし,本件発明4の実質的な課題は,発明の詳細な説明全体を総合的に判断すれば,「食塩濃度が低いにもかかわらず塩味があり,かつ,苦み及び異味がない減塩醤油類を提供すること」にあることが明らかである。
(3) 本件発明2,3及び5について
ア 本件発明2は,請求項1を引用するが,「塩化カリウム濃度2~7w/w%」は「カリウム濃度1~3.7w/w%」に相当するから,本件発明1のカリウム濃度と同様の範囲に該当し,実質的に本件発明1と同様の発明であると考えられる。
イ 本件発明3は,請求項1,2を引用するが,当該濃度範囲は本件発明1と同様である。
ウ 本件発明5は,請求項1ないし4の窒素濃度範囲を限定するものであり,本件発明1と同様の数値範囲を有する発明である。
エ よって,前記(1)(2)と同様の理由で,本件発明2,3及び5についても,サポート要件違反ということはできないとした判断は,誤りである。
〔被告の主張〕
(1) 本件発明1について
ア 比較例12の窒素濃度は1.86w/v%であり,これに0.04w/v%を加えても1.90w/v%(請求項1における窒素濃度の下限値)となるところ,実施例1,5において窒素濃度は1.97w/v%であり,同じ構成とはいえない。
具体的には,窒素濃度は比較例12と実施例1,5とでは0.11w/v%の差がある。そうすると,実施例1,5において塩味が「3」又は「4」であることに何の不自然さもない。
また,比較例12と実施例1,5の窒素濃度の差は0.11w/v%であるが,1.97w/v%の実施例1,5において大幅な塩味の増加が見られる(乙6)。
したがって,窒素濃度1.86w/v%(比較例12)と1.97w/v%(実施例1,5)の間に閾値があり,比較例12よりも窒素濃度が0.04w/v%高い
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1.90w/v%においても塩味増強効果が発揮されていると考えるのが自然である。
イ 実施例1,5は食塩,カリウム,窒素が全て同じ濃度であるが,ベース醤油として実施例1では市販醤油を,実施例5では市販有機丸大豆醤油を用いており,大豆由来の成分に違いがある。醤油の原料である大豆について,市販醤油では大豆の油脂分を搾り取った脱脂加工大豆(醸造用加工大豆)が用いられ,市販有機丸大豆醤油では大豆そのままを用いる。脱脂加工大豆を原料とした醤油と,大豆そのままを原料とした醤油では,甘味成分や旨味成分の含有量がそれぞれ異なり,風味に違いがあるから,これをもって整合性が取れていないということはできない。
ウ 甲7は,あくまで,本件発明の効果を理解しやすいように,図式的に整理したものであって,曲線の作図に意図的な作為はない。なお,甲7の図において,実施例25では窒素濃度(w/v%)は1.94が正しい。
エ 本件発明1における塩味増強効果は,窒素濃度とカリウム濃度が所定範囲にあることにより発揮されるものである(乙7)。窒素濃度が本件発明1の範囲未満である1.9w/v%未満(1.71~1.78w/v%)ではカリウムを増やしても塩味の増強効果は小さく,窒素濃度が本件発明1の範囲である1.9w/v%以上(1.94~2.02w/v%)では,カリウムの塩味増強効果が大きい(乙7)。そして,窒素濃度が本件発明1の範囲にある場合は,カリウム濃度が1%と低濃度であっても塩味増強効果が十分にあることが示されている。したがって,窒素濃度が1.9%以上であれば,カリウム濃度が1%以上において十分な塩味増強効果が発揮されることが推認される。
オ 原告は,本件発明1は食塩濃度7%の実施例がないからサポート要件違反であると主張しているようである。
しかしながら,サポート要件は,特許出願時の当業者の技術常識を参酌した上で,実施例を含む明細書の発明の詳細な説明の記載内容から,特許請求の範囲に記載された発明特定事項がサポートされていれば足りる。請求項1の記載を裏付ける実施
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例については,多数の実施例が示される方が好ましいことは紛れもない事実であれ,発明の範囲全体にわたる実施例が必ずしも要求されるわけではなく,したがって,発明の本質を覆す事実があればともかく,実施例の数が少ないこと自体が常に問題となることはない。問題の本質は,請求項1に記載した事項が,発明の詳細な説明の記載又は示唆から当業者の出願時の技術常識に照らし読み取れるか否かであり,その意味で,本件実施例に関する具体的記載を含め,発明の詳細な説明には,本件発明1が当業者の出願時の技術常識に照らし裏付けられている。
