<知財高裁/トルバプタン特許の審取訴訟> 医薬用途発明に関して予測できなかった顕著な効果がないと判断された事例(大塚製薬 対 トーアエイヨー等)

 判決紹介 

・令和4年(行ケ)第10084号 審決取消請求事件
・令和6年3月21日判決言渡
・知的財産高等裁判所第1部 本多知成 遠山敦士 天野研司
・原告:大塚製薬株式会社
・被告:トーアエイヨー株式会社
・被告:ニプロ株式会社
・被告:東和薬品株式会社
・特許4771937
・発明の名称:重症心不全の治療方法およびその薬剤
 コメント 
判決を紹介します。
大塚製薬(原告)はトルバプタンの心不全に関する用途特許である特許4771937(本件特許)の特許権者です。
本件は、大塚製薬が本件特許の無効審決の取消しを求めた事案です。
大塚製薬はトルバプタンを有効成分とするサムスカ(OD錠7.5mg、15mg、30mg、顆粒1%)を販売しています。サムスカの効能又は効果は「ループ利尿薬等の他の利尿薬で効果不十分な心不全における体液貯留」などです。
トーアエイヨー(被告)は2022年6月17日にサムスカの後発医薬品であるトルバプタンOD錠7.5mg「TE」を発売しました。このときの効能又は効果は「ループ利尿薬等の他の利尿薬で効果不十分な肝硬変における体液貯留」でした。その後、2022年9月7日(令和4年7月5日の無効審決後)に効能又は効果に「ループ利尿薬等の他の利尿薬で効果不十分な心不全における体液貯留」を追加する一部変更承認を取得しました。(ニプロ、東和薬品も同様に後発医薬品を発売し、一部変更承認を取得しました。)
本件の経緯は以下の通りです。
○令和2年3月16日:トーアエイヨー(被告)が本件特許の無効審判を請求(ニプロ、東和薬品が参加、Meiji Seikaファルマが参加後取り下げ)
○令和3年8月17日:大塚製薬(原告)が訂正請求
○令和4年7月5日:特許庁が請求項の訂正を認めた上で無効審決(本件審決)
○令和4年8月12日:原告が審決取消訴訟を提起
争点は、甲2を主引用例とする進歩性欠如です。
本件特許の訂正後の請求項1は以下のとおりです。(下線は訂正箇所)
【請求項1】
 5-ヒドロキシ-7-クロロ-1-[2-メチル-4-(2-メチルベンゾイルアミノ)ベンゾイル]-2,3,4,5-テトラヒドロ-1H-ベンゾアゼピンまたはその医薬的に許容される塩を活性成分として含み、該活性成分の1日当たりの用量が0.371mg/kg以下の範囲であることを特徴とする、急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者に最適の治療と組み合わされて入院下で経口にて投与開始される重症心不全の治療薬。
請求項1中の「5-ヒドロキシ・・・」は「トルバプタン」です。
裁判所が認定した、本件発明1と甲2発明との一致点・相違点は以下の通りです。
(3) 本件発明1と甲2発明との対比
本件発明1と甲2発明とを対比すると、本件発明1と甲2発明との一致点及び相違点は、次のとおりと認められる。
ア 一致点
本件発明1と甲2発明とは、「トルバプタンまたはその医薬的に許容される塩を活性成分として含み、心不全の患者に最適の治療と組み合わされて投与される、心不全の治療薬」である点において一致する。
イ 相違点
(ア) 相違点1
「心不全の患者」、「心不全の治療薬」及び「活性成分の投与」について、本件発明1では、それぞれ「急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者」、「重症心不全の治療薬」及び「最適の治療と組み合わされて入院下で経口にて投与開始される」ものであることが特定されているのに対し、甲2発明では、それぞれ「心不全(NYHAクラスⅠ~Ⅲ)及びうっ血の兆候(浮腫又はラ音等)を有する患者」、「心不全(NYHAクラスⅠ~Ⅲ)の治療薬」及び「安定したフロセミド用量(20~240mg/日)と組み合わされて投与される」ものであることが特定されている点。
(イ) 相違点2
活性成分の1日当たりの用量が、本件発明1では「0.371mg/kg以下の範囲である」ことが特定されているのに対し、甲2発明では「30mg、45mg若しくは60mgである」ことが特定されている点。
