<判決紹介>
・平成27年(ワ)第23129号 特許権侵害差止等請求事件
・平成28年8月30日判決言渡
・東京地方裁判所民事第46部 長谷川浩二 藤原典子 中嶋邦人
・原告:富士フイルム株式会社
・被告:株式会社ディーエイチシー
・特許5046756■コメント:
富士フイルム vs ディーエイチシーの侵害訴訟。
ディーエイチシーが製造・販売するアスタキサンチン含有化粧品が特許権侵害に当たるとして、製品の生産等の差止め等を求めた事案。
被告製品は下記の通り。
なお本件特許に対しては、後述の通り、別途無効審判で平成28年3月8日に有効審決がでています。
本件特許の請求項1は下記の通り。「【請求項1】
(a)アスタキサンチン、ポリグリセリン脂肪酸エステル、及びリン脂質又はその誘導体を含むエマルジョン粒子;
(b)リン酸アスコルビルマグネシウム、及びリン酸アスコルビルナトリウムから選ばれる少なくとも1種のアスコルビン酸誘導体;並びに
(c)pH調整剤
を含有する、pHが5.0~7.5のスキンケア用化粧料。」
争点はいくつかありますが、争点(2)アの「乙6発明に基づく進歩性欠如」について紹介します。
本件発明と乙6発明の相違点である「pH5.0~7.5」に進歩性があるかどうかが争われています。
本件特許明細書をみると、pHを4.5~8.5の範囲で振って、5.0~7.5の範囲が良好であったことを示す実施例が記載されています(表4等)。
被告の主張は下記の通り。「(ア) 乙6ウェブページの内容は本件特許の出願前に電気通信回線を通じて公衆に利用可能となっていたところ,クエン酸がpH調整剤に該当するとすれば,乙6ウェブページには以下の内容の乙6発明が掲載されている。
「アスタキサンチン含有物であるヘマトコッカスプルビアリス油,ポリグリセリン脂肪酸エステル及びレシチンやリゾレシチンを含むエマルジョン粒子,リン酸アスコルビルマグネシウム,クエン酸のpH調整剤,トコフェロール並びにグリセリンを含む美容液」
(イ) 本件発明と乙6発明を対比すると,本件発明のpHの値は5.0~7.5の範囲であるのに対し,乙6発明のpHの値は特定されていない点で相違し,その余の点で一致する。
(ウ)乙6ウェブページにはpHの値が開示されていないから,これに接した当業者は,そこに記載されている成分を含む化粧料のpHを調整してその安定性,安全性を確保するということを当然の課題として認識する。そして,化粧品のpHの調整が化粧品の安定化につながること(乙9の1及び2),化粧品のpHが一般的に弱酸性(pH4程度)~弱アルカリ性(pH8程度)の範囲内にあること(乙8の1~6,22)はいずれも技術常識であるから,安定性及び安全性の観点から化粧品のpHの値を弱酸性~弱アルカリ性の範囲内で調整することは周知である。
そもそも,化粧品の開発において適切なpH範囲を選択し決定することは,化粧品が皮膚に塗布するものである以上必須の過程である(乙8の3,4及び6,9の1及び2,27)。
そうすると,化粧品である乙6発明の安定化を図るためにそのpHの値を弱酸性~弱アルカリ性の範囲内である5.0~7.5に調整することは,当業者であれば当然に実施する程度の数値範囲の最適化にすぎず,その範囲も化粧品が通常有するpHとして何ら特異なものでないから,上記相違点に係る構成に至ることは容易である。したがって,本件発明は進歩性を欠く。…。」原告の主張は下記の通り。「(ア) 乙6ウェブページには原告旧製品に係る全成分のリストが掲載されているから,乙6ウェブページに接した当業者は乙6ウェブページに記載されているものは原告旧製品であると認識する。そして,原告旧製品のpHは7.9~8.3であるから,乙6発明は乙6ウェブページに掲載されている全ての成分を含み,pHが7.9~8.3である美容液と認定すべきである。
(イ) 本件発明と乙6発明を対比すると,本件発明のpHの値は5.0~7.5の範囲であるのに対し,乙6発明のpHの値は7.9~8.3の範囲である点で相違し,その余の点で一致する。