本件において,出願時の当業者の技術常識を参酌すれば,たとえ食塩濃度7%の実施例が存在しないからといって,明細書の発明の詳細な説明の記載内容から,本件審決の認定判断は正当である。
カ 本件審決は,本件発明の課題として塩味のみならず,苦味を含めた総合評価を認定しているから,誤りはない。
キ 本件明細書の総合評価は,食塩濃度9w/w%を基準(塩味の指標:1)としたものであって,食塩濃度7w/w%を基準としたものではない。本件明細書の表1では,カリウム濃度,窒素濃度,窒素/カリウム比をコントロールしている食塩濃度9w/w%の塩味が,コントロールしてない食塩濃度9w/w%の減塩醤油を基準として,どのくらい増強されているかをみている。
したがって,本件明細書の総合評価を今回の実験結果に当てはめることはできない。他方,食塩濃度7w/w%の減塩醤油の評価は,カリウム濃度,窒素濃度,窒素/カリウム比をコントロールしている食塩濃度7w/w%の塩味が,コントロールしてない食塩濃度7w/w%の減塩醤油を基準として,どのくらい増強されているかをみるものである。
ク 食塩濃度7w/w%の試験品D,E及びFは,食塩濃度9w/w%の対照品よりも塩味が強いことが示されている。したがって,試験品D,E及びFは,食塩濃度9w/w%よりも食塩濃度が低い7w/w%の対照品に比べて塩味が強い(塩味増強効果がある)ことは明らかである(乙8の図1)。
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ケ 食塩濃度7w/w%の対照品(基準)に較べて食塩濃度7w/w%の試験品D,E及びFの塩味増強効果は明らかである(乙8の図2)。
(2) 本件発明4について
ア 食塩濃度7%の場合の塩味の程度
実施例5と実施例25は,N,K,及びN/Kがほぼ同一であるが,実施例25(8.32%)は食塩濃度が低いにもかかわらず,実施例5(9.0%)と同等以上の塩味を呈し,また苦味も更に抑制されている(乙6)。
さらに,実施例20ないし25(8.32~8.50%)の範囲において,3.5以上の塩味が達成されている。本件発明1においても食塩濃度7%まで塩味増強効果があることがサポートされているところ,本件発明4は本件発明1よりも更に塩味の増強効果が高いものであるから,本件発明4の食塩濃度7%である場合においても塩味増強の効果があることは明らかである(【0006】)。
イ 本件発明4の課題の認定も,誤りはない。
(3) 本件発明2,3及び5について
本件発明1及び4にサポート要件違反は存在しないから,原告の主張は失当である。
▼2 取消理由2(実施可能要件に係る判断の誤り)について
〔原告の主張〕
本件明細書【0009】には,その根拠については記載がない。また,表1に記載され実証されているのは,食塩を9w/w%含有する場合のみであって,そこから本件発明1記載の7ないし9w/w%の範囲にまで拡張できるような事情がない。
また,表2及び表3に記載され実証されているのは,食塩を8.13ないし8.5w/w%含有する場合のみであって,そこから本件発明4記載の7ないし8.13w/w%の範囲にまで拡張できるような事情がない。
よって,実施可能要件がないとはいえないとした判断は,誤りである。
〔被告の主張〕
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特許請求の範囲の記載が「発明の詳細な説明に開示された内容を拡張」したものか否かは特許法36条6項1号のサポート要件の問題であって,同条4項1号の実施可能要件の問題ではない。本件明細書には,減塩醤油の製造方法の概要が記載され(【0022】【0032】),その使用についても明確に記載されている。
本件明細書には当業者が本件発明を実施可能な程度に明確かつ十分に記載されており,何ら実施可能要件違反に該当する事由は存しない。
◆第4 当裁判所の判断
▼1 本件発明について
(1) 本件明細書(甲12)の記載
本件発明の特許請求の範囲の記載は,前記第2の2のとおりであり,本件明細書の発明の詳細な説明には,以下の記載がある。
ア 技術分野
本件発明は,食塩濃度が低いにもかかわらず塩味のある減塩醤油類に関する(【0001】)。
