アルカリ性化ニコチン製剤の口腔投与の進歩性/動機付けなし阻害要因あり/平成24年(行ケ)第10205号審決取消請求事件


平成25228日判決言渡

原告: マクニール・アクチェボラーグ

被告: 特許庁長官

特許出願:  特願2003-556064

請求項1: ニコチン遊離塩基を含む液体医薬製剤であって,スプレーにより口腔に投与するためのものであり,そして緩衝および/またはpH調節によってアルカリ性化されていることを特徴とする液体医薬製剤。

コメント: 引例を組合わせる動機付けなし、阻害要因あり、よって進歩性ありと判断された例。 拒絶審決取消。 ☆

本願と引例1-3は、ニコチンを含有する薬剤に関する。

本願は、「スプレーで口腔に投与」と「アルカリ性化」に特徴がある。

引例1は、「エアゾール又はスプレーで、使用者の好みに応じて口腔粘膜のみならず鼻腔粘膜に投与」することに特徴がある。

引用例2及び3には、「口腔粘膜からのニコチン吸収がアルカリ環境で促進されること」が記載されている。

 

裁判所の判断は以下の通り。 

 

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裁判所:

(上記()及び()によれば,引用例2及び3には,口腔粘膜からのニコチン吸収がアルカリ環境で促進されることが開示されているということができる。

しかしながら,引用発明1は,使用者の好みに応じて,口腔粘膜のみならず鼻腔粘膜や気道などからもニコチンが吸入されることを念頭においた薬剤であるから,口腔粘膜からの吸収を特に促進する必要性を認めることはできないし,引用例1には,口腔粘膜からの吸収を特に促進させる点に関する記載や示唆も存在しない

したがって,引用発明1に,引用発明2及び3を組み合わせることについて,動機付けを認めることはできない。」

 

(以上によると,本願優先日当時,鼻腔や肺に投与されるニコチン溶液は通常pH5ないし6程度の酸性であって,ニコチンが遊離塩基になりやすいアルカリ性では,生理的に悪影響があることが周知であったということができる。

したがって,引用発明1の薬剤をアルカリ性化することには,阻害事由が認められる。」

 

「しかしながら,引用例2は,ニコチン薬用ドロップ,錠剤,カプセル,ガム等を使用することにより,ニコチンを経粘膜投与する発明に係る文献であるから,引用発明2のニコチン摂取の方法は,本願発明及び引用発明1の吸入方法とは大きく異なるものである。前記のとおり,アルカリ性化されたニコチンが与える生理的悪影響は,苦くて舌を焼くような味,粘液膜上での刺激性の感覚,ひりひりする刺激をもたらすものであるから,ドロップ等により服用する際における味付け程度で解消するものということはできない。

また,引用例3に,スプレーによるニコチン投与の問題点が具体的に記載されていないとしても,前記のとおり,アルカリ性化したニコチンの問題点が周知であった以上,阻害事由を認めることができることは明らかである。」
「(3)  小括
よって,本願発明は,引用発明1に,引用発明2及び3を組み合わせることにより,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。」

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裁判所は「口腔粘膜からの吸収を特に促進する必要性を認めることはできない」といっているが、この点は結構微妙な気がする。 なお、一致点・相違点の認定についても判断している。


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裁判所:

(2)  本件審決の一致点及び相違点の認定の当否
  「口腔に投与するためのもの」を含めて一致点を認定した点について
(
前記1(3)及び(4)によれば,本願発明の「口腔に投与するためのもの」とは,口腔粘膜を経由するニコチンの取り込みを意図しているものと解される。
他方,前記(1)()及び()によれば,引用発明1は,吸入の仕方に応じて,口腔粘膜,鼻腔粘膜,肺気道上皮等からのニコチン摂取を前提とするものである。引用例1には,これらの吸入によるニコチン摂取の態様について,それぞれ独立した技術的事項として記載されているから,口腔粘膜を経由したニコチン摂取は引用発明1の用途の1つとして引用例1に開示されているものということができる。
(
本願発明の「口腔に投与するためのもの」,すなわち,口腔粘膜を経由したニコチン摂取という用途は,引用発明1の用途の1つと重複する以上,本願発明と引用発明1との一致点として上記用途を認定したことが誤りであるということはできない。
(
この点について,原告は,引用発明1の薬剤は,スプレーにより口腔や鼻腔に導入されるものではあるが,本質的には,口腔粘膜のみならず鼻腔粘膜や肺に投与することを意図したものであって,本願発明における「口腔に投与するためのもの」とは,その技術的意義が異なるものであると主張する。
しかしながら,一致点の認定は,本願発明との対比において行われるものである以上,引用発明1に本願発明が想定しない「口腔に投与するためのもの」以外のニコチン摂取態様が含まれるからといって,本願発明と引用発明1とに共通する「口腔に投与するためのもの」という用途について一致点として認定することが妨げられるものではない。
したがって,原告の上記主張は採用できない。」

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平成25年2月28日判決言渡同日原本領収裁判所書記官

平成24年(行ケ)第10205号審決取消請求事件

口頭弁論終結日平成25年2月14日

判決

原告マクニール・アクチェボラーグ

同訴訟代理人弁理士結田純次

竹林則幸

森田ひとみ

被告特許庁長官

同指定代理人荒木英則

内田淳子

瀬良聡機

守屋友宏

 

