<知財高裁/抗PCSK9抗体特許の審決取消訴訟> 競合抗体特許のサポート要件が認められなかった事例(リジェネロン対アムジェン)

 判決紹介 

・令和3年(行ケ)第10093号 審決取消請求事件
・令和5年1月26日判決言渡
・知的財産高等裁判所第4部 菅野雅之 中村恭 岡山忠広
・原告:リジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッド
・被告:アムジエン・インコーポレーテツド
・特許5705288
・発明の名称:プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対する抗原結合タンパク質
 コメント 
抗PCSK9抗体に関する特許5705288の審決取消訴訟のご紹介です。
特許5705288に関しては、これまでの無効審判や侵害訴訟では特許権者のアムジェン(被告)の有利に進んできましたが、今回はサノフィ、リジェネロン(原告)に有利な結果がでました。
経緯について簡単に説明しますと、
抗PCSK9抗体を有効成分とする抗体医薬として、アムジェンレパーサ(エボロクマブ)を販売しています。効能・効果は、家族性高コレステロール血症又は高コレステロール血症(但し、心血管イベントの発現リスクが高く、HMG-CoA還元酵素阻害剤で効果不十分又は適さない場合)です。
一方で、抗PCSK9抗体を有効成分とする抗体医薬として、サノフィプラルエント(アリロクマブ)を販売していました(別件の侵害訴訟の結果、2020年に日本での販売を停止しています)。本件の原告のリジェネロンは、アリロクマブを創製した企業であり、サノフィと共同開発していました。
2014年10月にアムジェンは、米国において、プラルエントがアムジェンのレパーサ米国特許(US8829165及びUS8859741)を侵害しているとして、デラウエア州地方裁判所に侵害訴訟を提起しました。
その後、2015年3月にレパーサ米国特許のファミリー出願である特許5705288が日本で特許登録され、サノフィが日本で無効審判を請求しました。さらに、2017年にアムジェンは日本で侵害訴訟を提訴しました。
日本の審判、訴訟の経緯はおよそ以下の通りです。
●2015/03/06:特許登録
●2016/01/18:1回目無効審判(請求人:サノフィ)
●2017/08/02:1回目審決(請求不成立)
●2018/12/27:判決・審決取消訴訟・知財高裁(請求棄却)
●2019/01/17:判決・侵害訴訟・東京地裁(侵害)
●2019/10/30:判決・侵害訴訟・知財高裁(控訴棄却) ←
●2020/02/12:2回目無効審判(請求人:リジェネロン)
●2020/04/24:上告不受理(審決取消訴訟、侵害訴訟)
●2020/05/07:サノフィがプラルエントの日本での販売停止を発表
●2021/04/07:2回目審決(請求不成立) ←
●2023/01/26:判決・審決取消訴訟(審決取消) ←いまココ
このうち、①と②は下記ブログで紹介しています。今回は②の審決に対する審決取消訴訟です。
<知財高裁/抗PCSK9抗体の特許侵害訴訟> 競合特許のサポート要件等が認められた事例
<判決紹介>・平成31年(ネ)第10014号 特許権侵害差止請求控訴事件・令和元年10月30日判決言渡・知的財産高等裁判所第1部 高部眞規子 小林康彦 関根澄子・控訴人:サノフィ株式会社・被控訴人:アムジエン・インコーポレーテツド・特許57...

<抗PCSK9抗体特許の無効審判> 競合抗体特許のサポート要件・実施可能要件等が認められた審決例(2回目)
審決紹介 ・審判番号:無効2020-800011 ・審判請求日:2020/02/12 ・審決日:2021/04/07 ・審判官:田村聖子 山本晋也 長井啓子 ・請求人:リジェネロン・ファーマシューティカルズ・インコーポレイテッ...

本件特許の請求項1、9は以下の通りです。
【請求項1】
 PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体。
【請求項9】
 請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む、医薬組成物。
今回、知財高裁は、本件発明はサポート要件を満たさないと判断し、審決を取り消しました。
知財高裁の判断をまとめると、およそ下記(1)~(10)のようになります。
(1)本件明細書の開示事項によれば、本件発明は、LDLRタンパク質と結合することにより、対象中のLDLRタンパク質の量を減少させ、LDLの量を増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体又はこれを含む医薬組成物を提供することを課題とした上で、PCSK9は、LDLRのEGFaドメインに結合すること、及び、参照抗体は、結晶構造上、LDLRのEGFaドメインの位置と部分的に重複する位置でPCSK9とLDLRタンパク質の結合を立体的に妨害し、その結合を強く遮断する中和抗体であり、参照抗体と「競合」するモノクローナル抗体は、PCSK9への参照抗体の結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体であることを明らかにするものである。
(2)【A】博士の供述書(1)(甲2の1)記載の実証実験結果は、信頼性を有するものというべきである。
(3)請求項1の「中和」の技術的意義を解釈するために本件明細書の記載をみると、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することであり、PCSK9とLDLRタンパク質結合部位を直接封鎖するものに限らず、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー変化等)を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる態様を含むものである。
(4)請求項1の「競合する」の技術的意義を解釈するために本件明細書の記載を見ると、様々な程度で、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ものであって、必ずしも参照抗体がPCSK9と結合する同一のPCSK9上の部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体に限らず、参照抗体がPCSK9と結合するPCSK9上の部位と重複する部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体や、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様でPCSK9に結合し、参照抗体のPCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体を含むものであると認められる。
(5)本件発明の「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する」の技術的意義は、「21B12抗体と同様のメカニズムにより、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して」相互作用を妨害等することを明らかにする点にある。