(ウ) 乙6ウェブページは本件特許の出願日の約5か月前に発売された原告旧製品の成分に関するものであるところ,化粧品に高い安定性(通常室温状態で3年を超えて安定した品質)が求められることは周知であるから,乙6ウェブページに接した当業者は,原告旧製品について化粧品に求められる高いレベルの安定性試験により安定性が確認されたものであると認識するのであって●(省略)●アスタキサンチンの安定化に着目した手法として,安定性に寄与し得る多様な抗酸化剤等の加除や量の増減,遮光性容器やポンプ式容器等への容器の変更,包接体の利用,アスタキサンチン自体の誘導体化等の様々なものがあること(甲25~27),ある化粧品のpHを変更するためには,その変更が悪影響を及ぼさないか否かを,当該化粧品に含まれている全ての成分につき,それぞれ検証,確認することが必要になることなどからすれば,上記課題を解決するために様々な選択肢の中からpHの変更を選択することは容易になし得ない。これらに加えて,乙6発明はリン酸アスコルビルマグネシウムを含む化粧品であるところ,リン酸アスコルビルマグネシウムは酸性~中性の範囲で不安定な成分であることが技術常識であること(甲30~32,50~55)から,乙6発明のpH(7.9~8.3)を酸性側である5.0~7.5に変更することには積極的な阻害要因があったというべきである。また,化粧品の適切なpHの範囲は,各化粧品が有する組成に応じてそれぞれ異なるものであり,各化粧品固有の適切本件発明は,pHを5.0~7.5の範囲とすることによって,●(省略)●アスタキサンチンの安定性の大幅な向上という顕著な効果を奏するものである(本件明細書の【表4】,【表5】)。
したがって,本件発明は進歩性を有する。」裁判所の判断は下記の通り。「2 争点(2)ア(乙6発明に基づく進歩性欠如)について
…
そうすると,本件発明と乙6発明は,本件発明のpHの値が5.0~7.5の範囲であるのに対し,乙6発明のpHの値が特定されていない点で相違し,その余の点で一致する。
イ これに対し,原告は,当業者は乙6ウェブページに掲載されている内容は原告旧製品の全成分であると認識するところ,原告旧製品のpHの値は7.9~8.3であるから,本件発明と乙6発明の相違点は,本件発明のpHの値が5.0~7.5の範囲であるのに対し,乙6発明のpHの値が7.9~8.3の範囲である点となる旨主張する。
そこで判断するに,原告の上記主張は,原告旧製品自体の成分を検査すればpHの値を知ることができるというにとどまるものであって,本件の関係証拠上,技術常識を踏まえてみても乙6ウェブページに掲載されている内容自体からpHが7.9~8.3であると導くことができるとは認められない。したがって,乙6発明においてpHの値は特定されていないと解するのが相当であって,原告の上記主張を採用することはできない。
(2) 相違点の容易想到性
ア後掲の証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
(ア) 化粧品(医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律2条2項の「医薬部外品」及び同条3項の「化粧品」に当たるもの)の基本的かつ重要な品質特性としては,安全性,安定性,有用性,使用性が挙げられ,化粧品の設計に当たっては,まず配合薬剤の基剤中における安定性に留意する必要がある。薬剤の安定化にはpH,温度,光,配合禁忌面から同時に配合する成分の影響を把握しておくことが重要となる。安定化の方法としては,酸素を断つ方法や酸化防止剤の配合,pH調整剤,金属イオン封鎖剤の配合や最適配合量の水準,不純物質の除去,生産プロセスにおける温度安定性の工夫,原料レベルでの安定な保管などの方法がある。化粧水等の化粧品の品質検査項目としては,外観や匂い等の官能検査,pH,比重,透明度,粘度,有効成分等の定量試験などの項目があり,化粧品の安定化を図るためにpH調整剤を用いることやpHを測定することは一般的に行われている。(乙9の1及び2,27)