◆主文
  特許庁が不服2009-7293号事件について平成24年1月23日にした審決を取り消す。
  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由
◆第1  請求
主文1項と同旨
◆第2  事案の概要
本件は,原告が,後記1のとおりの手続において,特許請求の範囲の記載を後記2とする本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は後記3のとおり)には,後記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。

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    特許庁における手続の経緯
(1) 
原告は,平成14年12月18日,発明の名称を「口腔内投与のためのニコチンを含む液体医薬製剤」とする特許出願(特願2003-556064号。パリ条約による優先権主張:平成13年(2001年)12月27日,スウェーデン王国。請求項の数53)をした(甲5)。
特許庁は,平成20年12月19日付けで拒絶査定をしたため,原告は,平成21年4月6日,これに対する不服の審判を請求した, 
(2) 
特許庁は,これを不服2009-7293号事件として審理し,平成24年1月23日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との本件審決をし,その謄本は,同年2月13日,原告に送達された。
▼2  特許請求の範囲の記載
本件審決が判断の対象とした特許請求の範囲の請求項1の記載(平成22年6月8日付け手続補正書(甲7)による補正後のもの)は,次のとおりである。以下,請求項1に記載された発明を「本願発明」といい,本願発明に係る明細書(甲5,7)を,図面を含めて「本願明細書」という。
ニコチン遊離塩基を含む液体医薬製剤であって,スプレーにより口腔に投与するためのものであり,そして緩衝および/またはpH調節によってアルカリ性化されていることを特徴とする液体医薬製剤

▼3  本件審決の理由の要旨
(1) 
本件審決の理由は,要するに,本願発明は,後記引用例1ないし3に記載された発明(以下,それぞれ「引用発明1」「引用発明2」「引用発明3」という。)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることができない,というものである。
  引用例1:西ドイツ特許出願公開第3241437号明細書(甲1。昭和59年(1984年)5月10日発行)
  引用例2:米国特許第5721257号明細書(甲2。昭和63年(198
3
8年)2月24日発行)
  引用例3:特表平2-501304号公報(甲3)
(2) 
本件審決が認定した引用発明1並びに本願発明と引用発明1との一致点及び相違点は,次のとおりである。
  引用発明1:ニコチンを緩衝液中に含有することを特徴とする,純ニコチンを含有するスプレーであることを特徴とする,薬剤
  一致点:ニコチンを含む液体医薬製剤であって,スプレーにより口腔に投与するためのものであり,そして緩衝されていることを特徴とする液体医薬製剤
  相違点1:本願発明では緩衝によりアルカリ性化されているのに対し,引用発明1では単に緩衝されることが明らかにされるのみである点
  相違点2:本願発明ではニコチンがニコチン遊離塩基であるとされるのに対し,引用発明1では単にニコチンとされるのみである点
▼4  取消事由
本願発明の容易想到性に係る判断の誤り
(1) 
一致点及び相違点の認定の誤り
(2) 
相違点に係る判断の誤り
◆第3  当事者の主張
〔原告の主張〕
▼1  一致点及び相違点の認定の誤りについて
(1) 
一致点の認定の誤りについて
  本願明細書の記載,特に,「口腔への投与は,スプレー,滴下またはピペット滴下により,好ましくはスプレーにより,最も好ましくは舌下へのスプレーにより行われる。投与は,例えば肺または上気道に対するのではなく,口腔に対することを意図している。」(【0084】)との記載からすると,本願発明における「口腔に投与するためのもの」とは,口腔粘膜を経由するニコチンの取り込みを意図したものである。

