結晶化条件の組み合わせに基づく非容易想到性、顕著な効果を主張したが認められなかった事例


<判決紹介>
・平成29年(行ケ)第10196号 審決取消請求事件
・平成30年11月21日判決言渡
・知的財産高等裁判所第4部 大鷹一郎 古河謙一 関根澄子
・原告:メルク・シャープ・アンド・ドーム・コーポレーション
・原告:メルク  シャープ  エンド  ドーム  リミテッド
・被告:特許庁長官
・特願2014-518879
・発明の名称:ジペプチジルペプチダーゼ―IV阻害剤の新規結晶形


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拒絶審決の審決取消訴訟をご紹介します。
請求項1は以下の通りです。請求項1の化1は、DPP-4阻害薬であるオマリグリプチン(販売名:マリゼブ)と同じ構造です。

「【請求項1】 
  10.3±0.1  2θ,12.7±0.1  2θ,14.6±0.1  2θ,16.1±0.1  2θ,17.8±0.1  2θ,19.2±0.1 2θ,22.2±0.1  2θ,24.1±0.1  2θおよび26.9±0.1  2θからなる群より選択される少なくとも4つのピークを粉末X線回折パターンに有することを特徴とする,化合物Iの結晶質(2R,3S,5R)-2-(2,5-ジフルオロフェニル)-5-[2-(メチルスルホニル)-2,6-ジヒドロピロロ[3,4-c]ピラゾール-5(4H)-イル]テトラヒドロ-2H-ピラン-3-アミン(形I)。
【化1】
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原告のMSDは、
・審決の引用発明の認定の誤り、
・動機付けの不存在、
・本願の結晶化条件(結晶化原料(非晶質遊離塩)、結晶化溶媒(酢酸エチル)及び温度(13℃以上)を含む)の選択(特定の組み合わせ)に多大な試行錯誤を要すること、
の観点から審決がした容易相当性の判断に誤りがあり、また、本願発明の予想外の顕著な効果の判断についても審決に誤りがあると主張しました。


一方で、裁判所はいずれの主張も認めませんでした。
裁判所の判断は下記の通りです。


判決-------------------------------------------------------------------------------------------
第4  当裁判所の判断 
1  相違点の容易想到性の判断の誤りについて
・・・

イ  医薬化合物の結晶化に係る技術常識 
前記アの記載事項を総合すると,本願の優先日(平成23年6月29日)当時,①結晶性製品は一般に取扱い及び製剤化が容易であるため,医薬品原薬の多くは最終工程において結晶状態として製造され,また,医薬品においては,結晶多形が安定性,溶解性,バイオアベイラビリティに影響を及ぼし得ることから,医薬品開発においては,医薬品原薬を恒常的に安定製造するための結晶化条件の最適化の検討が必要であるとともに,結晶多形の最適化ための結晶多形の探索ないし多形スクリーニングが必要であること,②結晶多形の存在及びその分析のために,X線粉末回折が通常用いられること,③酢酸エチルは,結晶化溶媒として,安全性が高く,最も普通に使用される溶媒の一つであることは,技術常識であったものと認められる。

(4)  相違点の容易想到性の有無について 
ア  刊行物1には,実施例1の最終生成物の化合物Pを含む医薬組成物は,ジペプチジルペプチダーゼ-IV酵素の阻害剤として,糖尿病,特に2型糖尿病のようなジペプチジルペプチダーゼ-IV酵素が関与する疾患の治療又は予防に有用であることの記載(前記(2)ア(イ)ないし(エ),(サ))があるから,実施例1の最終生成物の化合物Pは医薬化合物であるものと認められる。
前記(3)イ認定の本願の優先日当時の技術常識に照らすと,刊行物1に接した当業者においては,医薬化合物である実施例1の最終生成物の化合物P(引用発明)について,医薬品原薬を恒常的に安定製造するための結晶化条件の最適化の検討を行うとともに,結晶多形の最適化のための結晶多形の探索ないし多形スクリーニングを行う動機付けがあるものと認められる。
そして,室温で安定な結晶は,冷蔵保存の必要がないため医薬品化合物として望ましいことは自明であるから,結晶多形の探索ないし多形スクリーニングに際し,結晶化温度を室温を含む温度範囲,結晶化溶媒を最も普通に使用される溶媒の一つである酢酸エチルとし,X線粉末回折を用いて結晶多形の存在及びその分析を行い,得られた結晶の中から室温での安定性が優れた結晶を選ぶことは,当業者が通常行うことであるものと認められる。
一方,本願明細書の「酢酸エチル中の化合物Iの非晶質遊離塩基の直接結晶化によって,形Iを生成した。」(【0069】),「13℃より上で最も安定な相として形Iを有する。」(【0070】)との記載に照らすと,本願明細書には,結晶化温度を室温を含む13℃より上の温度,結晶化溶媒を酢酸エチルとして,「化合物I」(化合物P)の結晶化を行うことにより,形Iの結晶質が得られることの開示があるものと認められる。
そうすると,当業者は,通常なし得る試行錯誤の範囲で,刊行物1の実施例1の最終生成物の化合物Pについて上記結晶多形の探索ないし多形スクリーニングを行うことにより,室温での安定性が優れた結晶として形Iの結晶質を得ることができたものと認められる。
以上によれば,刊行物1に接した当業者は,刊行物1及び上記技術常識に基づいて,引用発明について相違点に係る本願発明の構成(化合物Pの形Iの結晶質の構成)とすることを容易に想到することができたものと認められる。
したがって,これと同旨の本件審決の判断に誤りはない。