(イ) 皮膚に直接塗布する化粧品のpHは,皮膚への安全性を考慮して,弱酸性(約pH4以上)~弱アルカリ性(約pH9以下)の範囲で調整される。実際に市販されている化粧品については,そのpHが人体の皮膚表面のpHと同じ弱酸性の範囲(pH5.5~6.5程度)に設定されているものも多い。(乙8の1~6,22)
イ 上記の認定事実によれば,化粧品の安定性は重要な品質特性であり,化粧品の製造工程において常に問題とされるものであるところ,pHの調整が安定化の手法として通常用いられるものであって,pHが化粧品の一般的な品質検査項目として挙げられているというのであるから,pHの値が特定されていない化粧品である乙6発明に接した当業者においては,pHという要素に着目し,化粧品の安定化を図るためにこれを調整し,最適なpHを設定することを当然に試みるものと解される。そして,化粧品が人体の皮膚に直接使用するものであり,おのずからそのpHの値が弱酸性~弱アルカリ性の範囲に設定されることになり,殊に皮膚表面と同じ弱酸性とされることも多いという化粧品の特性に照らすと(前記ア(イ)),化粧品である乙6発明のpHを上記範囲に含まれる5.0~7.5に設定することが格別困難であるとはうかがわれない。
そうすると,相違点に係る本件発明の構成は当業者であれば容易に想到し得るものであると解するのが相当である。
ウ これに対し,原告は,①乙6ウェブページは原告旧製品に関するものであり,●(省略)●その解決手段としては様々なものがあるから,pHを調整するという手段を選択することは容易になし得ない,③乙6発明に含まれるリン酸アスコルビルマグネシウムはpHが酸性~中性の範囲で不安定な成分であることが技術常識であったから,pHの値を酸性側である5.0~7.5に変更することには積極的な阻害要因があった,④本件発明はpHを5.0~7.5の範囲とすることで●(省略)●アスタキサンチンの安定性の大幅な向上という顕著な効果を奏したなどとして,本件発明は進歩性を有する旨主張する。
そこで判断するに,まず,上記①及び②については,前記イで説示したとおり,安定性は化粧品の製造工程において常に問題とされる化粧品の品質特性であり,pHの調整が安定化のための一般的な手法であることからすれば,乙6ウェブページに掲載されている成分リストが販売開始から間もない原告旧製品のものであるとしても,当業者が化粧品の安定性の確保,向上という課題を全く認識しないということはできないし,pHの調整という手法を採用することが困難であったということもできない。
次に,上記③については,原告は乙6発明のpHが7.9~8.3であることを前提にこれを酸性側に変更することの阻害要因を主張するが,そのような前提を採ることができないことは前記(1)イのとおりである。この点をおくとしても,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件特許の出願当時,(a)リン酸アスコルビルマグネシウム単体の水溶液については,pHが8~9の弱アルカリ性の領域においては安定とされていたが,pHが中性~酸性の範囲においては安定性に問題があるとされていたこと(甲30~32,50~55),⒝リン酸アスコルビルマグネシウムを含む化粧料について,弱酸性における安定性を改善する手法が検討されており(甲31,50~52,61,乙10の2,25),実際にリン酸アスコルビルマグネシウムを含有する弱酸性の化粧品が販売されていたこと(乙28,29)が認められる。これら事実関係によれば,リン酸アスコルビルマグネシウムに加え他の成分を含む化粧品については,弱酸性下における安定性の改善が試みられており,現に製品としても販売されていたのであるから,原告が主張するリン酸アスコルビルマグネシウム単体の水溶液が酸性下においてその安定性に問題があるという事情は,乙6発明の美容液のpHを弱酸性の範囲に調整することの阻害要因とならないと解するのが相当である。
上記④については,前記イで説示したとおり,pHの調整が化粧品の安定性を高めるための手法として周知であったことからすると,本件発明の実施例について吸光度の残存率の高さや性状変化の少なさといった経時安定性の測定結果が良好であったとしても(本件明細書の【表4】~【表6】),●(省略)●予測し得る範囲を超えた顕著な効果を奏するとは認められない。