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    他方,引用発明1における薬剤のスプレーは,たばこの煙と同様に喫煙の際の摂取様式(口腔喫煙,肺喫煙,鼻腔を経由して肺に取り込む方法)のいずれの方法でも使用可能で,口腔喫煙の場合,口腔内にニコチンエアロゾルないしニコチンスプレー導入後,肺には吸い込まずに「口腔内に滞留させる」という意識的な動作が必要となる。引用発明1の薬剤は,使用者にとって,たばこと同様の喫煙物と認識され,使用者はニコチン濃度の異なる各種の薬剤から好みの濃度を選択することが可能であるが,好みの摂取方法に応じた液体製剤が調製されているものではない。
したがって,引用発明1の薬剤は,スプレーにより口腔や鼻腔に導入されるものではあるが,本質的には,口腔粘膜のみならず鼻腔粘膜や肺に投与することを意図したものであって,本願発明における「口腔に投与するためのもの」とは,その技術的意義が異なるものである。
  口腔内に導入する粒子の大きさは,粒子をどの範囲まで到達させたいかに応じて選択されることは,周知技術である。通常,粒子が肺に到達するためには少なくとも10μmより小さい粒子とする必要があるから,引用発明1では,当然に粒子が10μm以下の状態で口腔内にスプレーされ,使用者が意識的に口腔に滞留させるという動作をしない限り呼吸とともに肺に到達してしまう。しかし,肺への到達を全く意図しない本願発明では,スプレー粒子は10μm以上の大きさであることが必要とされ,スプレー自体も舌下や頬側に向けられることになる。
本願発明と引用発明1の「スプレー」の態様は大きく異なるものであり,引用発明1の本質は,完全な喫煙の場合の形態に対応する形態でニコチンを投与する点にあるから,引用発明1の薬剤で口腔喫煙を行うに当たり,スプレー粒子の大きさを変えたり,舌下や頬側にむけてスプレーするという態様は想定できない。
  したがって,本願発明と引用発明1との一致点について,「口腔に投与するためのもの」を含めて認定した本件審決は誤りである。
(2) 
相違点の認定の誤りについて
前記(1)のとおり,引用発明1の薬剤は,スプレーにより口腔や鼻腔に導入される
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ものではあるが,本願発明における「口腔に投与するためのもの」とは,その技術的意義が異なるから,この点についても相違点として認定しなかった本件審決は誤りである。
▼2  相違点に係る判断の誤りについて
(1) 
相違点1に係る判断の誤りについて
  引用発明1において緩衝ニコチン溶液を用いるのは,ニコチン吸収への緩衝剤の影響を考慮したからではなく,単にニコチンを液体状にすることで正確な投与量を容易に把握するためである。引用発明1は,錠剤やガムの形態での口腔粘膜における吸収の遅さを解消し,効果が高く,有害な副作用がなく,吸収性が良好な禁煙用薬剤を提供するという課題について,薬剤をエアロゾル又はスプレーにすることにより解決するもので,吸入の深さを使用者自身で調節することが可能である。
引用例1からは,そもそもスプレーによる口腔粘膜での吸収に係る課題は見いだせないし,禁煙状態にあり,早くニコチン摂取による満足感を得たいと考える使用者は,薬剤の摂取方法を口腔喫煙から肺喫煙に直ちに切り換えて吸収度を上げることが可能である。
したがって,当業者は,引用発明1の薬剤に対し,口腔粘膜における迅速なニコチン吸収の達成という課題を認識することはなく,当然にそれを改善しようと動機付けられることもない。
  引用発明1の薬剤のスプレーをどのような方法で摂取するかは,使用者の好みに左右されるから,スプレーが鼻腔粘膜,肺の呼吸上皮,口腔粘膜の全部位に到達することを前提として緩衝化の条件が設定されることが必要な薬剤であるということができる。
しかしながら,従来の肺や鼻腔に投与するニコチン含有液体のpHとしては酸性条件が採用されており,中性ないしアルカリ側ではニコチンは遊離塩基の形をとり,生理的に悪い影響を与えることが知られていたから,引用発明1の緩衝ニコチン溶液をアルカリ性化することには強い阻害要因が存在するというべきである。
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また,引用例3は,口内で歯の力で開裂させるカプセル剤の発明に関する文献であることから,スプレー投与よりもカプセルの剤形を推奨したものであり,引用発明1のスプレー投与の利用自体を阻害するものというべきである。
  引用例2において,口腔粘膜を通じた送達に好ましい剤形として挙げられているのは,薬用ドロップ,錠剤,カプセル及びガムであって,スプレー形態については全く記載されていない。スプレー(エアゾールと同義)については,細気管支や鼻の通路に吸入させる送達手段として記載されているだけである。引用例2の記載によれば,ニコチンの遊離塩基には,揮発性,苦くて舌を焼くような味,粘液膜上での刺激性の感覚等の問題があるとされているから,ニコチンの遊離塩基を経口投与に用いることは驚くべきことであって,通常はニコチンの遊離塩基の不都合な性質を塩の形態にして緩和する必要があることが容易に理解されるものである。
そうすると,口腔粘膜を通じたニコチンの送達がアルカリ環境で促進されるとしても,スプレー剤に適用可能であるということはできない。
  したがって,肺への吸入で高いニコチン吸収を達成できるとされる引用発明1の薬剤について,殊更に吸収率の低い口腔内への投与の態様に注目し,口腔内でのニコチン吸収を促進するため,薬剤のpHをアルカリ性化することは,引用例2及び3の記載から当業者が容易に想到することはできないというべきである。
以上によると,本件審決の相違点1に係る判断は誤りである。
(2) 
相違点2に係る判断の誤りについて
本件審決は,ニコチンを含有する液体医薬製剤が緩衝化されアルカリ性化されれば,当然にニコチン塩基が増加することから,当業者が相違点1に係る構成について容易に想到し得たのであれば,相違点2に係る構成も必然的に容易に想到し得たものであるとする。
しかしながら,前記(1)のとおり,当業者が相違点1に係る構成を容易に想到し得たものとはいえない以上,本件審決の判断はその前提を欠くものである。
したがって,本件審決の相違点2に係る判断は誤りである。

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  (3)  本願発明の効果について
アルカリ性化したニコチン遊離塩基の溶液をスプレーによって口腔内投与することにより,ドロップや錠剤における溶解という律速段階,カプセルにおける咀嚼やカプセルの吐き出しや飲み込みの煩雑さを解消し,吸収を早めるという本願発明の効果は,引用例1ないし3のいずれにも記載や示唆はないし,そもそも専ら口腔内粘膜への投与を目的としてニコチンの緩衝溶液をスプレー状にして使用すること自体,本願発明が初めて実現したものである。
したがって,本願発明の効果が引用例2及び3の記載から予測可能であるとした本件審決の判断は誤りである。
(4) 
小括
以上のとおりであるから,本願発明は,引用発明1に,引用発明2及び3を組み合わせることにより,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。
〔被告の主張〕
▼1  一致点及び相違点の認定の誤りについて
(1) 
一致点の認定の誤りについて
  引用例1には,口腔粘膜を経由してニコチンを摂取する様式及び同様式に用いられる器具が,鼻腔粘膜を経由して行う場合や肺の呼吸上皮を経由する場合とは区別して,具体的に記載されている。各々の様式において用いられる薬剤についても,各々の様式に適したものを指すことは自明であるところ,引用例1にはその詳細を限定する記載はないから,例えば口腔粘膜を経由する場合と肺の呼吸上皮を経由する場合に用いられる薬剤とにおいて,緩衝液のpHが異なることに支障はない。
また,引用発明1の薬剤は,禁煙の意思がある喫煙者の禁煙段階に応じて,ニコチンが適切な投与量となることが要求されるから,投与の形態に対応して組成を決定することはむしろ当然であり,1つの薬剤を口腔粘膜のみならず鼻腔粘膜や肺に投与できるような組成とすべき必然性はない。