(6)本件発明の「PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する」との性質を有する抗体には、「EGFaドメインの位置とも異なる部位に結合し、21B12抗体に軽微な立体的障害をもたらして」21B12抗体のPCSK9への特異的結合を妨げる抗体が含まれるが、そのような抗体は、「LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害」等するものとはいえない。
(7)被告が主張する「中和できない抗体が仮に存在したとしても、そのような抗体は、本件発明1の技術的範囲から文言上除外されている」に関しては、技術的意義の前提が崩れるため認められない。仮に中和抗体のみが対象であると解したとしても、参照抗体と競合するとの発明特定事項は、立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体をも含むものであるから、このような抗体についても結合中和抗体であることがサポートされる必要があるところ、そのことについて何らの開示がないためサポート要件を満たさない。
(8)審決が本件明細書に記載の手順によって「十分に高い確率で本件発明の抗体をいくつも繰り返し同定することが具体的に示される旨判断」したことに関しては、「免疫化されたマウスの中でPCSK9上のどのような位置に結合する抗体が得られるかは「運に支配される」もの」であること、「立体的に妨害する態様で抗原タンパク質に結合する抗体を製造する方法が本件出願時における技術常識であったともいえない」ことから、本件発明に含まれる多様な抗体が本件明細書の発明の詳細な説明に記載されていたとはいえない。
(9)付言として、他国における判断が本件判断に直ちに影響を与えるものではないことは明らかである。また、別件判決の結論と本件判断が異なることには相応の理由があるというべきである。
(10)原告主張の取消事由2(サポート要件違反)は理由があるから、その余の取消事由について判断するまでもなく、本件審決は取り消されるべきである。
このうち、上記(4)、(6)で言及されている、競合抗体が「同一のPCSK9上の部位に結合」する抗体、「重複する部位に結合」する抗体だけでなく、「結合を立体的に妨害」する抗体を含む、という議論は、以前のブログ(https://biopatent.jp/395/)で私が作ったサポート要件違反の論理構成にも記載しており、やはりここが本件の競合抗体特許の弱いところだなと改めて思いました。
また、上記(8)で言及されている、審決がした「十分に高い確率で」という判断に関しても、以前のブログ(https://biopatent.jp/1302/)でコメントしていました。
全般的に、「技術的意義」にしっかり向き合った判決という印象です。
裁判所の判断の抜粋を以下に記載します。
判決
第4 当裁判所の判断
1 本件明細書(甲201)等の記載事項について
(1)本件明細書(甲201)の記載事項について

ア 本件明細書の【発明の詳細な説明】には、別紙1のとおりの記載があり、これらの記載によれば、本件発明に関し、次のような事項が開示されている。
・・・
イ 前記アで摘記した本件明細書の開示事項によれば、本件発明は、LDLRタンパク質の量を増加させることにより、対象中のLDLの量を低下させ、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、また、この効果により、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し、又は予防し、疾患のリスクを低減すること、そのために、LDLRタンパク質と結合することにより、対象中のLDLRタンパク質の量を減少させ、LDLの量を増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体又はこれを含む医薬組成物を提供することを課題とした上で、PCSK9は、LDLRのEGFaドメインに結合すること、及び、参照抗体は、結晶構造上、LDLRのEGFaドメインの位置と部分的に重複する位置でPCSK9とLDLRタンパク質の結合を立体的に妨害し、その結合を強く遮断する中和抗体であり、参照抗体と「競合」するモノクローナル抗体は、PCSK9への参照抗体の結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体であることを明らかにするものである。
(2)甲1文献の記載事項について
ア 本件優先日前に頒布された刊行物である甲1文献には、別紙2のとおりの記載があり(ただし、訳文による。)、これらの記載によれば、甲1文献には、次のような開示があることが認められる。
(ア)家族性高コレステロール血症は、血漿中のLDLコレステロールレベルの上昇等に起因するものである。プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)は、細胞表面に存在する低密度リポタンパク質受容体(LDLR)の存在量を低下させるものであり、PCSK9の機能獲得型変異は、LDLRの数のより激しい減少とそれに伴う高コレステロール血症を引き起こす。(以上、甲1-2)
分泌されたPCSK9は、ヒト肝細胞表面と相互作用してLDLRと共免疫沈降し得るものであり、エンドソームのpHにおいて、PCSK9がLDLRに170倍ものより大きく増大した親和性で結合することが研究の成果として示されている(甲1-5)。
(イ)ヒトPCSK9の機能獲得型変異は、家族性高コレステロール血症に関連するものであり、特に、D374Y変異体は、LDLR数の減少において野生型PCSK9よりも約10倍活性が高く、D374Y変異体の増大したLDLR低減効果は、細胞表面LDLRへの強化された結合により生じる可能性がある(甲1-6、1-9)。
(ウ)遺伝的証拠は、PCSK9が心血管疾患の治療のための魅力的な標的であることを示唆しており、血漿中でのLDLRタンパク質との結合及び受容体依存性の細胞内への取り込みが、ほぼPCSK9の機能の速度決定ステップであるため、血漿中のPCSK9に結合し、そのLDLRとの結合を阻害する抗体や低分子はPCSK9の機能の効果的な阻害剤となり得るものであり、特に、PCSK9-LDLR複合体の構造は、新たな治療のデザインのために有用なものである(甲1-12)。
イ 前記で摘記した各記載からすると、甲1文献には、家族性高コレステロール血症は、血漿中のLDLコレステロールレベルの上昇に起因するものであるところ、プロタンパク質コベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)は、細胞表面に存在する低密度リポタンパク質受容体(LDLR)の存在量を低下させるものであるため、PCSK9が治療のための魅力的な標的であり、血漿中のPCSK9に結合し、そのLDLRタンパク質との結合を阻害する抗体等が効果的な阻害剤となり得ることが開示されていたものと認められる。
(3)【A】博士の供述書(1)(甲2の1)記載の実証実験結果とその評価
ア(ア)【A】博士の供述書(1)(甲2の1)の抄訳によれば、別紙3のとおりの実験結果が記載されている。
(イ)【B】博士の供述書(1)(甲2の2)の抄訳によれば、以下の記載がある。