裁判所は、相違点1に関しては、甲2及び技術常識から十分な動機付けがあるなどの理由により、容易に想到し得たと判断しました。相違点2に関しては、甲2及び技術常識を参酌して適宜なし得ると判断しました。
原告は、本件特許の実施例に記載された結果に基づいて、本件発明に予測できなかった顕著な効果があることを主張しましたが、裁判所はその主張を否定しました。裁判所は、効果が厳密に用途限定に起因していると理解できないと判断したようです。
この判決は一見目立たないですが、実務の参考になるけっこう重要な判決のように思います。
判決抜粋を以下に記載します。
判決
第2 事案の概要
本件は、特許権者である原告が、特許を無効とした審決の取消しを求める事案である。争点は、進歩性に関する認定判断の誤りの有無である。
1 特許庁における手続の経緯等
・・・
2 特許請求の範囲の記載
・・・
3 本件審決の理由の要旨等
上記審判手続において主張された無効理由のうち、無効理由5(甲2を主引用例とする進歩性欠如)の無効理由についての判断の要旨は、次のとおりである。
・・・
ア 甲2に記載された発明
・・・
イ 本件発明1と甲2A発明の対比及び一致点
・・・
したがって、本件発明1と甲2A発明とは、「5-ヒドロキシ-7-クロロ-1-[2-メチル-4-(2-メチルベンゾイルアミノ)ベンゾイル]-2,3,4,5-テトラヒドロ-1H-ベンゾアゼピンまたはその医薬的に許容される塩を活性成分として含み、心不全の患者に最適の治療と組み合わされて投与される、心不全の治療薬。」である点において一致する。
ウ 相違点
本件発明1と甲2A発明とは、次の2点において相違すると認められる。
(ア) 相違点1
「心不全の患者」、「心不全の治療薬」及び「活性成分」の投与について、本件発明1では、それぞれ「急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者」、「重症心不全の治療薬」及び「最適の治療と組み合わされて入院下で経口にて投与開始される」ものであることが特定されているのに対し、甲2A発明では、それぞれが「心不全(NYHAクラスⅠ~Ⅲ)及びうっ血の兆候(浮腫又はラ音等)を有する患者」、「心不全(NYHAクラスⅠ~Ⅲ)の治療薬」及び「安定したフロセミド用量(20~240mg/日)と組み合わされて投与される」ものであることが特定されている点。
(イ) 相違点2
活性成分の1日当たりの用量が、本件発明1では「0.371mg/kg以下の範囲である」ことが特定されているのに対し、甲2A発明では「30mg、45mg若しくは60mgである」ことが特定されている点。
・・・
第3 原告主張の審決取消事由(進歩性判断の誤り)
本件審決は、次に述べるとおり、本件発明1と甲2発明との相違点を看過した誤り、相違点に係る容易想到性の判断の誤り及び本件発明1の予測できなかった顕著な効果の評価についての誤りがある。
・・・
1 本件発明1と甲2発明との一致点、相違点の認定の誤り
・・・
2 容易想到性の判断の誤り
・・・
3 予測できなかった顕著な効果の評価の誤り
特許発明の効果が、優先日当時、特許発明の構成により奏する効果として当業者が予測不可能であり又は予測の範囲を超える顕著なものであるかは、進歩性判断の考慮要素の一つであるところ(最高裁平成30年(行ヒ)第69号令和元年8月27日第三小法廷判決・集民262号51頁参照)、本件審決は、次のとおり、本件発明1の奏する予測できなかった顕著な効果(予後改善・死亡率低下)を適切に評価せずに本件発明1の進歩性を否定し、結論を誤っているから、取消しを免れない。
(1) 本件発明1の効果が予測できなかった顕著なものであること
本件優先日当時、利尿薬は、心不全の症状であるうっ血や浮腫等を改善するものではあっても、心不全の予後を改善させる(死亡率を低下させる)ものとは理解されていなかった(甲14、23、46、64、67、72、82、83、88、109、116~126、132、154、156、176、177)。そのような中、本件試験は、ADHFの重症患者を対象として、選択的バソプレシンV2受容体拮抗薬であるトルバプタンの予後(死亡率)に与える影響を評価するために、症状改善効果とは別途の評価項目として死亡率低下を設定し、試験デザインを構築した初めての試験である。