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したがって,引用発明1の薬剤は,本願発明と同様に,「口腔に投与するためのもの」であるということができる。
  口腔内に導入する粒子の大きさが必要に応じて適宜選択されることは周知技術であるから,口腔粘膜を経由してニコチン摂取を行う場合のスプレーに適した粒子の大きさは,他の場合と異なるものとなることは自明である。
また,本願発明も引用発明1の薬剤も,口腔の代表的な部位である舌下や頬側に向けられるから,スプレーする向きについて,両者に相違はない。
  したがって,本件審決の一致点の認定に誤りはない。
(2) 
相違点の認定の誤りについて
本件審決の一致点の認定に誤りはない以上,相違点の認定についても,誤りがないことは明らかである。
▼2  相違点に係る判断の誤りについて
(1) 
相違点1に係る判断の誤りについて
  引用発明1の薬剤は,ニコチン吸収が遅いという従来の禁煙剤からみて,良好な吸収性を示すものを得ることを目的とするところ,一般的に,禁煙のための迅速なニコチン吸収を達成させようという課題が存在していたから,引用例1において,緩衝ニコチン溶液が使用される目的として,ニコチンを液体状にすることで正確な投与量の把握を容易にすることに加え,少なくとも,完全に喫煙の場合の形態に対応する形態で投与するという目的及び迅速なニコチン吸収を達成させるという目的が存在していたということができる。
また,引用例1には,引用発明1の薬剤を用いて口腔粘膜からのニコチン投与を迅速に行うことができない旨が記載されているわけではなく,喫煙時のニコチン摂取の態様である口腔喫煙と同様の方法を行い得ることが記載されているから,喫煙を口腔喫煙により行う使用者が,わざわざ肺喫煙に切り替えて吸収度を上げようとするとは考え難い。
  前記のとおり,引用例1には,口腔粘膜を経由してニコチンを摂取する様式

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及び同様式に用いられる器具が,鼻腔粘膜を経由して行う場合や肺の呼吸上皮を経由する場合とは区別して,具体的に記載されているところ,その際に用いられる薬剤についても,各々の様式に適したものを指すことは自明であるから,引用発明1の薬剤において,鼻腔粘膜,肺の呼吸上皮,口腔粘膜の全部位に到達することを前提として緩衝化の条件が設定されることは必要ではない。
また,引用例2には,口腔粘膜を通じた吸収における経口投与において,pHが7を超えて11までの範囲でのアルカリ性緩衝化処方によるニコチン薬剤が用いられること及びそのような薬剤にニコチンの味を隠すための味付けが可能であることが記載されているから,引用例2は,引用発明1の薬剤をアルカリ性化することの阻害事由を根拠付けるものではない。
さらに,引用例3には,スプレーによるニコチン投与について,いかなる点があまり快適ではないのかに関する具体的な記載はないから,引用例3に,ニコチン摂取におけるスプレー投与の利用そのものを阻害する事由が記載されているということはできない。
  引用例2には,ニコチンの口腔粘膜を通じた吸収はニコチンが溶解された状態で行われること,溶液は緩衝化されていること,pH範囲は7から11までであることが記載されている。引用例2に好ましい剤形としてスプレーが挙げられていなくても,引用発明1の薬剤において,pHが11までの範囲でアルカリ性緩衝化されていれば,同様に口腔粘膜を通じた吸収が可能であるから,迅速なニコチン吸収を実現するという引用発明1の薬剤における課題が一層良好に解決可能である。
  したがって,本件審決の相違点1に係る判断に誤りはない。
(2) 
相違点2に係る判断の誤りについて
前記(1)のとおり,当業者が相違点1に係る構成を容易に想到し得たものということができる以上,相違点2に係る構成も,必然的に当業者が容易に想到し得たものということができる。
したがって,本件審決の相違点2に係る判断に誤りはない。

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  (3)  本願発明の効果について
当業者は,引用例2及び3の記載から,ニコチンが短時間で急激に吸収され,その血中量が増加すること,飲み込んだ場合にはその後に血中及び組織内のニコチンが付加的に徐々に増大することについて理解することができるから,本願明細書に記載された実験結果は,予想を超えるほどのものということはできない。
また,本願明細書には,喫煙衝動は,通常の喫煙又はたばこの使用後に得られる喫煙の満足感に類似する喫煙の満足感が得られる程度の,被験者へのニコチンの急速な送出により実現され,これと静脈血の血漿中で測定されるニコチンレベルが最高レベルとなる時点とが正の相関関係にある旨の記載があるところ,当該事項は引用例2及び3の記載から当業者が理解することができる事項にすぎない。
(4) 
小括
以上のとおりであるから,本願発明は,引用発明1に,引用発明2及び3を組み合わせることにより,当業者が容易に発明をすることができたものというべきである。
◆第4  当裁判所の判断
▼1  本願発明について
本願発明の特許請求の範囲は,前記第2の2に記載のとおりであるところ,本願明細書(甲5,7)には,おおむね次の記載がある。
(1) 
技術分野
本願発明は,被験者にニコチンを送出するための液体医薬製剤に関する発明である(【0001】)。
(2) 
背景技術
  ニコチンは有機化合物であり,たばこの主活性成分であるが,嗜癖性薬物でもあり,喫煙者は,しばらくの間は禁煙に成功するが,逆戻りするという強い傾向を特徴的に示す(【0003】)。
喫煙の主な問題は,健康に莫大な結果を有することである(【0004】)。