イ(ア)  これに対し,原告らは,刊行物1の実施例1の最終生成物の「淡褐色の固体」が非晶質の物質であることを前提として,刊行物1には,結晶多形の存在の示唆は一切ないから,刊行物1に接した当業者において,結晶多形を得ることについての動機付けは存在せず,ましてや特定の結晶形である形Iを選択すべき動機付けは存在しない旨主張する。
しかしながら,刊行物1の実施例1の「淡褐色の固体」(化合物P)は,結晶(結晶質)と認めるのが相当であることは,前記(2)イで説示したとおりである。
また,前記アのとおり,刊行物1に接した当業者においては,医薬化合物である実施例1の最終生成物の化合物Pについて,医薬品原薬を恒常的に安定製造するための結晶化条件の最適化の検討を行うとともに,結晶多形の最適化のための結晶多形の探索ないし多形スクリーニングを行う動機付けがあるというべきであり,このことは,実施例1の最終生成物の化合物Pが結晶(結晶質)であるか,非晶質であるかによって左右されるものではないというべきである。
さらに,結晶多形の探索においては,溶媒の種類,結晶化方法,温度等の異なる結晶条件を設定することにより,ある程度,多形の存在を明らかにすることができるが,現実には試行錯誤を繰り返すことにより,多形が検索されるものであること(前記(3)ア(ク)d)に照らすと,あらかじめ特定の結晶形を選択すべき動機付けがなければ検索できないというものではない。
したがって,原告らの上記主張は採用することができない。

(イ)  また,原告らは,本願発明は,結晶化する原料として非晶質遊離塩基を採用し,再結晶溶媒として酢酸エチルを用いて,13℃以上の温度で,結晶化して得られた無水の結晶形であり,このような本願発明における結晶化原料,結晶化溶媒及び温度を含む結晶化条件の特定の組合せは,実際に多数の試行錯誤を繰り返して初めて得られるものであるが,刊行物1には,本願発明における結晶化条件の特定の組合せについての記載も示唆もないから,刊行物1に接した当業者は,通常なし得る範囲の試行錯誤により,本願発明の形Iの結晶質を得ることはできない旨主張する。
しかしながら,前記ア認定のとおり,結晶多形の探索ないし多形スクリーニングに際し,結晶化温度を室温を含む温度範囲,結晶化溶媒を一般に使用される溶媒の一つである酢酸エチルとし,X線粉末回折を用いて結晶多形の存在及びその分析を行い,得られた結晶の中から室温での安定性が優れた結晶を選ぶことは,当業者が通常行うことであって,本願発明における結晶化条件の特定の組合せを採用することは格別のこととはいえないから,原告らの上記主張は理由がない。
ウ以上のとおり,本件審決における相違点の容易想到性の判断に誤りはない。

2  予想できない顕著な効果についての判断の誤りについて 
原告らは,①本願発明の形Iの結晶質の「13℃より上で最も安定な相」として存在するという特性は,形Iの結晶質を得て初めて判明するものであり,刊行物1から予測できない特性であり,この特性を有するのであれば晶析の際に溶媒を冷却することは控えるべきであり,このことは,結晶化プロセスにおいては重要な情報であって,当業者の予測できない有利な効果であること,②本願発明の形Iの結晶質は,上記特性により,他の結晶形に比べて吸湿性に優れるという「物理化学的特性」(すなわち,吸湿しにくい)を有し,医薬組成物の調製の際の取扱いにおいて利点を有し,このことは,本願明細書記載の熱重量分析(図2,7及び12)における形Iの結晶質の重量損失が最も少ないことが示しており,また,本願明細書に本願発明の顕著な効果について具体的な記載はなくとも,当業者であれば,安定な結晶形である形Iの結晶質が,応力に対して結晶形が転移しにくいこと(粉砕,圧縮工程等における安定性),取扱いの容易さ(製剤化における結晶形の移送性),乾燥(乾燥温度で転移しない)など非晶質形態に対して顕著な効果を有していることを認識できること,③刊行物1の実施例1の最終生成物が非晶質であることを考慮すると,本願発明の形Iの結晶質は,通常の結晶質から予測し得る範囲を超える顕著な効果を有するというべきであるから,本願発明の作用効果は格別顕著なものとはいえないとした本件審決の判断は誤りである旨主張する。
しかしながら,刊行物1の実施例1の「淡褐色の固体」(化合物P)は,結晶(結晶質)と認めるのが相当であることは,前記1(2)イで説示したとおりであるから,これが非晶質であることを前提とする原告らの主張は,その前提において誤りがある。

次に,本願発明の形Iの結晶質が「13℃より上で最も安定な相」として存在するという特性を有するとしても,そのことは,室温を含む13℃以上の温度で安定であることを意味するものにすぎず,格別顕著なものとはいえない。また,本願明細書には,本願発明の形Iの結晶質が「13℃より上で最も安定な相」として存在するという特性により,「処理および結晶化の容易さ,取り扱い,応力に対する安定性,計量分配の利点を有し医薬剤形の製造に好適という効果」(【0007】)を奏するとの記載はなく,これらが形Iの効果であることを認識することは困難である。
さらに,仮に本願発明の形Iの結晶質が他の結晶形に比べて「吸湿性が低い」としても,それをもって,予測し得る範囲を超える顕著な効果であるということはできない。
したがって,原告らの上記主張は,理由がない。
このほか,原告らは,縷々主張するが,本願発明の形Iの結晶質が予想できない顕著な効果を有することの根拠となるものではない。

3  結論
前記1及び2によれば,本願発明は,刊行物1及び技術常識に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたとした本件審決の判断に誤りはないから,原告ら主張の取消事由は理由がなく,本件審決にこれを取り消すべき違法は認められない。
したがって,原告らの請求は棄却されるべきものである。
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