イ 背景技術
醤油は,日本料理だけでなく,各種の料理になくてはならない調味料として広く使用されている。一方,食塩の過多な摂取は,腎臓病,心臓病,高血圧症に悪影響を及ぼすことから,あらゆる飲食品が低食塩化されており,醤油等の液体調味料も減塩化がすすめられている。そして,例えば減塩醤油は,食塩濃度が9w/w%以下と定められている。
このように食塩の摂取量を制限するには減塩醤油の使用が望ましい。しかし,減塩醤油は,食塩濃度が低いことから,いわゆる塩味が十分感じられず,味がものたりないと感じる人が多い。そのため食塩の摂取量制限が勧められている割には,減塩醤油の使用量は増加していない。
減塩醤油の改良手段としては,様々な取り組みがなされている。例えば,食塩代替物として塩化カリウムを使用する方法があるが,同時に使用するクエン酸塩の味
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の影響や,糖アルコールにより塩味もマスキングされてしまうという問題点がある(【0002】~【0004】)。
ウ 発明が解決しようとする課題
これら従来の減塩醤油の風味を改良する取り組みは,それぞれ一定の効果を上げているが,いまだ十分とはいえない。特に食塩濃度の低下と塩味の両立という点で十分とはいえない。
本件発明の目的は,食塩濃度が低いにもかかわらず塩味のある減塩醤油類を提供することにある(【0005】)。
エ 課題を解決するための手段
本件発明者は,食塩濃度を9w/w%以下にしても塩味を感じさせる手段について検討してきた結果,食塩濃度を9w/w%以下と低くし,かつカリウム濃度を0.5~3.7w/w%とした系では,窒素濃度を1.9w/v%以上にすることによって塩味がより強く感じられ,味の良好な減塩醤油類が得られることを見いだした。また窒素含量を1.9w/v%以上にすることによりカリウム含量が増加した場合の苦味が低減できることを見出した。さらに食塩濃度を9w/w%以下,カリウム濃度0.5~3.7w/w%かつ窒素濃度を1.9w/v%以上とした減塩醤油類に核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料,酸味料等を添加することによって,相乗的に塩味を増強でき,また醤油としての完成度もより高くなることも見いだした。
すなわち,本件発明は,食塩濃度9w/w%以下,カリウム濃度0.5~3.7w/w%かつ窒素濃度1.9w/v%以上である減塩醤油類を提供するものである。
またさらに,本件発明は,核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料及び酸味料から選ばれる1又は2以上の添加剤を含有する,食塩濃度9w/w%以下,カリウム濃度0.5~3.7w/w%かつ窒素濃度1.9w/v%以上である減塩醤油類を提供するものである(【0006】【0007】)。
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オ 発明の効果
本件発明によれば,食塩濃度が9w/w%以下であるにもかかわらず,塩味を十分に感じることのできる減塩醤油類が得られる(【0008】)。
カ 実施例1~11,26,27,比較例1~25
(ア) 減塩醤油の調製法
市販の濃口醤油,及び有機丸大豆の濃口醤油を電気透析装置により,脱塩処理を行った。食塩濃度を8w/w%程度まで低下させた減塩醤油に食塩を添加し更に脱塩処理を行うことを繰り返し,窒素濃度を高めた。窒素濃度を様々に調製した減塩醤油に,それぞれ塩化カリウムを0,4,及び7w/w%添加し,更に食塩濃度が9w/w%となるように食塩及び水で調整することにより,塩化カリウム濃度及び窒素濃度の異なる減塩醤油を調製した。
(イ) 評価方法
得られた減塩醤油について,パネラー10名により塩味及び苦みを官能評価した。また,塩味が3以上で,かつ苦みが3以下のものを◎,又は〇,それ以外のものを△,又は×とする総合評価も行った。得られた結果を表1に示す。
〔塩味の指標〕 1:減塩醤油と同等(食塩9w/w%相当) 2:減塩醤油とレギュラー品(通常品)(食塩14w/w%相当)の中間位 3:レギュラー品(通常品)に比べ若干弱い 4:レギュラー品(通常品)と同等 5:レギュラー品(通常品)よりも強い
〔苦みの指標〕 1:なし 2:ごくわずかに感じる 3:わずかに感じる 4:感じる