a 「4. 私はまた、hPCSK9に対する抗体のパネル(一群の抗体)に関してYumab GmbH(以降、「Yumab」)によって行われた実験の詳細、および、Yumabからの「【A】博士の供述書(1)」(以降、「D1」)の写しも提供されていて、その供述書は、これらの実験の全体的な説明を示すものである。私は、これらの結果に関してレビューおよびコメントをするように求められ、・・・」(2頁19行~24行(該当箇所は原文を指す。以下同じ。))
b 「C. 競合および中和の分析
14. リジェネロン抗体に関するデータは、「21B12または31H4抗体の結合における50%以上の減少」という競合に関する基準を用いて、表1に要約される。
表1:競合に関して50%閾値を用いた、21B12/31H4と競合するリジェネロン抗体の中和特性

15. 表1が示すように、21B12抗体と競合するものとして分類されるリジェネロン抗体の約80%は、hPCSK9-LDLR相互作用を中和することができない。さらに、表1が示すように、31H4抗体と競合するものとして分類されるリジェネロン抗体の80%よりも多くが、hPCSK9-LDLR相互作用を中和することができない。
16. 要するに、これらの結果は、結合に関して21B12と競合する抗体の大部分が、hPCSK9とLDLRとの結合を中和することができないことを示している。・・・本件特許によれば、21B12抗体の結合部位はhPCSK9上のLDLRの結合部位と部分的にしか重複しないからである。したがって、別の抗体の結合部位は、LDLRの結合部位と重複することなく21B12結合部位と重複し得るのであり、このようにして、別の抗体は、hPCSK9-LDLR相互作用を中和することなく、21B12と競合し得る。また、2つの抗体は、必ずしも同一部位に結合しなくても互いと競合し得るのであり(例えば、ある抗体が、近くの結合部位に対する他の抗体の結合を立体的に妨げる場合)、したがって、競合が見られるために、結合部位の重複は必要とされない。」(5頁8行~6頁11行)
c 「D. 結論
19. これらの結果を考慮すると、21B12抗体と競合する抗体が「LDLRに対する結合を中和」するだろうと言うのは、科学的に誤りである。・・・数多くの21B12抗体と競合する抗体が、hPCSK9-LDLRの結合を中和する効果を有さないことはいうまでもなく、この相互作用に対していかなる効果も有さないことを示す・・・
20. 21B12抗体と競合する抗体が、21B12抗体と同様の親和性および/または結合部位を必ず有するだろうということについては、私も同意しない。・・・
21. したがって、21B12と競合する抗体は、当該具体の21B12抗体と同様の活性を有するに違いないという考えは、私の科学的見解として受け入れられるものではない。・・・実際にそのような抗体の非常に多くがhPCSK9-LDLRの結合を阻害することができないという事実は、この考えが非現実的であることを示している。いずれにせよ、これらの非中和抗体の任意の生物学的効果は、21B12および31H4とは異なるメカニズムを介して生じ得るものであり、本件特許の請求項における中和の定義(すなわち、生体外(in vitro)での競合アッセイで検証されたようにhPCSK9およびLDLRが互いと相互作用するのを妨げることによる阻害)には入らない。」(6頁19行~7頁15行)
イ(ア) 被告は、前記第3の2(2)ウ(ア)のとおり、【A】博士の供述書(1)(甲2の1)記載の実証実験について、【C】教授による専門家意見書(乙24)に依拠して、①実施例10では「プレミックス」法を用いているところ、【A】博士はこの方法を用いておらず、プレート上の被験抗体にまずPCSK9を加えて結合させ、次いで参照抗体を加えるという【A】博士の用いた方法では、被験抗体がプレートに固定化された向きによってはPCSK9上の参照抗体結合部位が閉塞してしまうため、参照抗体がPCSK9+被験抗体複合体と結合することができなくなり、見かけ上競合しているかのような結果を示している、②実施例10よりはるかに高い濃度のPCSK9と、実施例10より高い濃度の被験抗体を使用し、それにもかかわらず実施例10よりわずかに少ない濃度のブロッキング緩衝液を使用したために、PCSK9が参照抗体の結合部位を閉塞するような形で被験抗体に非特異的に結合し、参照抗体がPCSK9と結合できなくなる等の現象が防げないため、見かけ上競合しているかのような結果になっている、③強力なブロッキング緩衝液を使用して実験した ところ、【A】博士が「競合する」と結論付けた081006A、081006B、190515-41抗体は、参照抗体と競合しないことが示されたと指摘し、【A】博士の実証実験の結果は偽陽性を含むものであって誤りである旨主張する。
しかし、上記主張は、【A】博士の上記実証実験と本件明細書の実施例10の実験条件を比較するものであるが、例えば、本件明細書の実施例37は、プレミックス法ではなく、ブロッキング緩衝液は上記実証実験で用いられた2%BSA(0.05%のTween20含有)よりも更に濃度が低い1%BSAを加えたリン酸緩衝化生理食塩水であるから、実施例10との実験条件の比較をもって上記実証実験の条件が不適切であるということはできないし、もとより、本件発明では、PCSK9とLDLRとの結合中和に関するモノクローナル抗体の競合や中和に関する測定方法や測定条件は規定されていない。
また、上記実証実験では、リジェネロン抗体63個のうち、5種類の抗体(081211B、190515-35、190515-7、190515-8、190515-9)は、PCSK9と結合しないことが確認されており(別紙3の資料B1参照)、この点からも、上記実証実験がPCSK9の非特異的結合が偽陽性の結果を生じる条件下で行われたとはいえないのみならず、上記実証実験は、本件明細書で開示されている抗体(9C9、3B6、27B2)をコントロールとして用いて、結合特異性、両立性及び中和特性を検証するものであり、別紙3の資料B1のとおり、9C9、3B6はPCSK9に結合し、21B12抗体と競合し、中和特性を有することが確認されており、この実証実験結果は本件明細書で開示されている結果と同じであることが確認されている(【0374】、【0493】。【0138】、表2参照)。
そうすると、上記実証実験の結果は、不適切な実験結果であるとはいえず(仮に、不適切な実験結果であるというのであれば、被告は、原告が指摘するように、実施例10と同一の条件で行った実験結果を示すべきであろうが、そのようなことはせずに、上記実験結果を弾劾することに終始している。)、また、この実証実験を踏まえた【B】博士の供述書(甲2の2)も不適切な意見とはいえない。
(イ)なお、弁論準備手続期日(専門委員3名の関与の下で当事者双方が本件発明に係る技術説明を行った。)終結後、当事者双方は同期日における説明を補足することがあれば、その限度で主張書面を提出することとされたところ(第1回弁論準備手続調書参照)、それにもかかわらず、被告は、第1回口頭弁論期日の直前になって、新たな【C】教授の専門家意見書(乙48)を提出の上、【A】博士による実証実験について、①用いられたリジェネロン抗体63個のうち25個は、原告の米国仮出願(No.61/122.482)において開示されているところ、そのうち081211Bと190515-35は、それぞれ原告の仮出願において開示された抗体H1H314P及びH1H317Pと同一であり、原告の仮出願ではこれらの抗体はいずれもPCSK9に結合するとされているが、上記実証実験ではPCSK9に全く結合しないと結論付けられている点、②190515-36と190515-37は、それぞれ原告の仮出願において開示された抗体H1H320P及びH1H321Pと同一であり(乙48)、仮出願ではPCSK9とLDLRの結合の遮断活性が確認されているのに、上記実証実験結果では、非中和と記載されている点、③081008Bと190515-43は、アミノ酸配列が同じであるため競合試験の結果は同じでなければならないにもかかわらず、上記実証実験結果では、190515-43は31H4抗体と競合するとする一方で、08100Bは31H4抗体と競合しないと結論付けている点を挙げて、これらの点は、上記実証実験の結果の信頼性を低下させるものであるなどと主張する。