そして、本件試験の結果、本件審決も正しく認めるとおり、「入院期間から外来で投与を終了するまでの全期間の死亡率」について、投与開始から死亡事象発現までの時間を考慮した解析(Log-Rankテスト)の結果、トルバプタン30mg投与群でプラセボ対照群に比べて有意に低いという効果が得られている。この効果は、当時の技術常識に照らして明らかに異質なものであり、進歩性を肯定するに足りる予測できなかった顕著な効果というべきである。
加えていえば、前記2(2)イ(イ)及び(エ)のとおり、本件優先日当時、本件試験の対象であるNYHAクラスⅣの重症心不全患者には利尿薬抵抗性の問題があると理解されていたことや、選択的バソプレシンV2受容体拮抗作用が心血管系や腎臓に悪影響を及ぼすと理解されていたことに照らすと、上記の予後改善効果が、トルバプタンの投与経路を変更することもなく(経口から静注に変更することなく)、かつ、用量を増加することもなく(甲2試験の30mgから増量することなく)得られていることは、当業者にはおよそ予測できないものであったといえる。
(2) 本件審決の誤り
本件審決は、甲2試験において症状改善効果が得られたことが甲2に記載されているから、本件試験において予後改善効果が得られたことも当業者の予測を超える格別顕著な効果とはいえないなどと判断した。
しかし、そもそも、症状改善と予後改善とは区別されるべきものである上、甲2試験では、予後改善や死亡率の低下は評価項目とされておらず、甲2試験の結果からは、予後改善に係る知見は何ら開示されているとはいえない。したがって、当業者は、甲2試験における症状改善効果から、予後改善効果まで予測するものではなく、審決の説示は誤りである。
・・・
第5 当裁判所の判断
1 本件各発明の概要
本件訂正後における本件特許の特許請求の範囲は別紙3のとおりであり、本件明細書の記載は別紙2のとおりである。これらの記載によると、本件各発明の概要は、次のとおりと認められる。
・・・
2 認定事実
・・・
3 本件発明1の進歩性についての容易想到性の誤りについて
・・・
(1) 本件発明1
・・・
(2) 甲2に記載された発明(甲2発明)
・・・
(3) 本件発明1と甲2発明との対比
本件発明1と甲2発明とを対比すると、本件発明1と甲2発明との一致点及び相違点は、次のとおりと認められる。
ア 一致点
本件発明1と甲2発明とは、「トルバプタンまたはその医薬的に許容される塩を活性成分として含み、心不全の患者に最適の治療と組み合わされて投与される、心不全の治療薬」である点において一致する。
イ 相違点
(ア) 相違点1
「心不全の患者」、「心不全の治療薬」及び「活性成分の投与」について、本件発明1では、それぞれ「急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者」、「重症心不全の治療薬」及び「最適の治療と組み合わされて入院下で経口にて投与開始される」ものであることが特定されているのに対し、甲2発明では、それぞれ「心不全(NYHAクラスⅠ~Ⅲ)及びうっ血の兆候(浮腫又はラ音等)を有する患者」、「心不全(NYHAクラスⅠ~Ⅲ)の治療薬」及び「安定したフロセミド用量(20~240mg/日)と組み合わされて投与される」ものであることが特定されている点。
(イ) 相違点2
活性成分の1日当たりの用量が、本件発明1では「0.371mg/kg以下の範囲である」ことが特定されているのに対し、甲2発明では「30mg、45mg若しくは60mgである」ことが特定されている点。
・・・
(4) 相違点に係る容易想到性について
ア 相違点1について
(ア) 「心不全の患者」及び「心不全の治療薬」について
前記2(1)、(2)、(5)及び(6)のとおり、本件優先日当時、利尿薬は、心不全の症状の一つである体液貯留、うっ血、浮腫等を改善する治療薬として、急性心不全(慢性心不全の急性増悪期を含む。)と慢性心不全とを問わず、また心不全の重症度を問わず、広く用いられていた薬剤である。また、代表的な利尿薬として用いられるフロセミド等のループ利尿薬は、利尿作用が強い反面、塩化ナトリウムの再吸収を抑制するために低ナトリウム血症等の電解質異常をきたし得るとの副作用がある上、利尿薬抵抗性の問題も認識されており、加えて、特に重症心不全患者においては、体液貯留の管理が重要とされていた。