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5:強く感じる
〔総合評価の判断基準〕 ◎:塩味があり,かつ苦味及び異味がない ○:塩味が3以上で,かつ苦みが3以下であり,更に次のいずれかに当てはまるもの
塩味がやや弱く,苦味及び異味が少ない
塩味がやや弱く,苦味及び異味がない
塩味があり,苦味及び異味が少ない △:塩味が3以上,かつ苦味が3以下であるが,異味がある ×:塩味が弱く,かつ/又は苦味・異味がある
表1から明らかなように,食塩濃度9w/w%以下,カリウム0.5~3.7w/w%の場合,窒素濃度を1.9w/v%以上に調整すると塩味が増し,かつ苦みも抑制できることが分かる(【0022】~【0031】)。
(ウ) 実施例20~25
表3に示す組成の減塩醤油を調製した。各種調味料,酸味料の添加により得られた減塩醤油は,食塩濃度が8.3~8.5w/w%であるにもかかわらず,塩味が更に強く感じられた。また,苦味もより抑制され,醤油としての総合評価はより高いものとなった(【0034】【0035】)。
(2) 前記のとおり,本件明細書(甲12)の発明の詳細な説明によれば,食塩の過多な摂取は高血圧症等に悪影響を及ぼすことから減塩醤油の使用が望まれているが,食塩濃度が9w/w%以下と定められている減塩醤油は,食塩濃度が低いので,これを使用した場合,いわゆる塩味が十分感じられず味がものたりないと感じる人が多く,その使用量は増加していないという問題があったという背景技術の下,食塩濃度が低いにもかかわらず塩味のある減塩醤油類を提供するという目的で,食塩濃度を9w/w%以下にしても塩味を感じさせる手段について検討した結果,本件発明者は,食塩濃度を9w/w%以下とし,かつカリウム濃度を0.5~
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3.7w/w%とした系では,窒素濃度を1.9w/v%以上にすることによって塩味がより強く感じられ,味の良好な減塩醤油類が得られ,また,また窒素含量を1.9w/v%以上にすることによりカリウム含量が増加した場合の苦味が低減できることを見出し,本件発明を出願したものである。
また,前記のとおり,本件明細書の発明の詳細な説明には,食塩濃度9.0w/w%,カリウム濃度1.1~3.7w/w%及び窒素濃度1.93~2.15w/v%に調整すると塩味が増し,かつ苦みも抑制できることを示した実施例及び比較例が記載されており,また,食塩濃度8.32~8.50w/w%,カリウム濃度1.06~2.11w/w%及び窒素濃度1.92~1.95w/v%,窒素/カリウムの重量比が0.78~1.59の減塩醤油は塩味が強く感じられ,また,苦みも抑制されており,減塩醤油としての総合評価が高いことを示した実施例も記載されている。
▼2 取消事由1(サポート要件に係る判断の誤り)について
(1) サポート要件について
特許請求の範囲の記載が,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであることを要するとするサポート要件(特許法36条6項1号)に適合することを要するとされるのは,特許を受けようとする発明の技術的内容を一般的に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲を明らかにするという明細書の本来の役割に基づくものである。この制度趣旨に照らすと,明細書の発明の詳細な説明が,出願時の当業者の技術常識を参酌することにより,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に記載されていることが必要である。
(2) 本件発明1について
ア 本件発明は,前記第2の2に記載のとおりのものであって,醤油に含まれる食塩,カリウム及び窒素に関し,その濃度等を数値範囲によって特定した減塩醤油についての発明である。