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ヘビースモーカーは,ニコチンに依存しているため,禁煙が困難であるといわれている。最も重要な危険因子は,たばこの燃焼中に形成される,例えば発癌性タール生成物,一酸化炭素,アルデヒド及びシアン化水素酸である(【0006】)。
  喫煙を減らす1つの方法は,喫煙以外の形又は手段でニコチンを与えることである。ニコチン含有製剤は,現在,たばこ依存症に対する支配的な処置剤である(【0010】)。禁煙を試みる人々のための補助として,複数の方法や手段がある。例えば,ニコチンチューインガムなどの市販ニコチン代用製品や,たばこ使用の欲求を減少させるため,ニコチン含有トローチ剤などによりニコチン又はその誘導体を被験者に投与する方法がある(【0012】)。
  ニコチン吸収に対するpHの効果については論じられているが,口腔に投与するための液体ニコチン製剤に対するpHの効果は,開示されていない(【0013】)。
  ニコチンを経皮投与するためのニコチン含有皮膚パッチやニコチン含有点鼻剤があるが,局所過敏状態や局所的な鼻の炎症を引き起こすなどの問題がある(【0014】【0015】)。また,ニコチン蒸気を取り込むためのシガレットに類似する吸入装置もある(【0016】)。
ニコチンを含む口内スプレーは,次第に低下するニコチン濃度を含む複数のエアゾールディスペンサーの使用により,喫煙者が喫煙習慣をやめるのを補助する方法などに用いられる(【0017】)。
ニコチンを口腔ではなくはエアゾールにより鼻粘膜に経粘膜投与する方法(【0020】),非極性溶剤を用いた頬側エアゾールスプレー(【0021】),頬側用の非極性スプレーがあるが,いずれの口内スプレーも,緩衝,及び/又はpH調節の手段を含んでいない(【0022】)。
  従来の手段及び方法は,有害作用なしに十分に急速なニコチンの取り込みを一般的には与えず,一定のたばこ使用者が経験する渇望を満足させない(【0023】)。なぜなら,従来の手段及び方法は,「①現在のニコチンガム及びパッチと
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は異なり,積極的な主観的ニコチン効果を与えるのに十分に急速な,ニコチンの速い送出又は上昇は,より速い渇望の軽減に導くであろうこと,及び②より速い渇望の軽減は,より良い渇望の制御を与えるであろうこと,及び③より良い渇望の制御は,より高い全体的禁煙率を生じるはずであること。」という研究結果を満足させるものではないからである(【0024】)。
本願発明は,ニコチンを渇望する人に速い満足を与えるため,又は喫煙することなく喫煙の満足感を与えるために,従来技術の課題を解決することを目的とする発明である(【0026】)。
(3) 
発明が解決しようとする課題
本願発明は,公知技術の欠点を考慮して,被験者の口腔内でニコチンを急速に経粘膜に取り込むことができるように被験者にニコチンを送出することについて,新規かつ改善された製品,システム及び方法を提供する(【0027】)。
(4) 
課題を解決するための手段
  本願発明の液体医薬製剤は,被験者の口腔内に投与し,任意形態のニコチンの急速な頬側取り込みによって全身循環系内に吸収させるものである(【0029】)。本願発明の液体医薬製剤は,ニコチンの経粘膜投与形態と比較して,被験者により直接に頬側吸収可能な形態で,融通がきく,便利な,かつ個別的な使用を提供する。鼻に送出する手段のような副作用もない(【0032】)。
本願発明の薬剤は,投与時に,口腔の液体のpHが0.3ないし4pH単位だけ上昇するように,好ましくは0.5ないし2.5pH単位だけ上昇するように,緩衝,及び/又はpH調節によってアルカリ性化される(【0033】)。
本願発明は,任意形態のニコチンを被験者に急速に送出し,喫煙又はたばこ使用の衝動を速やかに減少させたり,その状態を持続させたり,喫煙の満足感に類似する満足感を,喫煙を行うことなく与えたりすることができる(【0034】)。
  口腔から全身的循環系へのニコチン吸収は,唾液のpH及び約7.8であるニコチンのpKに依存する。唾液のpHを6.8と仮定すると,唾液中のニコチンの約
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10%だけが遊離塩基形態にあると推測されるから,粘膜を通して優先的に吸収される形態である遊離塩基形態のニコチン吸収を促進するため,唾液のpHを高める必要がある。pHが8.8であるならば,唾液中のニコチンの約90%が遊離塩基形態にあると推測される(【0045】)。そのため,本願発明の液体医薬製剤は,緩衝,及び/又はpH調節によってアルカリ性化される(【0046】)。
  ニコチンの経口投与に用いられる従来の医薬投与形態は,喫煙と比較して,通常,ニコチンの遅い送出及び遅い取り込みを与える。ニコチンの遅い取り込みは,静脈血の血漿中で測定されるニコチンレベルが最高レベルとなる時点(tmax)
を,単一容量の投与の約30ないし45分後に与える(【0067】)。投与後に満足感又は喫煙若しくはたばこ使用の衝動の減少に達する時点は,個別的であるが,従来の医薬においてtmaxと一致するとみなした場合,一般的に約30分後に達することができる。本願発明では,緩衝,及び/又はpH調節のため,律速段階(錠剤等の溶融,崩壊及び溶解並びにチューインガムの咀嚼やこれに続く薬物の溶解)が存在せず,ニコチンが口腔内で急速に経粘膜的に取り込まれることにより,このような満足感は,より短期間で達することができる(【0068】)。
本願発明における薬剤の口腔への投与は,スプレー,滴下又はピペット滴下により,好ましくはスプレーにより,最も好ましくは舌下へのスプレーにより行われ,肺又は上気道ではなく,口腔に対することを意図している(【0084】)。
▼2  一致点及び相違点の認定の誤りについて
(1) 
引用例1の記載について
引用例1(甲1)には,おおむね次の記載がある。