そして、前記(2)ア(ア)のとおり、甲2には、体液貯留のある心不全患者(NYHAクラスⅠ~Ⅲ)に対し、フロセミドに上乗せして、異なる部位に作用し、また、ナトリウムを排泄せずに水のみを排泄する選択的バソプレシンV2受容体拮抗薬としてのトルバプタンを投与したところ、良好な忍容性とともに、血清電解質の有害な変化なく、体重減少、尿量増加及び浮腫改善等の効果が得られた旨が記載されている。

そうすると、本件優先日当時、甲2発明及び甲2の記載に接した当業者において、前記2に認定した技術常識も考慮して、甲2発明のトルバプタンを、「急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者」における体液貯留等を改善するための治療薬とすることには、十分な動機付けがあり、容易に想到し得たということができる。

(イ) 「活性成分の投与」について
甲2発明における「安定したフロセミド用量(20~240mg/日)」が、フロセミドを必要に応じて投与することを制限する趣旨と読み取れないことは、前記(2)ウ(イ)bのとおりであるから、この点は実質的な相違点とはいい難い。また、前記(2)ウ(ウ)のとおり、対象患者の症状や投与方法等を捨象した、単に治療薬を投与する際に患者が入院下であるか否かという点も、実質的な相違点とはいい難い。 次に、前記2(1)ウのとおり、本件優先日当時、トルバプタンは、経口投与で強力な水利尿薬として作用する薬物として知られていたのであるから、甲2発明では経口投与されたか不明であるトルバプタンを本件発明1の対象患者に投与するに当たり、これを経口投与とすることは、当業者が適宜なし得た事項というべきである。
(ウ) 原告の主張について
原告は、①医薬分野における容易想到性は、「当該発明の治療及び治療効果について、優先日当時における科学的根拠をもって当業者がこれを容易に評価・確認できるか」という観点から判断されるべきであるとした上で、本件優先日当時の技術常識として、②ADHFの重症患者と慢性心不全の慢性期の軽症~中等症患者とは、その症状、治療内容・態様、治療薬の適応・治療効果が大きく異なっていた、③同じ心不全治療薬であっても、NYHAクラスⅠ~Ⅲの患者には有効だがクラスⅣの患者には効果がない又は悪化させる例があった上、NYHAクラスⅣの患者は利尿薬抵抗性の問題がより深刻であって治療に限界が生じており、トルバプタンにも利尿薬抵抗性の問題が認識されていた、④既存の利尿薬の作用機序・薬理作用と、トルバプタンの作用機序・薬理作用は異なるものである、⑤ADHFの重症患者に対して、トルバプタンを含む選択的バソプレシンV2受容体拮抗薬の投与実績は存在していなかったところ、選択的バソプレシンV2受容体拮抗作用は、内因性バソプレシンレベルの上昇を誘引し、それがバソプレシンV1a受容体を刺激することにより、心血管系や腎臓に悪影響を及ぼすことが理解されていたから、選択的バソプレシンV2受容体拮抗作用を有するトルバプタンを、NYHAクラスⅣのような重症患者に投与すれば、心不全の症状をさらに悪化させ、最悪の結果にもつながりかねないと認識されていた、⑥本件試験のような「最適の治療」(併用薬の用量増加、投与経路変更を含む。)に対する上乗せ試験では、甲2試験のような併用薬の用量固定・経口投与のみ等の制約されたデザインの試験と比して、上乗せ治療薬の治療効果が得られにくいと理解されていたなどと主張し、これらの技術常識によると、甲2発明から相違点1に係る本件発明1の構成に想到する動機付けはなく、又は阻害要因があると主張する。
しかし、①について、進歩性についての判断基準として独自の見解というほかなく、採用の限りではない。②について、急性心不全(慢性心不全の急性増悪期を含む。以下この項において同じ。)と慢性心不全とで、また重症患者と軽症~中等症患者とで、治療の内容が異なる点は指摘のとおりであるが、前記2のとおり、利尿薬に関していえば、急性心不全と慢性心不全とを問わず、また重症と軽症~中等症とを問わず、心不全の症状の一つである体液貯留、うっ血、浮腫等を改善する治療薬として広く用いられていたのであるから、甲2に記載されたトルバプタンの水利尿効果が、体液貯留等の症状を呈する急性心不全の患者や重症患者にも得られるであろうことを、当業者は当然に想起するというべきである。