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イ 本件発明の課題は,本件明細書の記載によれば,塩味がより強く感じられ,味が良好であって,カリウム含量が増加した場合にも苦味が低減できる減塩醤油を得ることであると認められる。そして,前記1(1)のとおり,食塩濃度が9w/w%の場合には,カリウム濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が,特許請求の範囲において特定される範囲内で,通常の減塩醤油と比較して塩味が増し,かつ苦みも抑制できることが記載されており,また,食塩濃度が8.32~8.50w/w%の場合にも同様であったことが示されていることに照らすと,食塩濃度が8.3~9w/w%の場合,カリウム濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が,特許請求の範囲において特定した数値範囲で,塩味が強く感じられ,味が良好であって苦味もない減塩醤油となるものと合理的に推認できる。すなわち,本件明細書の発明の詳細な説明には,食塩濃度が8.3~9w/w%,カリウム濃度が1~3.7w/w%,窒素濃度が1.9~2.2w/v%,かつ窒素/カリウムの重量比を0.44~1.62である減塩醤油については,本件発明1の課題を解決できるように記載されているということができる。
ウ 次に,食塩濃度が8.3~9w/w%以外の場合,例えば,食塩濃度が7w/w%台の減塩醤油について,カリウム濃度を1~3.7w/w%,窒素濃度を1.9~2.2w/v%,窒素/カリウムの重量比を0.44~1.62とした場合に,発明の詳細な説明において本件発明1の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載されているということができるか否かについて検討する。
(ア) 塩化カリウムは,塩化ナトリウムと同様な塩分の一種であり,塩化カリウムを主体とした代替塩がみられるように,塩化カリウムが食塩(塩化ナトリウム)
の塩味を代替する成分であることは,本件特許の優先権主張日当時における当該技術分野の技術常識ということができる(甲1,2)。よって,本件発明1に係る減塩醤油において,塩味に寄与する成分は,主として食塩及びカリウムであると解される。
そして,本件明細書には,食塩濃度が9.0w/w%で,カリウム濃度が窒素重
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量比との関係で下限値(1.1w/w%)にある本件発明1に係る減塩醤油の塩味の指標が,本件明細書において本件発明1の課題が解決できるとされている指標の下限である3と記載されており(実施例3),また,食塩濃度が8.48w/w%でカリウム濃度が1.06w/w%の場合は,各種添加剤を配合した本件発明1に係る減塩醤油の塩味の指標が3.5と記載されている(実施例21)。このように,減塩醤油の食塩濃度が本件発明1で特定される範囲で上限値に近い場合であっても,カリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値付近の場合には,塩味の指標は本件発明1の課題が解決できるとする数値の下限付近であることから,食塩濃度が7w/w%台でカリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値付近の減塩醤油の塩味の指標は,食塩濃度が9.0w/w%や8.48w/w%の上記減塩醤油の場合よりも更に低くなるものと解される。
他方,本件明細書の表1の,例えば,窒素濃度が2w/v%付近にある比較例7及び14(カリウム濃度0,塩味1.5),実施例3(カリウム濃度1.1w/w%,塩味3),実施例4(カリウム濃度1.6w/w%,塩味3),実施例1(カリウム濃度2.1w/w%,塩味3),実施例5(カリウム濃度2.1w/w%,塩味4),実施例6(カリウム濃度2.6w/w%,塩味4),実施例9(カリウム濃度3.7w/w%,塩味5),比較例23(カリウム濃度4.7w/w%,塩味5)に照らすと,カリウム濃度と塩味の関係は,カリウム濃度が大きくなると塩味も強く感じる傾向にある。したがって,カリウムによる塩味の代替効果はカリウム濃度に依存するものと解され,また,本件明細書には,カリウム濃度が上限値の3.7w/w%にある本件発明1に係る減塩醤油(実施例7,9及び11)の塩味の指標は5で,通常の醤油よりも強い塩味であることも記載されている。
そうすると,本件明細書に接した当業者は,本件発明1において,食塩濃度が7w/w%台の減塩醤油であって,カリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値に近い場合には,塩味が十分に感じられない可能性があると理解すると同時に,このような場合には,カリウム濃度を本件発明1で特定される範囲の上限値近くに