  引用発明1は,純粋なニコチンを含有するエアゾール又はスプレーであることを特徴とする,禁煙のための,及び/又は中毒喫煙者が副作用なくニコチンを摂取するための薬剤に関する。特定の実施形態は,薬剤がニコチンを様々な濃度で含有すること及びニコチンが緩衝溶液中に存在することを特徴とする。引用発明1の薬剤は,驚くほど高い有効性を有し,有害な副作用がなく,吸収性が良好で,簡単
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に投与できるという利点を有する。
  特許請求の範囲
(
請求項1:純粋なニコチンを含有するエアゾール又はスプレーであることを特徴とする,禁煙のための,及び/又は中毒喫煙者が副作用なくニコチンを摂取するための薬剤
(
請求項2:ニコチンを様々な濃度で含有することを特徴とする,請求項1に記載の薬剤
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ニコチンを緩衝溶液中に含有することを特徴とする,請求項1又は2に記載の薬剤
  明細書の記載
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従来使用されている禁煙剤には,ニコチン含有チューインガム等のニコチン代替品などが存在するが,いずれもニコチン自体ほど十分にニコチンの作用を達成できず,有効性が不十分で,粘膜による吸収性が悪いという欠点がある。引用発明1は,有効性が高く,有害な副作用がなく,吸収性が良好な禁煙剤を提供することを目的とする。これらの課題は,純粋なニコチンを含有するエアゾール又はスプレーとすることにより解決される。引用発明1の薬剤の特定の実施形態は,ニコチンを様々な濃度で含有すること及びニコチンを緩衝液中に含有することを特徴とする。
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喫煙時に摂取する有害物質の大部分は,たばこを燃やす時に初めて発生するため,喫煙者の「ニコチンに対する強い欲求」を,喫煙ではなく別の方法で満足させることに成功すれば,ニコチン摂取の健康障害は一挙に何分の一にも低減される。
喫煙については,ニコチン摂取のほかに,たばこを取り出す,煙を吐き出すなどの喫煙の際の習慣的行為も重要である。そのため,ニコチンを純粋な形態かつ正確な投与量で,完全に喫煙の場合の形態に対応する形態で投与するべく,ニコチンエアゾール又はニコチンスプレーとして投与する方法が採用された。この方法は,禁
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煙の意思がある喫煙者が喫煙の習慣的行為から脱却するように,通常のニコチン量を従来のようにたばこの煙として摂取する以外の方法で供給する方法である。重度の中毒喫煙者の場合,薬物依存症のため,ニコチンをエアゾール又はスプレーとして供給することにより必ずしも全ての場合に完全なニコチン禁断を達成することができなくても,少なくともたばこの煙の有害物質の大部分が排除され,ニコチンエアゾールの形態のニコチン摂取に限定されるという,決定的な健康上の利点がある。
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引用発明1の薬剤の用途では,ニコチンを正確な投与量で使用する。この目的は,アンプルで緩衝ニコチン溶液を使用することにより達成される。この場合,禁煙の意思がある喫煙者又はニコチン依存症の中毒喫煙者は,異なるニコチン含有量を有するアンプルの中から選択することができるため,個々のニコチン吸入について,自分の好みのたばこの銘柄のニコチン含有量に対応する量を自分で決定することができる。これに加えて,ニコチンの摂取方法は,喫煙時の方法に対応し,口腔粘膜若しくは鼻腔粘膜から吸収するか,又は吸入により肺の気道上皮から吸収する。喫煙時と全く同様に,吸入せずに喫煙する時のように,口を開けてその中にニコチンエアゾール又はニコチンスプレーを導入し,そこに滞留させることにより口腔粘膜からニコチン摂取することを選択しても,口腔や鼻から肺の中に吸入することによりニコチン摂取することを選択してもよい。いずれの方法を選択するかは,喫煙時と全く同様に使用者に委ねられている。
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緩衝ニコチン溶液は,喫煙強度又は喫煙するたばこ製品のニコチン含有量に応じた様々なニコチン濃度のアンプルの形態で提供される。内容物は,適した吸入器や複数の製品が販売されている噴霧器で吸入されるか,口腔から摂取される。
どの装置を使用するかはあまり重要ではない。
禁煙の意思がある喫煙者がどの装置を選択するかは,ニコチン摂取度と全く同様に使用者に委ねられており,それを様々な方法で,毎日消費するニコチンアンプルの数により,その中のニコチン量のレベルにより,又は吸入の深さにより,十分自分で調整することができる。口を開けて吸入する方法は,完全に喫煙時のニコチン
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摂取に対応する。喫煙者が鼻から吸入することを選択する場合,たばこを鼻から吸う場合とある程度類似性があり,それに対する懸念はない。
(2) 
本件審決の一致点及び相違点の認定の当否
  「口腔に投与するためのもの」を含めて一致点を認定した点について
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前記1(3)及び(4)によれば,本願発明の「口腔に投与するためのもの」とは,口腔粘膜を経由するニコチンの取り込みを意図しているものと解される。
他方,前記(1)()及び()によれば,引用発明1は,吸入の仕方に応じて,口腔粘膜,鼻腔粘膜,肺気道上皮等からのニコチン摂取を前提とするものである。引用例1には,これらの吸入によるニコチン摂取の態様について,それぞれ独立した技術的事項として記載されているから,口腔粘膜を経由したニコチン摂取は引用発明1の用途の1つとして引用例1に開示されているものということができる。