上記主張は、弁論準備手続期日における上記実証実験結果の信頼性に関する被告の説明を補足する限度を超えるものであって、時機に後れた攻撃防御方法に当たるものであり、却下は免れないところである。もっとも、これに対する反論として口頭弁論終結日に原告第9準備書面が提出されたことから、念のため付言すると、以下の指摘をすることができる。①の点については、仮出願で開示されているH1H314P及びH1H317Pは、いずれも結合活性が他の抗体よりも低いことは明らかである(甲222の表4参照)から、仮出願と異なる実験アッセイにおいて結合しないと評価されるからといって、上記実証実験の結果の信頼性を損なうものではない。②については、仮出願(甲222)の段落[0076]には、H1H320P(190515-36)、H1H321P(190515-37)は、hPCSK9とhLDLR-EGF-Aドメインとの結合を遮断することが開示されているが、PCSK9との明確な結合遮断性を有する抗体の例として作成された表6にはH1H320P、H1H321Pの記載はないし(段落[0077])、また、①と同様に仮出願と異なる実験アッセイにおいて異なる評価がされているからといって、上記実証実験の全体的な信頼性を損なうものではない。③については、原告の仮出願では、甲222及び乙10の配列表から、190515-43(仮出願ではH1M505(配列番号266/274))、081008B(仮出願ではH1HM504(配列番号242/250))として別の抗体として記載されているものと認められ、表7においてPCSK9のキメラタンパク質やD374Y変異体に対する結合特異性において異なる記載がされていることから、【A】博士の実証実験で異なる評価がされているからといって同実証実験の結果の信頼性を左右するものではない。
(ウ)以上によれば、【A】博士の供述書(1)(甲2の1)記載の実証実験結果は、信頼性を有するものというべきである。
2 取消事由2(サポート要件違反の判断の誤り)について
事案に応じて、まず取消事由2(サポート要件違反の判断の誤り)について判断する。
(1)被告は、前記第3の3(2)アのとおり、原告とサノフィが実質的に利害関係を共通していることを前提として、本件特許がサポート要件違反等を理由とした別件無効審判に係る別件審決が確定していること等をもって、原告が取消事由2を主張することは特許法167条に反する旨主張する。
しかし、特許法167条は、「特許無効審判・・・の審決が確定したときは、当事者及び参加人は、同一の事実及び同一の証拠に基づいてその審判を請求することができない。」と定めるところ、原告とサノフィ又はサノフィ株式会社が本件特許に関する係争に係る製剤等を共同で製品化する関係にあるからといって、原告は、サノフィと別法人であって、サノフィと親会社と子会社の関係であるとか、日本法人と外国法人の関係にあるといった、実質的にみれば同一当事者であると評価すべき特段の事情があると認められないから(もとより原告は別件無効審判の参加人でもない。)、そもそも同条の適用はないというべきである。
(2)特許法36条6項1号は、特許請求の範囲の記載に際し、発明の詳細な説明に記載した発明の範囲を超えて記載してはならない旨を規定したものであり、その趣旨は、発明の詳細な説明に記載していない発明について特許請求の範囲に記載することになれば、公開されていない発明について独占的、排他的な権利を請求することになって妥当でないため、これを防止することにあるものと解される。
そうすると、特許請求の範囲の記載が同号所定の要件(サポート要件)に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであると解するのが相当である。
(3)そこで、本件発明に係る特許請求の範囲の記載について見ると、本件発明の請求項1は、①「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」、②PCSK9との結合に関して、「配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と、配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体」(21B12抗体)(参照抗体)と「競合する」、③「単離されたモノクローナル抗体」との発明特定事項を有するものであり、①と②の発明特定事項は、③のモノクローナル抗体の性質を決定するものと解される。
ア ①の「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」との発明特定事項における「中和」の技術的意義を解釈するために本件明細書の記載をみると、「『中和抗原結合タンパク質』又は『中和抗体』という用語は、リガンドに結合し、そのリガンドの生物学的効果を妨げ、又は低下させる、それぞれ、抗原結合タンパク質又は抗体を表す。これは、例えば、リガンド上の結合部位を直接封鎖することによって、又はリガンドに結合し、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー的変化など)を通じて、リガンドの結合能を変化させることによって行うことができる。」(【0138】)、「本明細書中に提供されている抗原結合タンパク質は、PCSK9とLDLR間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することができる。このような抗原結合タンパク質は、『中和』と表される。・・・中和ABPは、PCSK9がLDLRに結合するのを妨げる位置 及び/又は様式で、PCSK9に結合する。このようなABPは、『競合的に中和する』ABPと特に記載することができる。」(【0155】)との記載がある。これらの記載からすると、本件発明における「中和」とは、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することであり、PCSK9とLDLRタンパク質結合部位を直接封鎖するものに限らず、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー変化等)を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる態様を含むものである。