③について、NYHAクラスⅠ~Ⅲの患者とクラスⅣの患者とで取扱いを異にする例として原告が挙げている例(甲38、43、47、70~77、88)には、利尿薬とは異なる心不全治療薬が含まれているほか、利尿薬に関するものであっても、NYHAクラスⅣであることを理由に利尿薬の取扱いを異にすべき旨が記載されているとは読み取ることはできない。前記2(6)のとおり、重症心不全患者では、特に体液貯留等の管理が重要とされており、重症度の高さや利尿薬抵抗性の問題から利尿薬が十分に効果を発揮しない場合があるとしても、また、仮にトルバプタンにも利尿薬抵抗性の問題があるとしても、当業者は、NYHAクラスによる重症度を問うことなく、体液貯留等の症状を改善するために利尿薬の使用を試みるというべきである。④について、既存の利尿薬とトルバプタンとの作用機序・薬理作用が異なることは、上記(ア)のとおり、むしろ動機付けとなるといえる。⑤について、本件優先日前に頒布された刊行物である甲149(Florence Wongほか「A Vasopression Receptor Antagonist (VPA-985) Improves Serum Sodium Concentration in Patients With Hyponatremia: A Multicenter, Randomized, Placebo-Controlled Trial」Hepatology 182 (2003))には、NYHAクラスⅣのうっ血性心不全患者に対し、トルバプタンと同じ選択的バソプレシンV2受容体拮抗薬である「VPA-985」を既存の利尿薬と組み合わせて投与したところ、低用量群(25mgを1日2回投与)では、起立性血圧、血清クレアチニン値及び血清バソプレシン濃度の有意な変化なしに、プラセボ対照群と比して有意な水利尿反応及び血清ナトリウム値の増加が得られた旨が記載されている。同記載からすると、原告が主張するように、選択的バソプレシンV2受容体拮抗薬につき、血中バソプレシン濃度上昇による悪影響がある可能性を指摘する文献があったことを考慮しても、適切な用量設定等により安全に効果を得られることが示されていたのであるから、トルバプタンをNYHAクラスⅣの重症患者に、また急性心不全の患者に適用することが禁忌であったとはいえず、阻害要因となるべきものとは認められない。⑥については、前記(3)ウ(ウ)のとおり、トルバプタンと組み合わされる本件発明1の「最適の治療」と甲2発明の「水分制限なしの標準治療」に実質的に異なるところはなく、また、前記(2)ウ(イ)bのとおり、甲2発明における「安定したフロセミド用量(20~240mg/日)」が、治療の制限を意味するものとは読み取れない。
したがって、原告の主張は、いずれも採用することができない。
イ 相違点2について
有効成分を新たな患者等に投与する際に、臨床試験等を行って治療薬の最適な用量を定めること、その際に従前の試験における用量範囲を参考にすることは、当業者が通常行う事項である。
甲2には、甲2試験の結果として、体重減少及び尿量増加の効果につき、プラセボ投与群と1日当たり30mg投与群との差が、1日当たり30mg投与群と45mg投与群との差に比べて格段に大きかった旨が記載されており、これは、トルバプタンの1日当たり30mgという用量が、最小有効量よりも十分に高い用量であったと理解できる記載といえる。そうすると、甲2に接した当業者が、甲2発明のトルバプタンを「急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者」のための、他の治療と組み合わせて使用される治療薬とするに当たり、甲2の最小有効量とほぼ同一の用量である1日当たり0.371mg/kg(本件試験におけるトルバプタン30mg/日群の体重換算値)以下とすることは、甲2の記載及び技術常識を参酌して適宜なし得ることというべきである。
(5) 予測できなかった顕著な効果について
原告は、本件優先日当時、利尿薬は、心不全の予後を改善させる(死亡率を低下させる)ものとは理解されていなかったところ、本件試験は、症状改善効果とは別途の評価項目として死亡率低下を設定し、その結果、トルバプタン30mg投与群で、「入院期間から外来で投与を終了するまでの全期間の死亡率」が有意に低く、この効果は、予測できなかった顕著な効果であるから、本件発明1の進歩性を肯定する事情として考慮されるべき旨主張する。