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本願発明の「口腔に投与するためのもの」,すなわち,口腔粘膜を経由したニコチン摂取という用途は,引用発明1の用途の1つと重複する以上,本願発明と引用発明1との一致点として上記用途を認定したことが誤りであるということはできない。
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この点について,原告は,引用発明1の薬剤は,スプレーにより口腔や鼻腔に導入されるものではあるが,本質的には,口腔粘膜のみならず鼻腔粘膜や肺に投与することを意図したものであって,本願発明における「口腔に投与するためのもの」とは,その技術的意義が異なるものであると主張する。
しかしながら,一致点の認定は,本願発明との対比において行われるものである以上,引用発明1に本願発明が想定しない「口腔に投与するためのもの」以外のニコチン摂取態様が含まれるからといって,本願発明と引用発明1とに共通する「口腔に投与するためのもの」という用途について一致点として認定することが妨げられるものではない。
したがって,原告の上記主張は採用できない。
また,原告は,本願発明と引用発明1の「スプレー」の態様は大きく異なると主
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張する。
しかしながら,本願発明は,「スプレーにより口腔に投与するための液体医薬製剤」であって,粒子の大きさやスプレーする際の向きについて具体的に特定するものではないから,原告の上記主張は失当である。
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以上によると,本件審決の一致点の認定に誤りはない。
  相違点の認定の誤りについて
原告は,本件審決の一致点の認定が誤りであることを前提として,相違点の認定もまた,誤りであると主張するが,本件審決の一致点の認定に誤りがないことは,前記アのとおりである。
したがって,原告の主張は採用できず,本件審決の相違点の認定に誤りはない。
▼3  相違点に係る判断の誤りについて
(1) 
相違点1に係る判断の誤りについて
  本願発明及び引用発明1の技術内容について
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前記1によれば,本願発明は,喫煙以外の手段で喫煙の満足感を与えることを目的として,ニコチンをスプレーにより専ら口腔粘膜経由で取り込ませるための液体医薬製剤であって,唾液中のニコチンが優先的に吸収される形態である遊離塩基に保つことを可能とするために薬剤自体をアルカリ性化することにより,ニコチンの急速な経口腔粘膜取り込みを実現するものである。
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他方,前記2(1)によれば,引用発明1は,本願発明と同様の目的を有する液体薬剤に係る発明ではあるが,単にニコチンを摂取するだけではなく,喫煙という行為を再現する方法でニコチンを摂取させることを意図しており,喫煙時と同様に,使用者の好みに応じてニコチンの含有量を選択した上で,口腔粘膜,鼻腔粘膜,肺などから吸入されるものである。引用発明1において,薬剤は様々なニコチン含有量のアンプルとして提供され,使用者が好みの銘柄のたばこに対応するニコチン含有量のアンプルを選択し,好みの方法により吸入するものであるから,各アンプル中の薬剤は,口腔粘膜,鼻腔粘膜及び肺などの吸入経路のいずれにも対応できる
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液体であって,ニコチン含有量についてのみ,多様性を有するものということができる。
  引用発明1に引用発明2及び3を組み合わせる動機付けについて
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引用例2(甲2)は,経皮ニコチンシステム及びニコチンの経粘膜投与のためのシステムに係る文献であるところ,同文献には,口腔内でのアルカリ環境がニコチンの頬側吸収を促進することが記載されている。
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引用例3(甲3)は,ニコチン含有流動物質を含む口経投与用カプセルに係る文献であるところ,同文献には,カプセルの内容物以外で重要なのは,ニコチンの吸収速度を左右する溶液のpHであり,ニコチン溶液のpHが6ないし10,好ましくは7ないし9,特に6ないし8の範囲が好ましいことが記載されている。
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上記()及び()によれば,引用例2及び3には,口腔粘膜からのニコチン吸収がアルカリ環境で促進されることが開示されているということができる。
しかしながら,引用発明1は,使用者の好みに応じて,口腔粘膜のみならず鼻腔粘膜や気道などからもニコチンが吸入されることを念頭においた薬剤であるから,口腔粘膜からの吸収を特に促進する必要性を認めることはできないし,引用例1には,口腔粘膜からの吸収を特に促進させる点に関する記載や示唆も存在しない。
したがって,引用発明1に,引用発明2及び3を組み合わせることについて,動機付けを認めることはできない。
  阻害事由について
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英国特許出願公開第2030862号(甲10。昭和55年(1980年)4月16日公開)は,ニコチンエアゾールに係る文献であるところ,同文献には,希塩酸の添加によりニコチンの塩基についてpH6に滴定し,酸性リン酸塩を用いると,酸性及び緩衝能により,ニコチンによるひりひりする刺激が減少することが記載されている。
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医学文献(甲11の BRITISH MEDICAL JOURNAL,Vol.286,昭和58年(1983年)発行。甲12の British Journal of Addiction 79,昭和59年(1984