イ 次に、②の「PCSK9との結合に関して、参照抗体と『競合する』」との発明特定事項の技術的意義を解釈するために本件明細書の記載を見ると、本件明細書には、「競合アッセイによって同定される抗原結合タンパク質(競合抗原結合タンパク質)には、基準抗原結合タンパク質と同じエピトープに結合する抗原結合タンパク質及び立体的妨害が生じるのに、基準抗原結合タンパク質によって結合されるエピトープに十分に近接した隣接エピトープに結合する抗原結合タンパク質が含まれる。・・・」(【0140】)、「競合する抗原結合タンパク質 ・・・PCSK9への特異的結合に関して、本明細書中に記載されているエピトープに結合する例示された抗体又は機能的断片の1つと競合する抗原結合タンパク質が提供される。このような抗原結合タンパク質は、本明細書中に例示されている抗原結合タンパク質の1つと同じエピトープ又は重複するエピトープにも結合し得る」(【0269】)、「同じエピトープに対して競合する抗原タンパク質(例えば・・・中和抗体)という文脈において使用される場合の「競合する」という用語は、検査されている抗原結合タンパク質(例えば、抗体又は免疫学的に機能的なその断片)が共通の抗原(例えば、PCSK9又はその断片)への参照抗原結合タンパク質(例えば、リガンド又は参照抗体)の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)アッセイによって測定された抗原結合タンパク質間の競合を意味する。」(【0140】)との記載がある。これらの記載からすると、本件発明における参照抗体と「競合する」とは、参照抗体がPCSK9と結合する部位と同一の又は重複するPCSK9上の部位に結合して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことや、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害して、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことをも意味するものと解され、抗体がPCSK9への参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ことがアッセイにより測定されれば抗体間の「競合」と評価されるものであり、本件発明では「競合」の程度は特定されていない。
そうすると、参照抗体と競合する、本件発明のモノクローナル抗体は、様々な程度で、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)ものであって、必ずしも参照抗体がPCSK9と結合する同一のPCSK9上の部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体に限らず、参照抗体がPCSK9と結合するPCSK9上の部位と重複する部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体や、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様でPCSK9に結合し、参照抗体のPCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害(例えば、低下させる)する特性を有するモノクローナル抗体を含むものであると認められる。
(4)ア 次に、本件明細書の記載について更に具体的に検討すると、本件明細書には、前記1(1)アに加えて、以下のとおりの記載がある。
(ア)PCSK9に対する抗体を作製するためにXenoMouse(R)マウスの2つのグループを使用し、表3の免疫化プログラムのスケジュールに従って免疫化マウスを作製し、PCSK9に対して特異的な抗体 を産生するマウス(10匹)を選択し、脾臓及びリンパ節から脾細胞及びリンパ球を単離した(実施例1。【0312】ないし【0314】、【0320】、【0321】)。
(イ)(ア)で選択したマウスのリンパ系組織からB細胞を解離させ、非分泌性骨髄腫P3X63Ag8.653細胞と混合し、融合された細胞を遠心沈降させる等の手順を経て、PCSK9に対する抗原結合タンパク質を産生するハイブリドーマを作製した(実施例2。【0322】ないし【0324】)。 ニュートラビジンで被覆したプレートに結合させたV5タグを持たないビオチン化されたPCSK9を捕捉試料とするELISAによる一次スクリーニングを行い、これによって合計3104の抗原(野生型PCSK9)特異的ハイブリドーマを得た(実施例3。【0325】ないし【0328】)。
・・・
イ(ア)前記アで摘記した本件明細書の開示事項によれば、①PCSK9に特異的な抗体を産生する3104のハイブリドーマを得て、このハイブリドーマが産生する抗体についてPCSK9とLDLRタンパク質の結合相互作用に関するアッセイ(スクリーニング)を行い、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和する活性を有する抗体を同定したこと、②同定されたハイブリドーマから21B12抗体を作製し、当該抗体は、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を強く遮断する中和抗体であること、③結晶構造で21B12抗体のPCSK9上の結合領域を特定し、21B12抗体がLDLRのEGFaドメインの位置と部分的に重複し、PCSK9へのその結合を立体的に妨害するメカニズムを解明したこと、④EGFaドメイン結合に関与し、かつ、抗原結合タンパク質(21B12抗体又は31H4抗体)が結合する領域に近いPCSK9上の位置に存在するアミノ酸残基は、LDLRタンパク質へのPCSK9の結合を操作するのに有用であり得ること、⑤実施例で結合中和性が高いことが確認された抗体についてエピトープビニングを行い、21B12抗体と競合するグループの抗体をグループ分けしたことが開示されている。
こうした開示事項によれば、当業者は、PCSK9とLDLRタンパク質の結合中和性が高い抗体のうち21B12抗体(参照抗体)と競合する抗体が選別されることや、21B12抗体が、結晶構造上、LDLRのEGFaドメインの位置と部分的に重複し、PCSK9へのその結合を立体的に妨害するものであることについては理解できるといえる。
(イ)次に、本件明細書の表37.1は、図23AないしDのデータに基づきグルーピングされた表である(表8.3に記載のクローンを一部含むことが認められるが、表8.3のグルーピングの元となるデータの記載は、本件明細書の発明の詳細な説明及び図面にはない。表8.3でNDとされた27B2に関連して、表37.1には27B2.6がビン1に、27B2.1及び27B2.5がビン2に含まれること、表8.3でビン1に含まれるとされた30A4に関して、表37.1には30A4.1がビン5に含まれること等、両者の関係には不明な点が散見される。)。21B12抗体と競合するとされる表37.1のビン1に含まれる21B12抗体以外の18の抗体、ビン1と競合することからみて21B12抗体と競合する抗体を含むと言い得るビン2の3つの抗体には、以下の事項が確認される。
すなわち、17C2.1、23G1.1、26E10.1、19H9.2、26H5.1、27E7.1、27H5.1、30B9.1の各抗体は、それぞれ表2に記載の配列番号に対応するアミノ酸配列を有するものと認められるところ、26E10.1の抗体のアミノ酸配列は、21B12抗体のアミノ酸配列と同一であり、それ以外の抗体のアミノ酸配列は、21B12抗体のアミノ酸配列と、CDR領域のアミノ酸配列を含め、同一性が高いものである。また、表2に記載の配列番号に対応するアミノ酸配列から、03B6.1の抗体に関しては、アミノ酸配列の同一性の高い他の抗体は確認できないものの、25G4.1と23B5.1の抗体同士、01A12.2と09C9.1と09H6.1の抗体同士も、アミノ酸配列の同一性が高いことが読み取れる。さらに、02B5.1の抗体のアミノ酸配列は不明であり、27B2.6、27B2.1及び27B2.5の抗体は非中和抗体であり(【0138】)、11H4.1、11H8.1及び12H11.1の抗体については、中和抗体であるとの記載はない。