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することにより,減塩醤油の塩味を強く感じさせることができると理解するものと解される。
そして,被告作成の試験結果報告書(乙8)によれば,食塩濃度7.0w/w%,カリウム濃度3.7w/w%の場合(試験品F),塩味の指標は3であって,通常の醤油と比較して若干弱い程度の塩味が感じられる結果が示されており,食塩濃度が本件発明1の下限値である7w/w%付近で,カリウム濃度が本件発明1において特定された数値範囲の上限である3.7w/w%の減塩醤油は,本件発明1の課題が解決されている。
すなわち,本件発明1において食塩濃度が7w/w%台と本件発明が特定する食塩濃度の下限に近い場合であっても,塩化カリウムが食塩の塩味を代替する成分であるという技術常識に照らし,カリウム濃度を本件発明1が特定する数値範囲の上限付近とすることによって,本件発明1の課題を解決できると当業者が理解することができ,本件発明は,発明の詳細な説明において発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載されているということができる。
(イ) カリウム濃度が増加した場合にも苦味が低減できる減塩醤油を得ることも本件発明1の課題の1つであることから,カリウム濃度を本件発明1が特定する数値範囲の上限付近とした場合に,苦味についての課題が解決できるように記載されているかについて,検討する。
本件明細書の実施例2,7,9,11には,食塩濃度が9w/w%の場合,カリウム濃度が本件発明1における上限値である3.7w/w%の場合であっても,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が本件発明1の範囲内にある場合には,苦味をわずかに感じる程度であって,本件発明1が特定する数値範囲内であれば,苦味の低減という課題は解決されている。また,食塩濃度が7w/w%の場合に,カリウム濃度が本件発明1における上限値である3.7w/w%とした場合(試験品F)
であっても,食塩濃度が9w/w%の場合と同様に,苦味はわずかに感じる程度であって,苦味の低減という課題は解決されている(乙8)。
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すなわち,本件明細書の記載から,本件発明1では,カリウム濃度を上限値とした場合であっても,食塩濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が本件発明1で特定する数値の範囲内であれば,カリウムを配合することによる苦味に関する課題は,解決されていると理解することができる。
エ したがって,本件発明1は,発明の詳細な説明に記載したものであり,サポート要件を満たすものということができる。
(3) 本件発明2ないし5について
ア 本件発明2は,減塩醤油中の塩化カリウム濃度を「2~7w/w%」と特定するものであるが,塩化カリウム濃度が2w/w%の減塩醤油のカリウム濃度は1.0w/w%であり,また,塩化カリウム濃度が7w/w%の減塩醤油のカリウム濃度は3.7w/w%であることから,本件発明2は,本件発明1の減塩醤油のカリウム源を塩化カリウムに限定することと同義である。本件明細書では,カリウム源として塩化カリウムを使用して検討しており,また,前記(2)認定のとおり,本件発明の技術分野においては,塩化カリウムが食塩の塩味を代替する成分であることが技術常識であることから,本件発明1でいうカリウムを塩化カリウムに限定しても,本件発明2におけるサポート要件の判断は変わるところはない。
イ 本件発明3は本件発明1又は2と同一の発明であり,サポート要件を満たす。
ウ 本件発明4は,本件発明1ないし3に,更に,核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料及び酸味料から選ばれる1又は2以上の添加剤を含有するものである。本件明細書の表3に記載の各種調味料及び酸味料が添加された減塩醤油の塩味について,同様のカリウム濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比を有する表1に記載の減塩醤油の塩味と比較すると,表3に記載された実施例20及び21が表1に記載の実施例3に,実施例22及び23が実施例4に,実施例24及び25が実施例5に,それぞれ対応するところ,いずれも,各種調味料及び酸味料が添加された減塩醤油は,食塩濃度が低下しているにもかかわらず,塩味の指標