したがって,原告の上記主張①~④はいずれも採用することができない。
(3) まとめ
以上によれば,本件発明は乙6発明に基づいて容易に発明することができたものであるから,原告は本件特許権を行使することができない。」というわけで、進歩性欠如の無効理由を有すると判断され、請求棄却。☆☆なお、本件特許は平成27年2月13日にディーエイチシーが無効審判を請求していましたが、平成28年3月8日に有効審決がでています。
審決では、本判決の乙6が主引例として引用されています。
審決の判断は下記の通り。「ア 相違点の検討
相違点2について検討する。
甲3の1~甲3の6からは、化粧品のpHを弱酸性~弱アルカリ性とすることは技術常識であるように見受けられる。また、甲4の1~甲4の2からは、化粧品のpHのコントロールは化粧品の安定化の一つの手段であることが認識できる。しかし、甲1に記載された「エフ スクエア アイ インフィルトレート セラム リンクル エッセンス」は乙1を参照すれば●(省略)●の化粧品であるといえる。そして、例え上記技術常識があるとしても、引用発明1にかかる技術常識を導入する契機、すなわち、かかる化粧品を弱酸性~弱アルカリ性と設定することの動機づけとなるような記載を甲1から見出すことはできない。このため、上記技術常識や甲4の1~甲4の2の記載事項をもってしても、本件特許発明1が、引用発明1、あるいは引用発明1と甲3の1~甲3の6、甲4の1~甲4の2の記載に基づいて当業者が容易になし得たものとはいえない。
そうすると、相違点1について検討するまでもなく、本件特許発明1は、引用発明1、あるいは引用発明1と甲3の1~甲3の6、甲4の1~甲4の2の記載に基づいて当業者が容易になし得たものとはいえない。
イ 本件特許発明1の効果について
本件特許発明1は、「本発明の分散組成物は、カロテノイド含有油性成分及び、リン脂質又はその誘導体を含むエマルジョン粒子を有する水分散物と、アスコルビン酸又はその誘導体を含む水性組成物と、pH調整剤とを混合することによって得られたpHが5~7.5の分散組成物である。
本発明では、カロテノイド含有油性成分を含み、エマルジョン粒子を有するO/W型エマルジョンである水分散物と、アスコルビン酸又はその誘導体を含む水性組成物とを混合し、更にpHをpH5~7.5とすることにより、カロテノイド含有油性成分の分散安定性とカロテノイドの色味安定性とを共に良好に保つことができ、その結果、保存安定性、特に室温での保存安定性に優れた分散組成物とすることができる。」(【0009】)との記載等からみて、アスタキサンチン(カロテノイド含有油性成分)を含み、エマルジョン粒子を有するO/W型エマルジョンである水分散物と、アスコルビン酸又はその誘導体を含む水性組成物とを混合し、pHを5.0~7.5とすることにより、アスタキサンチンの分散安定性とカロテノイドの色味安定性とを共に良好に保つことを図る効果を奏するものであるが、引用発明1のpHを弱酸性~弱アルカリ性とし、化粧品としての安定化を図ったところで、これによりアスタキサンチンの分散安定性とカロテノイドの色味安定性との両方を良好にすることが明らかであるとはいえず、また、そのことを当業者が予測し得たものとはいえない。
ウ 小括
以上のとおりであって、本件特許発明1は、引用発明1、あるいは引用発明1と甲3の1~甲3の6、甲4の1~甲4の2の記載に基づいて当業者が容易になし得たものではなく、当業者が予測し得ない効果を奏するものであるから、本件特許発明1は、甲1に記載された発明に基づいて、又は、甲1並びに甲3の1~甲3の6及び甲4の1~甲4の2に記載された発明に基づいて当業者が容易になし得たものとはいえない。」
審決は「例え上記技術常識があるとしても」と述べていますが、判決ではここがより重視されているようです。
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