これらの開示事項を踏まえると、本件明細書の発明の詳細な説明には、21B12抗体と競合するものであり、かつ、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和する抗体として、21B12抗体と同一性の高いアミノ酸配列を有する抗体群のほか、それ以外のアミノ酸配列を有する数グループの抗体が開示されていることが認められる。
(5)ア 以上を前提に検討すると、前記(2)において説示したとおり、サポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであると解するのが相当であるところ、前記1(1)において示したとおり、本件発明は、LDLRタンパク質の量を増加させることにより、対象中のLDLの量を低下させ、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、また、この効果により、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し、又は予防し、疾患のリスクを低減すること、そのために、LDLRタンパク質と結合することにより、対象中のLDLRタンパク質の量を減少させ、LDLの量を増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体又はこれを含む医薬組成物を提供することを課題とするものであり、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を強く遮断する中和抗体である参照抗体と競合する抗体は、PCSK9への参照抗体の結合を妨げ、又は阻害する単離されたモノクローナル抗体であることを明らかにするものであると理解される。
そして、前記(3)によれば、本件発明における「中和」とは、タンパク質結合部位を直接封鎖してPCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節する以外に、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー変化等)を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる態様を含むものであるが、前記1のとおり、参照抗体自体が、結晶構造上、LDLRのEGFaドメイン(PCSK9の触媒ドメインに結合するものであり、その領域内に存在するPCSK9残基のいずれかと相互作用し、又は遮断する抗体は、PCSK9とLDLRとの間の相互作用を阻害する抗体として有用であり得るとされるもの)の位置と部分的に重複する位置でPCSK9とLDLRタンパク質の結合を立体的に妨害し、その結合を強く遮断する中和抗体であると認められることを踏まえると、本件発明における「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する」との発明特定事項も、21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同様のメカニズムにより、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して(具体的には、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置でPCSK9に結合して)、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節することを明らかにする点に技術的意義があるものというべきであり、逆に言えば、参照抗体と競合する抗体は、このような位置で結合するからこそ、中和が可能になるということもできる。この点は、被告自身が、前記第3の3(2)ウにおいて、本件明細書の発明の詳細な説明によれば、当業者は、出願時の技術常識に照らし、参照抗体との競合によってPCSK9上の複数の結合面のうち特定の領域内の特定の位置(LDLRのEGFaドメインと結合する部位と重複する位置(又は同様の位置))に結合する抗体は、PCSK9とLRLRタンパク質の結合を中和することができると理解するものであり、発明の技術的範囲の全体にわたって発明の課題を解決できると認識することができたといえる旨主張していることからも裏付けられるところである。
また、前記1(2)において認定した甲1文献の開示事項によれば、家族性高コレステロール血症は、血漿中のLDLコレステロールレベルの上昇に起因するものであるところ、PCSK9は、細胞表面に存在するLDLRタンパク質の存在量を低下させるものであるため、PCSK9が治療のための魅力的な標的であり、血漿中のPCSK9に結合し、そのLDLRタンパク質との結合を阻害する抗体等が効果的な阻害剤となり得ることが既に示されていたものと認められるのであるから、このような観点から見ても、本件発明の技術的意義は、21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同様のメカニズムにより、上記のようなLDLRタンパク質との結合を阻害する抗体、すなわち結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点にあるということもできる。そもそも本件発明の課題は、前記1(1)イにおいて認定したとおり、LDLRタンパク質と結合することにより、対象中のLDLRタンパク質の量を減少させ、LDLの量を増加させるPCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体又はこれを含む医薬組成物を提供することであり、このような課題の解決との関係では、参照抗体と競合すること自体に独自の意味を見出すことはできないから、このような観点からも、上記のとおり、本件発明の技術的意義は、21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同様のメカニズムにより、結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点にあるというべきである。
イ さらに検討すると、前記(4)イ(イ)のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明には、エピトープビニングを行った結果、21B12抗体と同一性が高いとはいえないアミノ酸配列を有する数グループの抗体のみならず、21B12抗体と同一性が高いアミノ酸配列を有する抗体群が21B12抗体と競合するものとして同定されたことが開示されている。本件明細書には、上記競合する抗体として同定された抗体の中で中和活性を有すると記載される抗体がPCSK9上へ結合する位置についての具体的な記載はなされていないものの、21B12抗体と同一性の高いアミノ酸配列を有する抗体群については、21B12抗体と同様の位置でPCSK9に結合する蓋然性が高いといえるとしても、それ以外のアミノ酸配列を有する数グループの抗体については、エピトープビニングのようなアッセイで競合すると評価されたことをもって、抗体がPCSK9上に結合する位置が明らかになるといった技術常識は認められない以上、PCSK9上で結合する位置が明らかとはいえない。