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が上がっている。したがって,核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料及び酸味料から選ばれる1又は2以上の添加剤を含有する本件発明4に係る減塩醤油は,発明の詳細な説明において発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載されているということができる。
エ 本件発明5は,本件発明1ないし4について,濃縮及び脱塩により窒素濃度を1.9~2.2w/v%としたものに限定するものである。本件発明5の窒素濃度は,本件発明1ないし4の窒素濃度と変わるところがないので,窒素濃度を特定の範囲とする方法を濃縮及び脱塩に限定しても,その塩味についての判断に変わるところはなく,本件発明5はサポート要件を満たす。
(4) 原告の主張について
ア 甲7について
原告は,本願明細書の実施例1と5は,食塩,カリウム,窒素がすべて同じ濃度であるにもかかわらず,塩味の指標が3と4で異なり,本件発明の構成と効果の整合性が取れていない旨を主張する。
しかし,前記(2)ウ(ア)のとおり,本件明細書の表1に記載された,窒素濃度が2w/v%付近でカリウム濃度を変化させた場合の9種の実施例及び比較例(これには実施例1及び5が含まれる)の検討から,カリウム濃度と塩味の間には,カリウム濃度が高くなると塩味が強くなるという傾向が理解できる。そして,実施例1と5では塩味の指標が3と4に分かれたものの,上記傾向の中にあっては,いずれの実施例も実際の塩味は指標3と指標4の間にあるものと理解することができ,実施例1及び5のみを取り上げて,本件発明の構成と効果の整合性が取れていないということはできない。
また,原告は,甲7に記載の図中に引かれた曲線が実施例1付近を通過せずに,実施例5付近を通過しているので,この曲線は作成者の希望的観測が反映されているにすぎないとも主張する。
しかし,前記(2)のサポート要件の判断は,甲7に記載の図で被告が引いた曲線
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を根拠とするものではなく,図中の曲線の引き方に誤りがあるとしても,この点が,本件明細書におけるサポート要件の判断の結論を左右するものではない。
イ 本件発明の塩味についての課題について
原告は,食塩濃度7w/w%の本件発明に係る減塩醤油の塩味を検討する場合において,食塩濃度7w/w%の従来品の減塩醤油と比較することが誤りである旨を主張する。
減塩醤油の塩味について,食塩濃度が9w/w%以下と定められている減塩醤油は通常の醤油と比較して食塩濃度が低いので,これを使用した場合,いわゆる塩味が十分感じられず味が物足りないと感じる人が多く,食塩摂取の抑制が望まれている割には,減塩醤油の使用が増加しないという背景技術を勘案すると,本件発明に係る減塩醤油の課題は,その塩味についていえば,食塩濃度が9w/w%以下のものであっても,通常の醤油に近い塩味を感じる減塩醤油を提供すること,すなわち,通常の醤油の塩味を絶対的な基準として,これに近い塩味を得ることが本件発明における塩味についての課題であり,本来の食塩濃度に比して相対的に塩味が強い減塩醤油を得ることというわけではない。
したがって,本件審決の塩味についての本件発明の課題の認定には,問題があるものの,本件審決のサポート要件についての判断は,その結論において誤りはない。
なお,被告も,乙8について,試験品Dは食塩濃度7w/w%の対照品を基準として食塩濃度3.3w/w%分の塩味増強効果があるから本件発明の課題を解決している旨を主張するが,本件発明における塩味についての課題は上記のとおりであり,被告の上記主張は採用することができない。
ウ 苦味等の課題について
原告は,本件発明の課題は「食塩濃度が低いにもかかわらず塩味があり,かつ,苦み及び異味がない減塩醤油類を提供すること」であり,本件審決における本件発明の課題の認定には誤りがあるとも主張する。