しかし、まず、本件試験は、NYHAクラスⅢ及びⅣの患者が混在した試験であり、クラスⅣの患者のみについての死亡数は明らかになっていないのであるから、本件発明1の対象患者である「急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者」の予後にいかなる効果を奏するのかは不明である。
次に、原告は、死亡率低下を本件試験の評価項目と設定したとするが、【0053】(表1(続き))によると、本件試験では、「入院患者の主要評価項目」が「投与24時間後の体重変化」、「外来患者の主要評価項目」が「心不全の悪化」とされているところ、「心不全の悪化」の定義として、「入院」、「CHFのための、救急治療部、外来診療、または心不全の増加療法または新たな治療のいずれかの要求に関連する搬送ユニットへの臨時の受診」とともに「死亡」が挙げられているにとどまり、本件試験は、トルバプタンの投与開始時には急性の入院患者(10日間)であったが、その後の7週間は外来となった患者(【0052】(表1.試験の概要))の、その外来時の心不全の悪化の一指標(事象)として「死亡」が用いられているにすぎない。そして、【0051】では、「入院期間から外来で投与を終了するまでの全期間の死亡率が、投与開始から死亡事象発現までの時間を考慮した解析の結果(Log-Rankテスト)、30mg投与群で対照群に比べて有意に低かった(表5)。」とされ、入院期間も含めた全期間の患者の死亡事象に基づき解析されているのであるから、【0051】及び【0057】(表5)の結果は、上記の外来患者の主要評価項目に沿った評価がされた結果というわけでもない。
このように、原告の主張とは異なり、本件試験は、「急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類:重症度Ⅳの患者」の予後を評価するための試験として設計されたものではなく、その効果も明らかにはなっていない。加えて、本件試験の対象患者の母数は少なく、死亡者数もプラセボ投与群で7名、30mg投与群で3名であって、60mg投与群ではプラセボ対照群を超える8名が死亡しているのに、90mg投与群では2名が死亡するにとどまることも考慮すると、30mg投与群においてp値が0.05を下回っているとしても、当業者において、技術常識を参酌しても、本件発明1の構成を採用することにより、30mg投与群のみにおいて、その対象患者の予後が改善する効果を奏したとは理解できないというほかはない。
なお、原告は、トルバプタンの利尿薬抵抗性や選択的バソプレシンV2受容体拮抗作用の悪影響の可能性が理解されていたこと、投与経路の変更や用量の増加もなく、上記予後の改善効果のほか、浮腫改善等や心不全の悪化率の低下の効果も得られたことが、予測できなかった顕著な効果である旨も主張する。しかし、予後の改善が効果として認められないことは上記のとおりである。また、心不全の悪化についても、上記に述べたところも含め、本件明細書には、外来患者の主要評価項目とされた心不全の悪化についての評価結果が記載されておらず、その効果は不明というほかない。また、浮腫改善等の効果は、うっ血性心不全患者に利尿薬が投与される本来の目的そのものであって、甲2において従来のループ利尿薬に上乗せしてトルバプタンを投与したことにより治療効果が得られたことが記載されているのであるから、用量の増加や投与経路の変更がないとしても、これをもって予測できなかった顕著な効果ということは困難である。
(6) 小括
以上によると、本件発明1は、甲2発明に接した当業者が、甲2発明、甲2の記載及び技術常識に基づき容易にすることができたものと認められる。
・・・
5 結論
以上のとおりであるから、本件審決が、本件各発明は、甲2に記載された発明(本件審決認定に係る甲2A発明、甲2B発明又は甲2C発明)、その記載事項及び技術常識を参酌した当業者が容易に発明をすることができたものであるとしたことに誤りはなく、原告が主張する審決取消事由には理由がない。
よって、原告の請求には理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
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