また、本件発明の「PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する」との性質を有する抗体には、上記本件明細書の発明の詳細な説明に具体的に記載される数グループの抗体以外に非常に多種、多様な抗体が包含されることは自明であり、また、前記2(3)イのとおり、このような抗体には、被告が主張するように、21B12抗体がPCSK9と結合するPCSK9上の部位と重複する部位に結合し、参照抗体の特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体にとどまらず、参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害する態様でPCSK9に結合し、様々な程度で参照抗体のPCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)抗体をも包含するものである。そうすると、その中には、例えば、21B12抗体がPCSK9と結合する部位と異なり、かつ、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置とも異なる部位に結合し、21B12抗体に軽微な立体的障害をもたらして、21B12抗体のPCSK9への特異的結合を妨げ、又は阻害する(例えば、低下させる)もの等も含まれ得るところ、このような抗体がPCSK9に結合する部位は、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置ではないのであるから、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節するものとはいえない。
なお、本件明細書には「例示された抗原結合タンパク質と同じエピトープと競合し、又は結合する抗原結合タンパク質及び断片は、類似の機能的特性を示すと予想される。」(【0269】)との記載があるが、上記のとおり、「PCSK9との結合に関して21B12抗体と競合する」とは、21B12抗体と同じ位置でPCSK9と結合することを特定するものではないから、21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同じエピトープと競合し、又は結合する抗原結合タンパク質(抗体)であるとはいえず、このような抗体全般が21B12抗体と類似の機能的特性を示すことを裏付けるメカニズムにつき特段の説明が見当たらない以上、本件発明の「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する抗体」が21B12抗体と「類似の機能的特性を示す」ということはできない。
前述のとおり、本件発明の技術的意義は、21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和する抗体としての特性を有することを特定する点にあるというべきところ、前記のとおり、21B12抗体と競合する抗体であれば、LDLRのEGFaドメインと相互作用する部位(本件明細書の記載からは、EGFaドメインの5オングストローム以内に存在するPCSK9残基として定義されるLDLRのEGFaドメインとの相互作用界面の特異的コアPCSK9アミノ酸残基(コア残基)、EGFaドメインの5オングストロームから8オングストロームに存在するPCSK9残基として定義されるLDLRのEGFaドメインとの相互作用界面の境界PCSK9アミノ酸残基と理解され得る。)に結合してPCSK9とLDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖するとはいえず、他には、21B12抗体と競合する抗体であれば、どのようなものであっても、PCSK9とLDLRのEGFaドメイン(及び/又はLDLR一般)との間の相互作用(結合)を阻害する抗体となるメカニズムについての開示がない以上、当業者において、21B12抗体と競合する抗体が結合中和抗体であるとの理解に至ることは困難というほかない。
ウ 以上のとおり、「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する抗体」であれば、21B12抗体と同様に、LDLRタンパク質の結合部位を直接封鎖して(具体的には、結晶構造上、抗体がLDLRのEGFaドメインの位置と重複する位置でPCSK9に結合して)、PCSK9とLDLRタンパク質の間の相互作用を妨害し、遮断し、低下させ、又は調節するものであるとはいえないから、「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する抗体」であれば、結合中和抗体としての機能的特性を有すると認めることもできない。なお、前記(3)アのとおり、本件発明における「中和」とは、PCSK9とLDLRタンパク質結合部位を直接封鎖するものに限らず、間接的な手段(リガンド中の構造的又はエネルギー変化等)を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる態様を含むものではあるが、「PCSK9との結合に関して、21B12抗体と競合する抗体」であれば、上記間接的な手段を通じてLDLRタンパク質に対するPCSK9の結合能を変化させる抗体となることが、本件出願時の技術常識であったとはいえないし、本件明細書の発明の詳細な説明に開示されていたということもできない。
エ こうした点は、前記1(3)においてその信頼性を認定した【A】博士の実証実験の結果及び同実証実験を踏まえた【B】博士の供述書(1)からも裏付けられる。すなわち、この実証実験は、リジェネロンの63の抗体について参照抗体との競合及び結合中和性を実験したものであるが、競合に関して50%の閾値を用いた結果、13の抗体が参照抗体と競合するが、うち10の抗体(約80%)は結合中和性を有しないことが確認されており(別紙3の資料B1及び前記1(3)ア(イ)b)、参照抗体と競合する抗体であれば結合中和性を有するものとはいえないことが具体的な実験結果として示されている。さらに、この実験結果に加え、「本件特許によれば、21B12抗体の結合部位はhPCSK9上のLDLRの結合部位と部分的にしか重複しないから・・別の抗体の結合部位は、LDLRの結合部位と重複することなく21B12結合部位と重複し得るのであり、このようにして、別の抗体は、hPCSK9-LDLRの結合部位と重複することなく21B12結合部位と重複し得」る(前記1(3)ア(イ)b)として、【B】博士が、「21B12抗体と競合する抗体がLDLRに対する結合を中和」するだろうと言うのは、科学的に誤りである旨の意見を述べているところである(前記1(3)ア(イ)c)。