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本件明細書(【0006】【0010】)によれば,実施例記載の減塩醤油を「塩味が3以上で,かつ苦みが3以下のものを◎,又は〇…とする総合評価」により評価していることから,苦みや異味がない減塩醤油を提供することも,食塩濃度を9w/w%以下に低下させた場合であっても通常の醤油に近い塩味を感じる減塩醤油を提供することとともに,本件発明が解決しようとする課題の1つであると解される。
そして,塩化カリウムが独特の異味ないし苦味等の不快な味を有することは,本件特許の優先権主張日当時における当該技術分野の技術常識であり(甲1,2),当業者であれば,カリウムを食塩の塩味の代替成分として使用する本件発明においては,カリウムによる苦味等の不快な味を低減することも,本件発明が解決すべき課題の1つであるであると認識するものである。
したがって,本件発明の課題は,塩味がより強く感じられ,味が良好であって,カリウム含量が増加した場合にも苦味が低減できる減塩醤油を得ることであって,本件審決における本件発明の課題の認定には問題がある。
しかし,本件発明では,食塩濃度,カリウム濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比を本件発明が特定する数値の範囲内とすることによって,カリウムを配合することによる苦味に関する課題は解決されているので,本件発明の苦味等についての課題に触れることなく判断したことは,本件発明のサポート要件の判断の結論に影響を及ぼすものではない。
エ 乙8の試験結果について
原告は,本件発明において食塩濃度7w/w%の場合,塩味が弱く,発明の課題を解決できない場合があることから(乙8の試験品D),本件発明は全ての数値範囲において所期の効果が得られると認識できる程度に記載されているということができない旨を主張する。
しかし,前記のとおり,本件明細書に接した当業者は,本件特許の優先権主張日当時の技術常識に照らして,食塩濃度が本件発明で特定される範囲の下限値の7w
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/w%の減塩醤油の場合,カリウム濃度を本件発明で特定される範囲の上限値近くにすることにより,塩味をより強く感じる減塩醤油とするものであることから,特許請求の範囲において特定された数値範囲の極限において発明の課題を解決できない場合があるとしても,本件発明がサポート要件を満たさないということは適切ではない。
(5) 小括
以上のとおり,取消事由1は理由がない。
▼3 取消事由2(実施可能要件に係る判断の誤り)について
(1) 実施可能要件
物の発明において,その発明を実施することができるとは,その物を作ることができ,かつその物を使用できることを意味する。本件明細書(【0022】【0032】)には,本件発明に係る減塩醤油の製造方法の概要が記載されており,当業者が出願時の技術常識に基づき製造することができたものであると認められる。また,本件発明に係る減塩醤油は,所期の効果を有する減塩醤油として使用することができるということができる。
よって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されており,実施可能要件(特許法36条4項1号に規定する要件)を満たす。
(2) 原告の主張について
原告は,本件明細書に記載されている発明は,食塩濃度が9w/w%及び8.13~8.5w/w%の場合であって,そこから本件発明の7~9w/w%の範囲にまで拡張できるような事情がないので,実施可能要件に違反する旨を主張する。
しかし,前記2と同様の理由により,当業者は,出願時の技術常識に基づき減塩醤油を製造することができたものということができ,原告の主張は,採用することができない。
(3) 小括
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以上のとおり,取消事由2も理由がない。
▼4 結論
以上の次第であるから,原告の請求は棄却されるべきものである。
知的財産高等裁判所第4部 裁判長裁判官滝澤孝臣 裁判官髙部眞規子 裁判官齋藤巌
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