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年)発行)には,ニコチン点鼻液には,緩衝されていないpH5の2%のニコチン水溶液が用いられることが記載されている。
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特表平7-504164号公報(甲13)は,禁煙補助組成物に係る文献であるところ,同文献には,ニコチン又はニコチン塩を,リン酸緩衝液等の溶剤に溶かし,鼻の粘膜から最適に吸収されるようにpHを約5から約6.5の間(約5.8が望ましい)に調節することが記載されている。
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特開昭59-135878号公報(甲14)は,鼻投与用喫煙代替物に係る文献であるところ,同文献には,pH7以上ではニコチン含量の10%以上が遊離塩基の形であり,このニコチンを吸収すると,強い局所感覚(灼熱感,強いくしゃみ等)がしばしば経験されるが,2ないし6のpHであれば,このような生理的反応は低減されることが記載されている。
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引用例2には,揮発性,苦くて舌を焼くような味,粘液膜上での刺激性の感覚,酸素面前での分解というニコチンの遊離塩基の有する問題が,ニコチンの塩形態,すなわち酸付加塩又は金属塩を使用することによって部分的に緩和されたことが記載されている。
また,引用例3にも,スプレーによるニコチンの投与があまり快適ではない旨が記載されている。
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以上によると,本願優先日当時,鼻腔や肺に投与されるニコチン溶液は通常pH5ないし6程度の酸性であって,ニコチンが遊離塩基になりやすいアルカリ性では,生理的に悪影響があることが周知であったということができる。
したがって,引用発明1の薬剤をアルカリ性化することには,阻害事由が認められる。
  被告の主張について
(
被告は,引用例1には,口腔粘膜を経由してニコチンを摂取する様式及び同様式に用いられる器具が,その他の場合とは区別して具体的に記載されているところ,用いられる薬剤も各々の様式に適したものを指すことは自明であるから,引
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用発明1の製剤において,鼻腔粘膜,肺の呼吸上皮,口腔粘膜の全部位に到達することを前提として緩衝化の条件が設定されることは必要ではないと主張する。
しかしながら,前記のとおり,引用発明1は,口腔粘膜,鼻腔粘膜及び肺などの吸入経路のいずれにも対応できる液体であって,ニコチン含有量についてのみ,多様性を有するものということができるところ,引用例1には,ニコチン摂取の様式ごとに異なる薬剤が用意されることについて,具体的な記載や示唆が存在しないから,被告の上記主張はその前提を欠き,失当である。
(被告は,引用例2には,口腔粘膜を通じた吸収における経口投与において,アルカリ性緩衝化処方によるニコチン製剤が用いられること及びニコチンの味を隠すための味付けが可能であることが記載されているから,引用例2は,引用発明1の薬剤をアルカリ性化することの阻害事由を根拠付けるものではない,引用例3には,スプレーによるニコチン投与があまり快適ではないことに関する具体的な記載はないから,ニコチン摂取におけるスプレー投与の利用そのものを阻害する事由が記載されているということはできないと主張する。
しかしながら,引用例2は,ニコチン薬用ドロップ,錠剤,カプセル,ガム等を使用することにより,ニコチンを経粘膜投与する発明に係る文献であるから,引用発明2のニコチン摂取の方法は,本願発明及び引用発明1の吸入方法とは大きく異なるものである。前記のとおり,アルカリ性化されたニコチンが与える生理的悪影響は,苦くて舌を焼くような味,粘液膜上での刺激性の感覚,ひりひりする刺激をもたらすものであるから,ドロップ等により服用する際における味付け程度で解消するものということはできない。
また,引用例3に,スプレーによるニコチン投与の問題点が具体的に記載されていないとしても,前記のとおり,アルカリ性化したニコチンの問題点が周知であった以上,阻害事由を認めることができることは明らかである。
したがって,被告の上記主張は採用できない。
  小括
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以上によると,当業者が相違点1に係る構成を容易に想到し得たものということはできない。
よって,本件審決の相違点1に係る判断は誤りである。
(2) 
相違点2に係る判断の誤りについて
  ニコチンは,その溶液のアルカリ性が強くなると,遊離塩基として存在するものの比率が高まることは,本件審決が認定するとおり,技術常識であるということができる。本願明細書にも,粘膜を通して優先的に吸収される形態である遊離塩基形態のニコチン吸収を促進するため,唾液のpHを高める必要がある旨の記載がされているところである。
  本件審決は,当業者が相違点1に係る構成を容易に想到し得たものということができる以上,相違点2に係る構成も,必然的に当業者が容易に想到し得たものということができるとするが,本件審決の判断は,前記のとおり,その前提を欠くものというほかない。
したがって,本件審決の相違点2に係る判断は誤りである。
(3) 
小括
よって,本願発明は,引用発明1に,引用発明2及び3を組み合わせることにより,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。
◆第5  結論
以上の次第であるから,原告が主張する取消事由には理由があり,本件審決は取り消されるべきものである。


知的財産高等裁判所第4部裁判長裁判官土肥章大裁判官井上泰人
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裁判官荒井章光

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