オ 被告は、前記第3の3(2)ウにおいて、21B12抗体(参照抗体)と競合するが、PCSK9とLDLRタンパク質との結合を中和できない抗体が仮に存在したとしても、そのような抗体は、本件発明1の技術的範囲から文言上除外されているなどとして、本件発明がサポート要件に反する理由とはならない旨主張する。しかし、既に説示したとおり、21B12抗体と競合する抗体であれば、21B12抗体と同様のメカニズムにより、PCSK9とLDLRタンパク質との結合中和抗体としての機能的特性を有することを特定した点に本件発明の技術的意義があるというべきであって、21B12抗体と競合する抗体に結合中和性がないものが含まれるとすると、その技術的意義の前提が崩れることは明らかである(本件のような事例において、結合中和性のないものを文言上除けば足りると解すれば、抗体がPCSK9と結合する位置について、例えば、PCSK9の大部分などといった極めて広範な指定を行うことも許されることになり、特許請求の範囲を正当な根拠なく広範なものとすることを認めることになるから、相当でない。)。なお、被告が主張するように、本件発明1の特許請求の範囲は、PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する抗体のうち、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」る抗体のみを対象としたものであると解したとしても、前示のとおり、本件発明のPCSK9との競合に関して、参照抗体と競合するとの発明特定事項は、被告が主張するような、参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体にとどまるものではなく、PCSK9とLDLRタンパク質の結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体をも含むものであるから、このような抗体についても結合中和抗体であることがサポートされる必要があるところ、参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体の場合とは異なり、PCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合を中和するメカニズムについては本件明細書には何らの記載はなく、また、ビニングによる実験結果(前記(4)イ(イ))に基づく結合中和抗体は、いずれも結合中和に係るメカニズムが開示されている、参照抗体が結合する位置と同一又は重複する位置に結合する抗体である可能性が高く、その点を措くとしても、少なくともこれらが立体的に妨害する抗体であることを示唆する記載はない。そうすると、本件明細書の発明の詳細な説明には、参照抗体と競合する抗体のうちPCSK9とLDLRタンパク質との結合に立体的妨害が生じる位置に結合する様式で競合する抗体が結合中和活性を有することについて何らの開示がないというほかなく、この点からも、本件発明はサポート要件を満たさない。
また、前記第2の3(1)のとおり、本件審決は、本件明細書には、本件明細書記載の免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製及び選択、選択された免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製、本件明細書記載のPCSK9とLDLRとの結合相互作用を強く遮断する抗体を同定するためのスクリーニング及びエピトープビニングアッセイを最初から繰り返し行うことによって、十分に高い確率で本件発明の抗体をいくつも繰り返し同定することが具体的に示される旨判断するが、【F】教授(【F】教授という。)の第2鑑定書(甲230)に「特定のマウスが特定の抗体を生成するかどうかは運に支配されるため、候補となり得る抗体を全て生成しスクリーニングすることは不可能である」と記載されているように、本件明細書に記載された抗体の作製過程を経たとしても、免疫化されたマウスの中でPCSK9上のどのような位置に結合する抗体が得られるかは「運に支配される」ものであって、抗体の抗原タンパク質への結合を立体的に妨害する態様で抗原タンパク質に結合する抗体を製造する方法が本件出願時における技術常識であったともいえないことからすると、本件明細書に記載された抗体の作製方法に関する記載をもって、本件発明に含まれる多様な抗体が本件明細書の発明の詳細な説明に記載されていたとはいえない。
カ そして、本件発明1のモノクローナル抗体を含む医薬組成物に係る発明である本件発明9も、上記同様の理由から、サポート要件を満たすものではない。
(6)以上によれば、本件発明1及び9は、いずれもサポート要件に適合するものと認められないから、これと異なる本件審決の判断は誤りである(なお、原告の主張のうち前記第3の3(1)イ(ウ)の「EGFaミミック抗体」に係る点は首肯するに値するものを含み、サポート要件が満たされているとする被告の主張に疑義を生じさせるものと考えるが、この点に関する判断をするまでもなく、上記のとおり、本件発明1及び9は、いずれもサポート要件に適合するものとは認められないから、更なる判断を加えることは差し控えることとする。)。
(7)以下、念のために付言する。
ア 本件発明を巡る国際的状況について、原告は、欧州では、異議申立抗告審において、令和2年に、本件発明と実質的に同じ対応欧州特許について、進歩性欠如により無効であると判断されており、また、米国では、合衆国連邦巡回区控訴裁判所において、令和3年2月11日に、本件発明より限定された対応米国特許につき、実施可能要件違反により無効であると判断されており、現在、我が国は、本件特許の有効性が裁判所により維持されている世界で唯一の国である旨主張し、他方、被告は、上記連邦巡回区控訴裁判所の判断につき、連邦最高裁判所は、令和4年11月4日に、裁量上告受理申立てを認めたので、上記判断が覆される可能性が極めて高い旨主張するが、もとより、他国における判断が本件判断に直ちに影響を与えるものではないことは明らかである(なお、米国については、仮に、連邦 巡回区控訴裁判所の無効判断が覆されたとしても、対応米国特許は、参照抗体との「競合」を発明特定事項とするものではないと認められるから(例えば、米国特許8829165特許の請求項1は、「PCSK9に結合するとき、次の残基:配列番号3のS153、I154、P155、R194、D238、A239、I369、S372、D374、C375、T377、C378、F379、V380、又はS381の少なくとも1つに結合し、PCSK9がLDLRに結合するのを阻害する、単離されたモノクローナル抗体」との発明特定事項である(甲19)。)、いずれにしても本件発明に係る判断に直接関係しない。)。
イ 本件発明に係る別件審決取消訴訟においては、前記第2の1(2)のとおり、サノフィによるサポート要件違反に関する主張は退けられている。しかし、これは、当時の主張や立証の状況に鑑み、21B12抗体と競合する抗体は、21B12抗体とほぼ同一のPCSK9上の位置に結合し21B12抗体と同様の機能を有するものであることを当然の前提としたことによるものと理解することも可能である。これに対し、本訴においては、【A】博士や【B】博士の各供述書、【F】教授の鑑定書等(甲18、230)による構造解析、「EGFaミミック抗体」に係る関係書証(甲4の1及び2)等の新証拠に基づく新主張により、上記前提に疑義が生じたにもかかわらず、この前提を支える判断材料が見当たらないのであるから、別件判決の結論と本件判断が異なることには相応の理由があるというべきである。
3 結論
以上によれば、原告主張の取消事由2は理由があるから、その余の取消事由について判断するまでもなく、本件審決は取り消されるべきである。
よって、主文のとおり判決する。
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